第1章 【ガゼル・ワーグナー】②
魔王軍。
そこはガゼルが思っていたのとは違う―――いや、ある意味思っていた通りの場所であった。
この組織のルールは『弱肉強食』。
強い者がのし上がり、弱い者が淘汰される。
《力》に対する畏怖と尊敬、そして羨望。
《魔族》らしい単純なルールだ。
そんな中で、魔人でありながら剣技も魔法も全く使えず、この身一つで軍に交じって来たガゼルの扱いは、最下級兵のゴブリンと同等の劣悪なものだった。
ゴブリンと同等―――それは最前線の第一陣、突撃部隊を意味する。
ワーグナーから奪った金で、装備だけはいっちょ前に上等なものだったが、それに見合う技量がなければそんなものは何の役にも立たないものだということを、ガゼルは早期に悟った。
特に最初の数年のうちは、生き残ることで精いっぱいであり、レイアについての情報を集めることなど不可能に等しかった。
そもそも周りにいるゴブリンは知能が低いうえ、突撃のたびに大半のメンツが変わる。
何度もゴブリンやオークなどの下級兵士に交じり、人間の城塞に突貫し、後続の主力の道をこじ開ける。
戦闘が終わって自陣に帰る度、自身の命があることに安堵するのがこの時期のガゼルの日常だった。
一度だけ、勇者も見かけた。かなり離れた位置だったが、ゴブリンやオークなど、その手に持つ黄金の剣でばったばったと切り倒していく様はまさに一騎当千。
その日の夜はガゼルも身震いが止まらなかった。
後からその勇者を、魔王軍最強の一角、《四天魔将》が討ち取ったと聞いた時には開いた口が塞がらなかったものだ。
魔王軍は連戦連勝だった。
勿論被害はそれなりに出るものの、魔王ヴォルザードのカリスマ性と四天魔将の強さは、これまでの魔王軍とは一線を画していた。
さらに数年を経て、ガゼルは昇進し、一般兵として主力の魔人部隊に合流した。
これにより、ようやくまともな種族が周りに増え、レイアについての情報が集められるようになったガゼルだったが、結果は芳しくないものだった。
「ああ? 女を買う上級貴族なんていくらでもいるぞ。ガゼル、お前は弱いんだからそんなこと調べている暇があったら、剣の稽古でもしろ」
というのは当時のガゼルの部隊長ガストンの言葉だ。
奴隷にしろ、側室にしろ、美しい女を買う上級貴族は珍しくない。
寿命の長い魔族にしたら大したことのない時間とはいっても、何年も前の出来事だ。
いちいちどこの誰がどんな女を買ったかなど覚えている奴はいないだろう。
ならばと、買主ではなくレイア本人を探す目論見も失敗した。
サファイア色の瞳に銀色の髪。しかも人目を惹くような美人だ。
目撃情報くらいはあると思っていたのだが――――これがからっきしである。
―――もっと上の立場にならないと・・・・。
ガゼルはさらなる決意をする。
少なくとも一兵卒の今では、上級貴族や幹部に挑むどころか、面会すら敵わないだろう。
ガゼルはとにかく強くなることにした。
部隊長ガストンは言った。
「魔王軍で出世する方法はただ一つ。強くなればいい」
突撃兵として毎日のように最前線に立たされたことのあるガゼルは、とにかく生き残ることだけは得意だった。
敵の矢が飛んでこない場所や、人間の剣術の癖。
その経験値が他の魔人たちより群を抜いていたからだ。
そんな中ガゼルはひたすらに観察した。
強いと言われる部隊長や剣客、魔法をかじった魔人。
そんな奴等から、自分が強くなるために必要なものを吸収し、学習していく。
時には人間――勇者の技なども目に焼き付けた。
勿論死にかけた。だが生き残った。
幸い物覚えは良かったようで、ガゼルはどんどん実力をつけていった。
そして、ガゼルが他の数多の魔人たちと違ったのは、ただ単に強くなるだけで出世できるとは考えなかったところだ。
人間たちを観察しているとよく分かることがある。
彼らは《指揮官》を選ぶ基準が、魔族とは全く違う。
魔族で指揮官と言えば、その部隊で最も戦闘力がある者、というのが通説なのだが、人間たちの《指揮官》というのは一概にそうではない。
人間の《指揮官》本人の戦闘力は皆無と言ってもいいのだが・・・彼が生きているだけで人間軍は精強になり、時にこちらの部隊が壊滅寸前に追い込まれることすらあった。
――《戦略》と《戦術》。
これらの魔族にない人間軍の概念は、脅威と言って問題ないだろう。
丁度一個小隊の隊長にまで昇進したころ、ガゼルは自分の部隊に《戦略》と《戦術》を取り入れた。
ただ正面から突撃するだけではなく、側面からの囮を利用した別動隊による陽動攻撃。
撤退に見せかけて敵の油断を誘い、反転攻勢に出るだまし討ち。
効果は絶大だった。
ガゼルの部隊は小隊から中隊へ。
100年が経つころには中隊から大隊へとなっていた。
数が増える程、指揮の幅は広がり、戦果も上がった。
ガゼルが魔王ヴォルザードに出会ったのはそんな頃だった。
その日、隣の地区を担当していた部隊からSOSを受け、ガゼルの部隊は救援に駆け付けた。
だが・・・、
「――――全滅!?」
彼らを待ち受けていたのはまさに地獄だった。
数百はくだらない魔人の死体。
数千は超えるオークやリザードマンの亡骸。
そしてそこに立っているのはただ一人だった。
「お、ちょっとは骨のあるやつがきたかな?」
長身に、茶髪。
返り血にまみれても輝きを失わない黄金の鎧と、手に握られる虹色の長剣は、どちらも神級の武器であることが予想できる。
そして何より、闘志にあふれた瞳。
ガゼルにはわかった。
―――《勇者》だ。
勇者は今までに何度も見たことがある。
20年に一度程度の割合で見かけるそいつらは、その度に魔王軍に甚大な損害を与えていく化け物だ。
だが、それでも大隊レベルの大軍や、四天魔将などの強力な魔人で当たれば充分に対処ができていた。
――しかし。
この時のガゼルはかつて感じたことのない危険を目の前の黄金の騎士から感じていた。
「オリバー‼ ベック‼ 後退しつつ遅滞行動‼ 撤退までの時間を―――」
こいつには勝てない。瞬時にガゼルはそう判断し、叫び声をあげて撤退を指示しようとしたとき、
「―――セイッ!」
そんな勇者の掛け声とともに、光の飛ぶ斬撃―――勇者特有の《光の太刀》は放たれた。
「―――うおおおお‼」
光速で迫る光の斬撃に、対処は間に合わないと判断し、ガゼルはとっさ剣を構え、全力の魔力障壁を展開する。
「―――うっ!」
光の斬撃の衝撃はかつてないほど強力なもので、魔力をゴリゴリ削られながらも、なんとか威力を相殺する。
「んー。半分くらいは残っちゃったか。中々鍛えられているね」
光が収まると同時に、先ほどと同じ位置で残念そうな顔をする勇者。
その言動に、ガゼルは自身の左右にいたはずの副官たちの姿が無い事に気付く。
長年連れ添った副官、オリバーとベックは、胴から上を真二つに断たれ、死んでいた。彼らですら、光の斬撃をいなすことはできなかったのだ。
彼らだけではない。
大隊のうち、前衛を務めていた3個中隊全部が消し飛んでいた。
100年間ガゼルと共に戦い抜いてきた歴戦の猛者達が、あっけなく命を散らしたのだ。
それも・・・ただの一太刀で、だ。
「―――総員、撤退‼」
ガゼルは叫ぶ。なんとしても自分と、残りの部隊を逃がさなければならない。
「させないよ‼」
しかし勇者は陽気にそういうと、手に持つ虹色の剣を振りかぶった。
そして、
「セイ‼」
掛け声とともに、二撃目の太刀が放たれた。
「―っ―――うおおおおおおお‼」
迫る光の斬撃に対し、ガゼルは再び魔力障壁を展開する。
雷の落ちるような轟音をまき散らしながら、ガゼルの魔力障壁と勇者の光の太刀が交錯する。
「――――くっ‼」
ガゼルは再び後ろに吹き飛ばされていた。
とっさに立ち上がるも、目の前の光景に三度絶望する。
ガゼルの後方にいたはずの残りの中隊も、跡形もなく消し飛んでいたのだ。
「あれ? さっきよりは強めに放ったんだけどなあ。二回も防ぐなんて・・・ひょっとして君が四天魔将とやらかな?」
少々予想外だ、という顔をしながら、勇者はガゼルの方に近づいてくる。
もちろん予想外であったのはガゼルの方である。
肩慣らしも同然に一個大隊を二回の太刀で吹き飛ばす目の前の存在に、対抗するすべなどあるのだろうか。
ガゼルは生き残る策を、頭をフル回転させながら考える。
―――とにかく遠距離戦はまずい。
「――――う――うおおおおおお‼」
ガゼルは既にボロボロの剣を構え、持てる限りのスピードで勇者に突撃した。
距離をとれば光の斬撃でこちらが消耗を強いられるだけだ。
ガゼルは直感的にそう判断した。
「おっと」
再び光の斬撃を放とうとしていた勇者は構えを解き、ガゼルの剣に応戦する。
「へえ、珍しいね。クルス王国流の技じゃないか」
涼しい顔をしてガゼルの剣をいなす勇者。
「はあああああ――ッ‼」
ガゼルは攻撃の手を休めない。こちらが守勢に回ったとたん、一撃でやられることを予期していたからだ。
ガストンから教わった剣術はもちろん、人間たちを観察して独学で身に着けた技も使う。
とにかく攻撃しなければならない。
《生き残る》という点について、ガゼルのこの判断は間違っていなかった。
少なくとも勇者は、「人間の技を使う魔人」という珍しい存在に対しての興味からか、すぐに勝負を決めようとはしなかったのだ。
もっとも、勝負にはなっていなかった。
ガゼルの繰り出す技はことごとく避けられ、いなされ、どれも決定打にはならない。
どころか、ガゼルの剣は、勇者の虹色の剣と触れるたび消耗していく。
武器屋一押しの名剣だったが、勇者の剣と比べればその差は歴然なのだ。
気づくと剣は折られ、ガゼルは地に伏していた。
「いや、面白かったよ。人間の技を使う魔人がいるなんて驚きだね」
勇者は満足げな顏でそう言いながら、ガゼルの首筋に虹色の剣を当てる。
ガゼルの技を一通り見終わって満足したのか、カウンターから攻勢に出た勇者に、剣を折られたガゼルは対抗するすべもなかったのだ。
――ああ、レイアごめん、結局俺が弱いばかりに・・・。
ガゼルは死を覚悟した。
迫りくる首筋の剣を横目に、ガゼルが思うのは妹への謝罪の意識と、自身の弱さへの後悔だ。
「じゃあ、死ね」
勇者が呟いたその時――。
――《それ》が降りてきた。
「―――なに!?」
ガゼルは勇者が急に声色を変えたことは覚えている。
そして、自身の首に添えられていた剣の気配が消えたことも分かった。
だが・・・・。
しかしそれから先、何が起きたか分からなかった。
降りてきた《それ》は、瞬く間に勇者を突き飛ばし、恐るべき速さで勇者を圧倒し始めた。
「ちっ‼ 魔王か‼」
先ほどまで余裕の表情であった勇者は、顏をこわばらせ、叫び声をあげる。
そこから先は一瞬だった。
《それ》は急に腕に魔力を収束させたかと思うと・・・次の瞬間には、すでに勇者の身体は消し飛んでいた。
勇者をここまで圧倒できる存在など一人しかいない―――。
真紅の長髪に真紅の眼光。
痩躯に漆黒の鎧と赤紫のマント。
そしてあふれ出んばかりの《魔王覇気》。
そう、《それ》とは―――もっとも当時のガゼルは初めて見たのだが―――今代の魔王にして歴代最強の魔王、《ヴォルザード・サイアー・ハドリアヌス》だった。
「おや?」
ふう、と一息ついてすぐ、ヴォルザードは地に伏したまま唖然としているガゼルに気付く。
「勇者王を相手に生き残るとは・・・にわかには信じられないな」
ヴォルザードはガゼルに近づき、その顔をまじまじと覗き込む。
「ふむ・・・いい目をしている・・・。若い頃の私にそっくりだ」
「え? 目?」
「君、名前は?」
困惑するガゼルを前に、魔王は興味深そうに尋ねる。
「ガ、ガゼル・ワーグナーです」
ガゼルは何とか体に力を入れ立ち上がろうとする。
そんなガゼルに、ヴォルザードは手を差し伸べ、ニヤリと笑いながらこう言った。
「君と私は同類だ。どうだガゼルよ、共に世界を征服しないか?」
これがガゼルと魔王ヴォルザードとの出会いだった。
●
ヴォルザードはしばらくの間ガゼルを自身の副官として雇用した。
彼の指導は完璧だった。
未だガゼルは未熟であった剣術や魔法、さらには魔族では認識の薄い《戦略》や《戦術》についてのことですら、ヴォルザードは何でも知っていた。
「君の戦闘記録を見たよ。やはり思った通り、君は私と同類だ。剣の才能もある。そのうち何か武功を立てたら軍団規模の指揮官を任せよう」
ガゼルはヴォルザードに言われるがまま強くなり、武功を立てた。
赤龍の討伐や、魔王城奪還作戦などがあったのがこの頃だ。
師団長、北西方面軍参謀長、第五軍団最高司令官など様々な役職を経験し、それぞれの役職でガゼルは必ず一定以上の戦果を挙げた。
ヴォルザードが優秀な指導者であったのと同様に、ガゼルも優秀な生徒だったのだ。
もちろん武勲だけではない。
内政家としてもガゼルの才能は開花した。
もともとそういった内政や、外交などといった細かいことの苦手な魔族は多い。
そんななかで、魔王の知識や考え方を吸収したガゼルはとても重宝された。
ガゼルはほかにも様々な仕事を任された。
ある時は魔王家に敵対する魔界貴族への交渉役。
ある時は人間領への諜報員。
ある時は新兵の教官。
さまざまな経験を経て、ガゼルはぐんぐんと地位を向上させていった。
現在のガゼルは宰相の地位にある。魔王軍にとって代えがたい存在だろう。
《深淵の策士》などという大層な二つ名まで貰い、今や大魔境中にその名を轟かせるガゼルだが、未だに彼の目的、妹のレイアは見つからない。
もちろん、ここまでの地位になるまでにひたすら情報は集め続けた。
どんな些細な情報でも聞き逃さないために、あらゆる魔人と交友を持ち、気配りを忘れなかった。
身なりを整え、教養を磨き、どんな種族の魔人にも気さくに話しかけることを心掛ける。
話しかけられた相手は、そのほとんどがガゼルの会話のとりこになってしまうほど、彼の容姿や声色、話術は巧みだった。
背も高く、色気のある顔で、話も面白い。さらには魔王の腹心である。
ガゼルは多くの女性の注目の的だった。
戦勝パーティ―では数多の女性がガゼルに群がり、彼が手を挙げるだけでで黄色い声援はやまない。
ガゼルはそんな女たちですら利用した。少しでも情報を持っていると思った女には自ら近づき、口説き、時には肉体関係を持ってまで情報を集めた。
しかし・・・それでも有力な情報は全く集まらなかった。
上級貴族とはもはや対等以上の立場になり、ガゼルも色々と探りを入れているのだが、悪政や横領などの不祥事が見つかるばかりで、レイアについての話は何も入ってこない。
魔王軍の上級貴族に買い取られたというワーグナーの話が嘘なのか、この数百年でその上級貴族が死んだのか、他の所に売られてしまったのか――はたまた今のガゼルより上位の魔人が買主なのか―――そうなると相手は限られてくるが―――。
ともかくそんなことを考えていた矢先、ここまで自分を導いた魔王ヴォルザードが死んでしまった。
ガゼルにとって主君の死は衝撃的ではあったが・・・悲しんでいる余裕などは無い。
慌てふためく魔王城内の幹部たちをなだめ、《奴等》に手紙を書き終わり、再び机の上にうなだれこむ。
《奴等》が帰り次第行われるであろう魔王の葬儀と―――《全魔冥宴》。
魔王自身と魔王軍最強の四天魔将、そして宰相のみが出席を許された大魔境最高の意思決定会議。
「はあ―――」
一癖も二癖もある《奴等》を相手にすることを考えると、既に今から気持ちがゲンナリする。
「お疲れの所申し訳ありません。失礼してもよろしいでしょうか」
こんこん、とドアをたたきながら、ミサが部屋に入って来た。
「・・・どうした? 悪いが今夜は付き合ってやれる程ほどの余裕は無いが」
「いえ―――その、ティア王女殿下が面会を求めておられまして」
ガゼルのジョークを軽く無視し報告を行うミサ。
頬を多少赤めつつも、そのすまし顔を崩さない彼女はやはり副官として優秀である。
「―――ああ、そうか。それがあったな・・・・。いや、俺の方から出向くことにするよ。2時間後にそちらに向かうと伝えてくれ」
「かしこまりました」
《ティア・メリル・ハドリアヌス》―――亡くなった魔王ヴォルザードが唯一残した子供―――。
ガゼルより年下であるとはいえ、王女殿下をわざわざ出向かせるのはあまり良くないだろう。
「偉くなってもいいことはないな・・・」
年頃の少女に父親の死を知らせる役目など、役損にも程がある。
ティアとは知らぬ仲ではないが―――直接会うのは久しぶりだ。
聡明な彼女が安らかに父の死を受け入れてくれることを願おう。