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魔王インヘリテンス  作者: Moscow mule
第1章 【ガゼル・ワーグナー】
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第1章 【ガゼル・ワーグナー】①


 今から1500年ほど前だろうか。

 ガゼルが生まれて間もないころ、大魔境は戦乱の時代であった。

 ヴォルザードの父である前魔王が《勇者》に討たれ、一枚岩であった魔族軍は瞬く間に瓦解した。

 軍のいなくなった大魔境に勇者を先頭とした人間たちは我が物顔で侵入し、魔物を殺し、土地を焼き、富を奪った。


 魔族の困窮は数百年の間続いた。前魔王を殺した勇者自体は寿命ですぐに死んだが、新しい《勇者》や《大戦士》、《賢者》などが立て続けに出現したのだ。

 そんな中で、ガゼルとその妹の《レイア》が孤児になったのはそれほど珍しい事ではないだろう。


 数少ない侵略を受けていない街の片隅で、ガゼルは商人の雑用として日々を食いつないでいた。


「おい、ガゼル、こっちの棚の陳列が足りてないじゃねえか‼ さっさと動け‼ 追い出されてえのか!?」


「すみません。すみません。すぐにやりますので許してください」


 雑用、といっても、ガゼルの扱いは殆ど奴隷だった。

 ワーグナーという商人はこの時代にしては恰幅の良い体格をした、細い目に金歯が目立つ邪悪な顔をした男の魔人だ。


「孤児で行く当てもなかったてめえらを、誰が養ってやってると思っているんだ!? 妹を売ってもいいんだぞ!? ゲハハ、てめえの妹は見た目だけはいいからな、きっと高く売れるぞ‼」


「すみません‼ それだけは勘弁してください、何でもしますから!」


「だったら働け‼ このウスノロが‼ てめえには何の価値もないんだからな‼」


「すみません、すみません、頑張りますから」


 薄気味悪い笑みを浮かべながら怒鳴るワーグナーに、ガゼルはただただ頭を下げる毎日だった。



 それでもガゼルが何とかやってこられたのは、やはり妹のレイアがいたからだろう。

 商店から少し離れた小さな家――犬小屋よりいくらかマシな程度の小屋で、ガゼル達はひっそりと暮らしていた。


「お兄ちゃん、お帰りなさい!」


 家に帰るなり、待っていたとばかりに笑顔で兄を迎えるレイア。

 ガゼルはどれほどワーグナーから酷い扱いをされても、家で出迎えてくれるレイアの顔を見ると、また明日からも頑張ろうと決意が出来る。


「お兄ちゃん、またワーグナーさんにいじめられたの? 酷い顏だよ?」


 父親似のガゼルと違って、母親似のサファイア色の瞳で、兄の顔を覗き込むレイア。

 まだ幼さは残るものの、もう少ししたら大層な美人になるに違いない。


「大丈夫だよ、ちょっと俺がミスをしてしまって、ワーグナーさんも怒っちゃったんだ」


 ガゼルは何でもない、という表情で答える。妹に心配をかけるわけにはいかないのだ。


「ほんとに?」


「ああ、本当だとも」


「そっか! よかった!」


 曇らせていた目が明るくなり、再び笑顔をみせるレイア。

 この笑顔を守るためなら、ガゼルはどんなつらい事でも耐えられると思っていた。

 彼にとっての最も大切な、たった一人の家族、レイアはガゼルにとっての全てだった。




 暫くして、レイアが成長すると、売り子として働くようにワーグナーに命令された。

 もちろんガゼルは反対であったのだが、「これでやっとお兄ちゃんを手伝える‼」と息巻くレイアに押されて仕方がなく承諾する。


 レイアがワーグナーに怒鳴られるところなどは見たくなかったのだが、存外ワーグナーは上機嫌だった。

 理由は単純。レイアが売り子になったことで、それを目的に店に来る客が増え、売り上げが増加したのだ。


 レイアは―――美しかったのだ。


 煌めくような銀色の長髪に、明るいサファイアのような瞳。

 まつ毛は長く、目元のラインは可憐で、鼻はすらっとしている。

 痩せ過ぎず太過ぎない体つきは完璧であり、口元から頬にかけて流れるような笑顔は俺だけではなく客の心も癒した。


 そんなわけで、ワーグナーは時々ミスをするレイアを見ても、ガゼルの時の様に怒鳴ったりはしなかった。


「ゲハハ、てめえとは大違いだな、ガゼル‼」


 そんなことを言いながら、ニヤニヤと笑顔を浮かべてその日の売り上げの銭を数えるワーグナー。

 兄としての面目は丸つぶれかもしれないが、ガゼルはそんなことはどうでもよかった。

 レイアも意外と楽しんで仕事をしているし、店の売り上げが上がったことでガゼルたちも少ないながら給金が貰えるようになった。


 ―――いつかお金を貯めて、二人で戦争のない所で静かに暮らそう。


 今までずっと生きていくことだけで精いっぱいだった二人にとって、ささやかながら目標が出てきたのだ。


 しかし、そんな希望はすぐに打ち砕かれることになる。

 その夜、珍しく街の外に使いに出されたガゼルは、数日ぶりに家に帰宅した。


「レイア、ただいま」


 そう言いながら家に入るガゼルだったが、返事はなかった。家の中はもぬけの殻だったのだ。


 ―――珍しいな。


 この時間ならもう店は終わり、いつもはレイアも帰ってきているはずだ。

 頭の中に嫌な予感を響かせながら、ガゼルは店に向かう。


 店自体はもう閉まっていたが、明かりはついていた。ガゼルは店員用の裏口から店の中に入った。


 ――――店の中に、レイアはいなかった。


 いたのはおそらく大金であろう大量の金貨を、机の上で丁寧に数える肥えた男、ワーグナーだけだった。


「―――なんだ、ガゼルいたのか」


 見慣れた邪悪な笑みを浮かべながら、ワーグナーはこちらに気付いた。

 ガゼルは早口で尋ねる。


「ワーグナーさん、レイアを知りませんか? 今帰ったのですが、家にいないのです。私の様にどこか使いに出されたのでしょうか?」


 レイアがどこにもいない・・・・この事実から連想される悪い予感が、ガゼルの頭の中に長々と警報を鳴らしていた。

 ワーグナーは俺の問いに一瞬顔をしかめ―――すぐにまた口角を上げ、ニヤつきながら答えた。


「ああ・・・レイアか。レイアなら―――目の前にいるじゃねえか」


「目の前?」


 意味がよく理解できないガゼルに対して、ワーグナーは机に置かれた大量の金貨を指さす。


「これだよ、これ‼ 300万(ゼニー)だ‼ ゲハハハハ‼ まさかあんなみずぼらしかった小娘が、三年分の店の売り上げで売れるとはなあ‼ ゲハハハハ‼ 良い拾い物をしたぜえ‼」


「―――売った? どういうことですか?」


 顔を真っ青に染めながら、ガゼルはかろうじて言葉を絞り出す。


「そのままの意味だ。てめえが隣町に行っている間に、レイアは売り払っちまったよ‼ ゲハハハハハハ‼」


「――――」


 ワーグナーの笑い声が響く中、内臓が張り裂けそうなほどの衝撃が、ガゼルの身体を駆け巡った。


 ―――こいつは今なんて言った? 売っただと? レイアを? 俺の妹を? 勝手に? 意味が解らない。レイアをただの物とでも思っているのか?


 叫びだしたいことが頭の中を錯綜し、ガゼルの思考は止まっていた。


「ゲハハハ‼ 流石は《魔王軍》幹部の上級貴族だ‼ まさか一挙に300万とは‼」


 衝撃に立ち尽くす俺を前に、高らかに笑い声を上げながら、ワーグナーは小さい布袋をこちらに投げつけた。

 ジャリ、と小さな音を立てて、布袋は俺の足元に落ちる。


「てめえの取り分だ。もうてめえに用もねえ、それを最後にクビだ。ほら、さっさとどっか行きやがれ‼」


 そう吐き捨てると、ワーグナーは再び机に向き直り、うっとりとした顔で金貨を眺め始める。


「妹は・・・・レイアは何も言わなかったんですか?」


 ガセルはやっとの思いで言葉を発する。

 ここでこれを受け取って立ち去れるわけがない。

 なにせレイアはガゼルの全てだ。金に換えられるわけがないのだ。


「あん? あぁ、そりゃ泣きわめいていたよ、最初はピーピー泣いて煩かったなあ!」


 ワーグナーは金貨をつまみながら、思い出すように答える。


「でも途中からは大人しかったぜえ。言うことを聞かないとてめえの兄貴を追い出すっつったら、ぴたりと泣き止んでよう! ゲハハ、あの変わりようは傑作だったなあ‼」


「―――――っ」


 その台詞を聞いた瞬間、ガゼルの中で何かが切れた。

 それは、今までに感じたことのない感情だった。

 ガゼルが今までワーグナーにどのような扱いを受けても耐えてきたのは、すべてレイアのためだ。

 そのレイアが、目の前のこの醜悪な愚男によって失われたのだ。ガゼルの感情がその行き場をなくすのは当然のことだろう。


「うあああああああ‼」


 ガゼルは耐えきれなくなった感情を吐き出すかのように叫び声をあげ、かつてないほどの速さで動き出した。

 目標はもちろん、目の前の全ての元凶の男だ。


「―――っ――てめ―――なにしや―――!?」


「うあああああああああ―――ッ‼」


 猛然と飛び掛かるガゼルに対して、ワーグナーは度肝を抜かれたように倒れこむ。

 ガゼルの立っていた位置から、ワーグナーの場所までは2mもない。

 何も予期していなかったワーグナーに、烈火の如く突進してきたガゼルを対処することはできなかった。

 机の上の金貨はこぼれ、甲高い音を鳴らしながら店の床の上に落ちる。


 ガゼルは倒れこんだワーグナーの上に馬乗りになり、両の腕でがっちりとワーグナーの首元を握り絞めた。


「――――――‼」


 腕に渾身の力を込めると、ワーグナーは音のない声を上げながら、足をジタバタさせ、必死にガゼルを引きはがそうとあがいた。

 普通に考えれば、ガゼルよりも巨漢であるワーグナーなら、力に任せて彼を引きはがすことが出来たかもしれない。

 だが、この日のガゼルは絶対に腕を彼の首から離さなかった。

 怒りと、憎しみ。

 絶対にワーグナーを許してはいけないという思いが、このときのガゼルの身体を突き動かしていた。



 どれほど経っていたのだろうか、気づくとワーグナーの身体は動いていなかった。

 ガゼルが生まれて初めて人を殺した瞬間だった。


 足元で目を白くさせ、仰向けになって動かないワーグナー。

 それをみても、ガゼルに罪悪感は無かった。

 あるのは怒りだけだ。

 ワーグナーに対してでも、レイアを買った上級貴族に対してでもない。

 自分の弱さに対する怒りだ。


 ―――レイアが連れていかれてしまったのは俺のせいだ。俺がワーグナーよりも下の立場だったから、レイアは抵抗もせず、自らの運命を受け入れてしまった。俺を守るために・・・。


「力だ・・・・・・」


 ガゼルは呟く。


 どんな奴の言うことも聞かなくて済む、レイアを取り戻すだけの力が欲しい――――。


 そんな思いを募らせながら、ガゼルは部屋に散らばる金貨を袋につめ、店にはそのまま火を放った。

 彼が長年働いた商店は木造であり、火の手が侵食するスピードは速かった。

 思い返すと一概に辛かったことばかりではないが、特に未練はない。


「火事だ!」


「きてくれ!」


「水だ!水を早く!」


 火事に気付いた近隣の住人が騒ぎ始めるのを尻目に、ガゼルは街を去った。


 目的地は――魔王軍。

 なんとしてもレイアを取り戻すのだ。


 この日から、彼は《ガゼル・ワーグナー》を名乗った。


 これは自身への戒めだ。レイアを救う決意を忘れない為の、そして怒りを思い出すための自分に課した呪縛だ。




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