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魔王インヘリテンス  作者: Moscow mule
第3章 【ティア王女】
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第3章 【ティア王女】⑤

 とりあえず初日なので多めにしました。

 明日から1章ずつ公開していきます。


 ガゼルの仕事の引継ぎは一週間ほどで終わった。


 もともとティアが生徒として優秀であるということもあったが、ガゼルの指導はとても分かりやすく、相当な量であったはずの引継ぎ内容も、彼の口から説明されれば一回で理解できてしまうのだ。


「さて、この資料で引継ぎの内容は終わりですね」


 一週間、毎日通った執務室に向かい合って座るガゼルとティア。


 この一週間はティアにとってガゼルに対する尊敬の念を確固たるものにする濃厚なものだった。


 引き継ぎの内容はそれはものすごい量で、これに加えてガゼルは軍人として前線にも赴くというのだから、やはり彼の能力というのはティアには計り知れない。


 さらには、ガゼルに対する周りの反応だ。どこの部署に赴いてもガゼルの顔をみればそこの部下たちの顔は明るくなり、親しみ深く接してくれていた。


 引継ぎだというと、いなくなってしまうガゼルを惜しみ、時には涙ぐんでしまう者もいたほどだ。


 彼がいなくなってから、自分がその役割を全うできるのかひたすら疑問に感じられる。


 さらに、ガゼルは非常にモテた。

 実際のところ彼がどのような女性関係を持っているかはティアにはわからなかったが、部署に赴く度、出会う女性や、廊下ですれ違う少女。そのほとんどが彼を見るたび恍惚の表情を浮かべていた。

 もっとも、この一週間を経て、今正面に座るガゼルを見つめるティアの表情も、そんな女性たちと大して変わらないものになっているのだが・・・。


 そんな多くの驚きに満ち溢れながら、順調に終わりを迎えようとしていた引継ぎの期間だったが、ティアには一つだけ思い残したことがあった。


 そう、百年前――家具屋で出会った少女が自分だ、と伝えることだ。


 この引継ぎを経てガゼルとは多くの時間を共にしたが、ガゼルはティアのことを思い出すようなそぶりはない。

 あまりにも覚える仕事が多く、話の内容のほとんどが仕事のことだなのだ。

 過去の思い出話など話題には出なかった。


 また、ティアには怖さもあった。


(もしも彼が、昔のことを覚えていなかったらどうしよう)


 そうだった時の失望の顔を、ティアは隠しきれる自信がなかった。

 きっと彼に罪悪感を抱かせてしまうだろう。


「―――あの・・・私の顔に何かついていましたか?」


 唐突にきょとんとした顔でガゼルがいった。


「い、いえ。なんでもないです。その、少しボーっとしていて」


 ティアは頬を染め狼狽する。どうやら考え事をしている間、ガゼルの顔を凝視していたようだ。


「ははは。まあこの一週間、ずっとつまらない仕事の話ばかりでしたからね。疲れているのでしょう」


 小気味よく笑うガゼル。


 今日は先ほどの話で引継ぎも終わり、もう仕事の話はない。

 いつもの通りならこのまま今日は解散して、ティアは用意された上等な宿に向かうことになる。


(でも明日にはガゼルはいないのよ)


 彼は引継ぎの仕事が終わり次第、前線の――第五軍団の司令官としてここを発ってしまう。

 ティアのサポートに、暫くの間は副官のミサ―――副官に副官が付いているというのも変な話だが―――をつけてはくれるが、彼自身は現場が必要としているのだ。


(今が最後のチャンスよ、ティア。しっかりしなさい)


 ティアは覚悟を決めた。


「ガゼル様」


 きっとこわばった表情だっただろう。

 ティアは話を切り出した。


「ガゼル様は・・・その昔―――小さな家具屋で出会った少女のことを覚えておいででしょうか」


「家具屋ですか?」


 顎に手を当て、思い出す仕草をするガゼル。

 その動きは父のヴォルザードに少し似ているかもしれない。


「ええ、かつてその少女は――相当ないたずらっ子でした。物を盗んだり、壊したり。その日も家具屋の綺麗なタンスに、黒いインクで大きく落書きをしていました」


「―――まさか」


 灰色の髪の青年は、徐々に顔に驚きの色を見せる。


「そんな彼女のことを、誰も咎めませんでした。なぜなら彼女は、全世界から恐れられる《魔王》の娘だったのです」


 ティアの声は震えていた。ガゼルは黙っている。


「でもその日は違いました。彼女のことを全く知らない、ある一人の若い青年が、初めて彼女のことを叱ってくれたのです」


 ティアが話し終わると、少しの間沈黙が流れた。

 暫くして、ガゼルは言葉を選んで言った。


「そうか・・・道理で―――。あの時の子が、貴方だったのか」


 表情は驚きをみせているものの、何かに納得したようなガゼル。


(ああ、覚えていてくれた)


 と、ティアが思ったのもつかの間、ガゼルは立ち上がった。


「すると―――どうやら私は、非常に失礼なことをしてしまったようだ。いや若さゆえの過ちというものかな。申し訳ありませんでした」


 そして――勢いよく頭を下げた。


「あっ! そんなつもりじゃないんです! 私はむしろ感謝してて、お礼を言いたくて―――」


 咄嗟にティアも立ち上がる。


「いえ。知らずのこととはいえ、王女様に不敬を働いたのですから、どのような罰で儲ける所存です」


 ガゼルは頭を上げない。

 それはそうだ。普通に考えたら王族を一介の軍人が叱りつけるなど火刑に処される犯罪だ。


「あの、頭を上げてください。私は本当に感謝しているんです。あの時あなたと出会ってなければ、きっと今の私はありませんから!」


 必死に叫ぶティアだったが一向にガゼルは動こうとしない。


(参ったわ)


 元来ガゼルは真面目な軍人であるのだろう。

 どうすればこちらの意図を汲んでもらえるだろうか。


「――わかりました。では罰を与えるので頭を上げてください」


「はい」


 仕方なくティアがそういうと、ガゼルは頭を上げる。

 ガゼルはそれが当然といった顔をしている。


「では、罰を言い渡します」


「なんなりと」


「敬語禁止です」


 ティアは悠然と言い放った。


「は?」


 ガゼルは呆気にとられたような顔をした。

 ここまで常に冷静沈着だったガゼルのそんな表情が見られるとはティアも思っていなかった。


「これから、一切、私に対する敬語の使用を禁止します」


 とっさに思い付いたティアに都合のいい望みだ。


(ここまできたらもうやけっぱちよ)


 もはやそう思っていたティアは、とことんまでガゼルに感謝と誠意を見せるつもりだった。


「――それは、できません」


 困惑した顔で言うガゼル。


「なぜですか?」


「王女が敬語を使っているのに私だけ使わないというわけにはいかないでしょう」


 確かに当然の言い分であるが、じゃあ鞭打ち100発とかのほうがいいのだろうか。

 ティアはそんなこと望んでいないのだが、もしかしたらガゼルが真正のマゾで、そういう趣味の人間だったら、彼のためにも厳罰を処したほうがいいのだろうか。


「それに、それこそ不敬罪でしょう。万が一誰かに聞かれたりしては王族の沽券に関わりますし、他の魔人への対面もあります。また―――」


「あーもう面倒くさいわね。これでいいんでしょ?」


 淡々と理由を述べるガゼルに面倒になり、ティアは口調を変えた。


「私はただ単に―――あの時のお礼を言いたいのと、貴方ともっと仲良くなりたいだけよ!」


 ティアは叫んだ。


「お礼――ですか・・・・やはり恨んでおいでですよね。本当に申し訳ありませんでした」


 またしても深々と頭を下げるガゼル。

 どうやらガゼルは、かつてのことをティアが恨んでいて、100年越しに復讐に来たとでも思っているようだった。


「だから―――違うの! あの時貴方に出会ったおかげで、私は変われたのよ! 感謝こそすれ、恨むようなことは一切ないわ!」


「―――!?」


 ガゼルは信じられないという顔をしている。


「寂しくて、自暴自棄になって悪さをしていた私を救ってくれたのは、貴方の言葉なのよ。環境を変えるには―――自分から変わるしかないって。あなたがそう言ったんじゃないっ―――」


 ティアは半泣きだった。


「本当に、よろしいのですか?」


 慎重な面持ちでガゼルが言う。

 ティアはコクリと頷く。

 もう言葉は出なかった。


「―――ふう――――」


 ガゼルは深くため息をつくと、


「わかったよ、これでいいだろう?」


 そう言って、どさりと椅子に倒れこんだ。

 その額にはどっと汗がにじんでいる。

 まるで今まで仮面を被っていたような、先ほどまでとはまるで違う気の抜けた顔をしながらガゼルが言った。


「今更撤回なんてやめてくれよ? 君が言ったんだからな」


 そう言って額の汗を拭うガゼル。


「え、ええ」


 ティアはあまりのガゼルの変わりように面食らっていた。

「いや、それにしてもここまで緊張したのは久しぶりだよ。10年前、《赤龍》と対面した時以来かな」


「緊張?」


「ああ。だってそうだろう? 100年前に叱り飛ばした少女が、実は陛下の娘で、それが陛下から俺のもとに送られてきたんだ。新手の左遷方法かと思ったよ」


 彼はそう言いながらゴクリと唾を呑む。

 なるほど、ガゼルほど察しのいい人だとそういう勘違いもあるのか。


「貴方を処分なんて・・・そんなことあの合理主義の塊みたいな父がするはずないわ」


 180度変わったガゼルの雰囲気に飲まれながらも言葉を作るティア。

 今の魔王軍に、彼ほど優秀な人材もいないだろう。

 左遷なんてとんでもない。ガゼルを失う損失の大きさは、父のヴォルザードが一番よくわかっているはずだ。


「そうだといいけど」


 ガゼルはしかめっ面だ。


「それにしても・・・驚いたよ。あの時あんないたずらをしていたような子が、こんな立派なレディに成長するとはね。いや、やけに利発そうな子だった気はするが」


「それは―――」


 間を置いてティアが答える。


「貴方のおかげよ。あれから自分から変わろうって決意ができたの。その――本当にありがとう」


 やっと言えた感謝の言葉に、ガゼルは戸惑いながらも笑顔で答えた。


「それはよかった」


 そのあとは二人とも会話が弾んだ。


 ティアがあれから真面目に学問に取り組んだ話や、父にようやく認められた夕食の話。

 ガゼルからは、ヴォルザードの副官になってからの様々な戦闘や冒険の話。


 敬語のなくなったガゼルは、以前のクールで厳格なイメージとは全く違ったが、むしろそれがフレンドリーでとっつきやすかった。

 きっと部下や同僚たちと接するときの彼の素なのだろう。


「さてと」


 気づくと日は落ちていた。まるであの時のカフェでのシチュエーションだ。


「さて、王女殿下様、今日は送らせてもらうよ?」


 おそらくガゼルはかつてティアが見送りを拒否したことを思い出したのだろう。


「ティアって呼んで欲しいわ、ワーグナー将軍?」


 ティアは笑顔でそう答えた。





 ティアは目を覚ました。

 どうやら泣きつかれて眠ってしまったようだった。

 しかし、周りを見渡すと、そこは先ほどまで自分がいた応接間ではなかった。


「あれ、私いつのまに・・・」


 そこは見慣れた自分の寝室だ。


「お目覚めですか?」


 扉の外から声がする。聞きなれた侍女の声だ。


「ええ、入っていいわ」


 そういうと、侍女は寝室に入るなりティアに頭を下げてきた。


「申し訳ありません、入室を禁じられていましたが・・・・あまりにも長かったので寝室の方へと運ばせていただきました」


 どうやらティアは相当な時間眠っていたようだ。


「構わないわ。それより、私はどのくらい眠っていたのかしら」


「丸3日でございます」


 そんなに時間がたっていたのかと驚きつつ、だとしたら新しく事情が動いているかもしれない。


「じゃあ・・・」


「ええ、もう既に始まっているようです」


 そう、きっと開かれているのだろう。今後の魔族の行く末を決定づける最大の会議。


 ――《全魔冥宴》が。


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