第3章 【ティア王女】④
その後、ティアはヴォルザードの副官に任命されることになった。
もちろん断ることもできたが、ティアは即座に承諾した。
(父に必要とされた!)
その感情でいっぱいだった。
その日の会話はとても親子の会話とは思えない堅苦しいものだったが、ティアにとっては初めて父と話したまともな会話だ。
思いがけずに、これまで重ねてきた努力が実ることとなったのだ。
まるで夢でも見ているようだった。
魔王の副官というのは100年ほど前に創設された役職で、ガゼル・ワーグナーという優秀な一兵卒上がりの男が務めていたのだが、どうやらそのガゼルを他の仕事に就けることにしたようで、後任を探していたらしい。
何人か候補もあり、実際に任命したこともあったのだが、誰もガゼルほどの手腕を発揮できなかったようだ。
(どれほどすごい人なのだろう)
聞くと、父のヴォルザードが自らスカウトしてきた人材であるらしい。
長らく見向きもされなかったティアとは大違いだ。
ティアの暮らしていた街から馬車で二時間ほどの街、ディモスには、ひときわ大きな屋敷がある。
この屋敷は魔王旗下の政務府で、ヴォルザードに見出された人材や、文官が仕事をしている。
ガゼルもここで仕事をしており、彼の部屋は屋敷の3階にあった。
仕事を引き継ぎのために、ガゼルの元に訪れたティアは、怖さ半分、興味半分の面持ちで扉をたたいた。
従者は家に置いてきている。
父が自分に見出した価値は娘としてではなく、軍の文官としての価値だろう。
ならば自分も魔王の娘ではなく、一人の魔王軍の歯車としてふるまったほうがいい。
「し、失礼します!」
「どうぞ」
緊張で声が裏返ってしまったが、特に何の変哲もない返事が返ってくる。
ゴクリと唾を呑んで、ティアは扉を開けた。
副官と言っても、魔王の副官であるからには、それなりの地位なのだろう。
彼の執務室はなかなかしっかりとした造りとなっており、壁の装飾や、飾られているレリーフなどがそれを際立たせている。
しかし、その時のティアの目には、そんな執務室の様子など全く気にはならなかった。
ティアの目を釘付けにしたのは、正面に置かれた事務机から、今まさに立ち上がろうとしている一人の青年だ。
「わざわざご苦労様です。僭越ながら魔王ヴォルザードの副官を務めているガゼル・ワーグナーです」
金色にギラつきながらも、やわらかい印象を受ける眼光。
灰色で短く切り揃えた髪。
どことなく色気を醸し出す首筋や耳。
間違いない。
かつて―――あの小さな家具屋で出会った青年だ。
「あ、ええと――ティア・メリル・ハドリアヌスです。この度は引き継ぎの方よろしくお願いします」
思いがけない再会に胸が躍るティアだったが、きっとガゼルは覚えていないだろう。なにせもう100年は昔の出会いだ。
ティアからしたら衝撃的な出来事だったが、きっと彼からしたらほんの些細なことに過ぎないだろう。
(あなたは覚えていますか?)
ティアはそう聞きたい気持ちを必死にこらえた。
ガゼルはそんなティアの気も知らず、微笑みながら言う。
「ではまず―――基本的な仕事について説明しまず。おかけください」
「は、はい」
ガゼルに手招きされるまま席に座る。ガゼルは正面に座っている。
「副官と言っても魔王の副官は通常の副官とは大きく違います」
彼はそういいながら、いくつかの書類を机の上に置いた。
さっそく仕事の話だ。
きっと真面目な性格をしているのだろう。
「基本的に行うのは事務処理です。――私の場合は前線に赴くこともよくありましたが」
「――えっと、私も前線に行くことはあるのでしょうか」
流暢に説明をするガゼルの横顔にどきまぎしつつも、ティアは質問をした。
「それはないでしょう。もともと私が前線の作戦に専念するために探されていた後任ですから。事務処理や行政官理、収支換算などに長ける人材であれば問題はないです」
「なるほど、よくわかりました。ありがとうございます」
「いえ、質問があればその都度聞いて下さい。私のできる限りはお答えします」
恐らくガゼルは、文官のような才覚も持ちつつ、武官としても前線指揮官としても優秀な魔人なのだろう。
次の前線の作戦というのはひょっとすると魔王城奪還作戦だろうか。
「では、一つだけ。その前線の作戦とは魔王城奪還作戦のことでしょうか?」
ティアが言うと、ガゼルは大きく目を見開いて驚いた。
「よくわかりましたね。実は、魔王城奪還作戦に備えて新設される第五軍団の司令官を拝命する予定です」
「!?」
今度はティアが驚く番だった。
副官から軍団の司令官というのは相当な昇進のはずだ。
なにせ現在軍団を持つような将軍は4名の最強の魔人――《四天魔将》しかいないのだ。
つまり、彼は四天魔将か、それに準じるほどの能力の持ち主ということだろうか。
そういうことならば、魔王城奪還作戦の決行もうなずける。
四天魔将級の魔人三名と三つの軍団ならば、充分に人間軍と勇者に対抗出るだろう。
「それは――昇進おめでとうございます」
「いえ、まだまだですよ」
ガゼルは謙遜しつつも、どこかまんざらではないように思える。
相変わらず不思議な人だ。
顔を眺めていると、ガゼルが口を開いた。
「それにしても驚きました。ティア王女は噂通り聡明な方ですね。陛下が推薦するだけはあります」
「いえ、そんな―――」
「それに先ほどから思っていましたが、非常に美しい容姿をしておられる。大魔境中の男達が放っておかないでしょう」
快活な笑顔で言うガゼルだったが、その言葉に瞬時にティアの顔は赤くなる。
実際のところ、既にティアは誰がみても美少女と言っていい容貌に成長していた。
輝かしい金髪と、利発そうな端正な顔立ちは、今日のような質素な服装でも損なわれることはなかった。
「と、とんでもないです!」
ティアは予想外に褒めたてられ狼狽する。頬は真っ赤に染まっている。
(その男達の中にガゼル自身は含まれているのかしら)
自身の見た目についてはそれほど考えては来なかった。
魔王の娘として恥ずかしくないように、身だしなみについては気を付けていたが、その程度だ。
もともと交友関係も広くないティアにとって、面と向かって美しいといわれたのはこの時が初めてだった。
その後、ガゼルから様々な説明を受けた。
副官の仕事は多岐に及んだ。
まず、各地から寄せられる情報や、陳情など全てに目を通すということ。
ヴォルザードが言った「事務処理」とはこれに当たる。
「実はこの作業が一番大変です」
ガゼルが言った。
どうやらこれらに全て目を通したあと、さらにその中からヴォルザードに伝えるべきものだけを選別していくようだ。
「とにかく量が多いんですよ」
『各地』というのは現在ヴォルザードが支配している大魔境の半分にも迫る広大な領地だ。
しかも陳情を寄せるのは魔人ばかりではなく、ゴブリンやオーク、リザードマンなど多種族にわたり、内容もそれぞれ全く違う。
さらには軍内での様々な問題や報告、補給の要請など、簡単には解決できない物も多い。
「基本的に、陛下にまで回さなければならない問題はあまりありません」
ヴォルザードにまで報告する情報は、まず『紫色』の書簡。
これは何事にも優先する緊急事態を意味し、《紫炎書》と呼ばれる。
よっぽどのことでないと使用してはならない。
また、魔王の認可の必要な陳情。
例えば各方面軍の進軍許可や、新興部族の土地の開墾などだ。
ヴォルザードに報告するときには、基本的に伝令を使う。
自身で報告に行く暇があったら他の仕事を進めたほうが効率がいいらしい。
「副官とは名ばかりですね」
ティアは思わずそんな声が漏れた。
普通副官とは、常に上司の傍らにいて、サポートをする役職なのではないだろうか。
「全くです」
あっけからんに言うガゼルと目が合い、思わず二人して苦笑してしまった。
「最初のうちは陛下について各地を回っていたんですがね、色々と仕事をこなしていくうちに任される仕事が増えていって・・・」
ガゼルの言う通り、彼の仕事はこの域に収まらない。
まず、魔王ヴォルザードに報告する事以外の事務処理がある。
これらは全て分類分けして、各専門部門の責任者に送り付ける。
専門部門は、軍事・生産・建築などいくつかあるが、
「如何せん、魔族はこういう行政処理が苦手ですから、自分で処理したほうがいい案件もあります」
ガゼルが説明する。
軍事についてはともかく、内政的な事柄に関して明るい魔族は少ない。
欲しいものは全て力で奪い取るというような一般的な魔族では、何かを壊すことはできても、新しいものを作ることはできないのだ。
「あとは・・・そうそう、新しい部門ができたんです。大規模な事業ですから、実際に責任者のもとに行きましょう」
唐突にガゼルはそう言い、立ち上がった。
ガゼルについていった先は、二階の広い一室だった。
中はなんだか異様な雰囲気で、数名の人はいるものの、目立つのは彼らの前に書かれた魔法陣や、あまり嗅ぎなれない、薬品のような異臭だ。
「あっれえ、ボス。今日はやけに可愛らしい子を連れてますねえ」
少し進むと、声をかけてきたのは三つ目族の女だ。
「パメラ、俺はボスじゃない。ボスは陛下だろう? それに、こちらは今日からお前たちの上司になるお方だ。失礼な口を聞くんじゃない」
ガゼルは慣れたようにパメラと呼ばれた三つ目族の女に指摘する。
「ひえ‼ 新しいお偉いさんでしたか! そいつは失礼しました。《農業研究部》の主任を務めますパメラです。失言をお許しください」
パメラと名乗る女性は勢いよく頭を下げた。
「いえ、気になさらないでください。ティア・メリル・ハドリアヌスです。これからよろしくお願いします」
「―――!? ハドリアヌスってまさか」
「陛下のご息女だ。俺の時のように舐めた態度だと不敬罪で死刑だぞ」
「ひええ! 田舎者でして王女様のご尊顔も知らず、とんだ無礼をいたしました。どうかご勘弁を」
ガゼルの捕捉にパメラが顔を青くしてしまった。
「いえ、気にしないでください。ガゼル様の時のように気軽に接してくださって構いませんわ」
「ははー! ありがとうございます!」
部下に気軽に接してもらえるというのは、ガゼルが彼女らにとって親しみやすい上司だったということだろう。
人付き合いが苦手なティアではあるが、仕事を任された以上、彼のような上司でありたいと思う。
「それで、あの、農業研究というのは・・・」
気になっていたことだ。
パメラは農業研究部の主任だと言っていたが、この部屋の雰囲気的には農業というよりは魔術研究といった方が適格な気がするが。
「あ、はい。では説明させていただきます。ついてきてください」
そう言ってパメラと赴いたのは、一人の作業員の元だ。
作業員はなにやら魔法陣の前で呪文を唱えている。
ティアは聞いたことのない文言だ。
作業員の詠唱が終わると同時に、床の魔法陣は明るく光り輝いた。
魔法が発動したのだ。
「どう?」
パメラが作業員に話しかける。
「うーん、まあまあですかね。成長促進の術式はうまく組み込めたと思いますが、繁殖力強化は前回使った方式の方がいい気がします」
そう言って微妙な顔をする作業員。
ティアには何をしているのかよくわからなかったが、その答えは魔法陣の中心にあった。
光が収まり次第、パメラは魔法陣のへと歩いていくと、その中心から何かを拾った。
戻ってきたパメラが持っていたのは・・・、
「粒・・・・いや種でしょうか?」
パメラの掌の上には1㎝にも満たない小さな黒い種があったのだ。
「正解です。ここでは魔法陣を使って、作物の品種改良の実験をしています」
パメラは得意げに話し出した。
「この魔法陣には、物質に追加の効果を及ぼす術式が組み込んであります」
床の魔法陣はよく見るとティアが見たことのないような複雑な構造をしている。
「遺伝力強化を前提に、成長促進や、繁殖力強化、抵抗力強化など様々な術式を組み込むことで、強力な魔界芋を作ることを目標としています」
「魔法陣でそんなことが・・・」
「ええ、もちろんここまで来るのに長い年月はかかりましたが、今では6種類の作物についてある程度の成功の目途がたっております。あちらは魔界人参の魔法陣ですね。見ていかれますか?」
「是非お願いします」
その後もパメラの案内のもと、いくつかの農作物の研究について話を聞いた。
一通り説明を聞いて、執務室に戻る途中、ガゼルが話し出した。
「この農業研究部門は私が来る前・・・陛下が自ら提案した部門なんですよ」
「お父様が?」
「ええ、魔王軍が抱える最も大きな問題は食糧問題であることが昔からわかっていたのでしょうね」
広い廊下を歩きながら、ガゼルは話を続ける。
「今の魔王軍は正直に言って強い。恐らく魔王城奪還作戦も成功し、大魔境全土を取り戻す日もそう遠くはないでしょう」
「はい、それはわかります」
「しかし、領土が増え、平和になるにつれて人口が増えると、食糧不足が問題となります。そして食料が少なくなったのちに起こるのは、領民の暴動や内戦です。それは何としても避けなければなりません」
これはティアの住んでいた街でも起こりかけていた問題だ。
さすがに魔王のおひざ元で暴動などは起きないと思うが、不安な要素の一つではある。
「そして、大魔境には作物を育てれるような豊かな土地が少ないのです。あるのは荒れた荒野や枯れた大地ばかり。開墾には恐ろしく時間がかかるでしょう」
そもそも開墾のノノウハウを持つ部族が少ない。魔族は生産する作業が苦手なのだ。
「そして陛下が考えたのがこの農業研究部門ということです」
ガゼルの話によると、荒れた土地を開墾することが難しいならば、荒れた土地でも栽培できるような作物を作った方が効率がいいということだ。まさに発想の転換だ。
そのあと、農業研究のほかにも、建築や、林業。兵器開発など、ヴォルザードの指示でガゼルが運用している様々な事業の部署に案内してもらった。
どれも父らしい合理的な方向性をもった事業で、成功すれば大魔境中の安寧に繋がるような素晴らしい研究ばかりだった。
(すごい・・・)
ティアは素直にそう思った。
未来のことを見通して、様々な事業を提案してきた父も、その意図を汲んで事業を進めてきたガゼルも、そのもとで実際に作業をするパメラ達も、本当にすごい。
(きっと彼らのような方がいるから、今の魔王軍はここまで盛り返せたのだわ)
そして彼らを見つけ出してきた父の、魔王としての偉大さに、ただただ感服した。
家庭なんて全く顧みずに父が作り上げてきたもの。
その大きさを、初めてティアは実感することになったのだ。




