差別と区別の境界線
「佐藤教授の講義、休講だってさ。時間あるならお茶しない?」
そうやって彼女からLINEが飛んできたのは徹夜明けの午前九時半。
自分が受ける講義は午後からで、これといってやる事もなかった僕は簡単に返事を送るといつも二人で利用する喫茶店へと足を運ばせた。
僕等が生まれる前から経営しているといういかにもな喫茶店ではあったが、僕等はここの珈琲が好きでよく利用している。
「お、いらっしゃい」
僕が入ると、新聞をめくる手を止めてマスターはにっこりと微笑んで出迎えてくれる。店内はいつものテーブル席に彼女が先に座って待っていただけで他に客はいない。
「目が腫れぼったいけど、又徹夜?」
「課題に追われててね、最近は授業以外は引き籠ってるよ」
そんなやり取りを交わしながらマスターにモーニングを二つ注文すると、
「ごめんねー、生憎モーニングはラストひとつなんだよね」
水を持ってきたマスターが申し訳なさそうに舌をぺろっと出す。
それならば仕方ない、とメニューを開こうとした瞬間、
「そんな訳で、レディファーストで彼女にモーニングを提供しようかね」
その一言が僕の脳内でゴングを鳴らした。
「マスター、それは男女という性に対して明らかに差別だ」
僕の心の叫びに、マスターはこりゃしまったと大笑いしながらカウンターへと戻る。だが、ふと目の前を見ると彼女も笑って僕を見ている。
「今のは差別ではなくて区別だね」
同調してくれるだろうと思っていた僕は思わず面喰ってしまう。
いやいや、それはおかしい。
区別は合理的な差の認識なのに対し差別は非合理的な差の認識だから、これは明らかに差別の範囲だと答えると、
「だったら、ますますもって合理的判断で提供されたと言える訳だよワトソン君」
「レディファーストが合理的判断だとでも?」
ふふん、と鼻を鳴らすと彼女はおもむろに鞄の中から手帳を取り出し先月のページを開いて見せる。そこには事細かにスケジュールが書かれ、この店に来た日もしっかりとチェックされていた。
「この店に対する先月の売上貢献度でいえば、私の勝ちなんだなこれが」
確かに、僕は先月は何かと忙しかったのもあるが外に出るのが億劫で休みの日はほとんど部屋で過ごしていた。
「そう、店側としてはより常連である側にモーニングを提供するのは合理的判断、つまり区別で間違いはないのですよ」
何か解せぬといった感じではあったが、異議を唱えるには僕の中で材料がなかった。
「まぁまぁ、そんな不服そうな顔をしない。代わりにミートスパをご馳走してあげようじゃないの」
「…で、僕は君に何をご馳走すればいいの?」
満面の笑みで僕の肩を叩く彼女に白旗を上げると、彼女は更にニッコリと笑って「そうだなぁ」と口にする。
「今度泳ぎに行きたいから、水着を見に行くのに付き合ってくれればいいよ」
「だったらお安い御用。何処にだって馳せ参じますよお嬢様」
そう言って、僕は夏日に照らされた青空を眺めながら行先はプールにすべきか海水浴場にすべきか頭を悩ませる事にした。
今回の鍵:夏、喫茶店のモーニング、差別