008
戦いの後、ゲオルグ、ジモーネを待っていたのは厄介事の連続だった。蟹を呼び寄せたと難癖を付けられ、疫病神だと罵られ、挙げ句は反逆者だとまで言われた。数多くの証言や記録を利用し、ゲオルグはこれに抗ってみせた。事態は沈静化していく、と思われた。
が、それはアンネリーゼのガレージにて起こった。それは避けようが無かった。何故なら、全ては一つの線で繋がっていたからだ。襲い来る火の粉は、火の元を消さない限りは絶えないのである。
「やれやれ、厄介な事をしてくれる。君達の流した映像記録で我々がどれほど苦労した事か」
「ご冗談を。私共はただただ必死だっただけ。生き残る為に。無害なネズミを追い詰めたのはそちらでしょう?」
ガレージは閉ざされている。辺りは薄暗い。作業時に利用する投光機は可動しておらず、点いているのは広いガレージには頼りない天井からの照明のみだ。
十数名の男達と、ゲオルグ、ジモーネ、アンネリーゼが足元に影を落としながら対峙している。男達はサブマシンガンを所持している。銃口こそ地面へと向けているものの、一秒もせずに撃つ事ができるように構えていた。対してゲオルグは余裕を見せている。
「ネズミ。なるほど。下手に追いかけず、餌でもチラつかせておけば良かったか?」
「そうですなあ。今からでも、餌が頂けるなら喜んで頂きましょう。殺鼠剤で無ければ」
「この状況で餌が貰えると?」
その言葉と共に後ろに並んでいた男達の陣形が僅かに広がる。
「我々を消して全てが誤魔化せるとお思いならどうぞ」
「…………君達を生かして、我々にどのような得が?」
「私も意外でしたがねえ、我々は今やスターだ。ネズミの王様ですな。そこに居る王妃殿下など、アイドルのようですからなあ。何事もなく揉み消せるとはお思いで無いでしょう?」
ゲオルグ達は戦いの後、ジャンク回収の映像を最初から最後まで、完全無編集でネットに放流している。自分達にかけられたあらぬ嫌疑の一切合切を否定する為の証拠として。その結果、ジモーネのどこか抜けた言動を見た一部の市民がコアなファンとなった。ファンクラブも乱立する有様である。そんな彼女達を秘密裏に消す事は、どのような情報統制をもってしても不可能だ。
アイドルにして王女殿下であるジモーネは、アンネリーゼと肩を寄せ合って事の次第を見守っていた。ジモーネは怯え、アンネリーゼは険しい表情の中に微かに諦念を浮かべている。
「面白い冗談だ。アイドルを殺して我々が何か困るとでも?」
「困るでしょうなあ。不可解な野良の動き――此度の件、各勢力が黙ってないでしょう。ここにそれだけの物があり、それをいずれかの勢力が奪った、そういう動きがあれば必ず調べが入り、末端はテロリストとしてトカゲの尻尾切り。定番の流れですな」
「夢見がちな事だ。あまりにも君達に都合が良すぎる。もう少し現実を見た方が良い」
「私が何も知らないとでもお思いですかな? 各勢力、いずれも賢くあられる。仲違い、領土紛争、信仰の不一致、経済摩擦、全て嘘。そんな物は争う為の表向きの理由付けに過ぎない。全てをひっくり返すジョーカーを手に入れる為の。よもや……私がその中心に立つとは思ってもみませんでしたがねえ」
ゲオルグは伊達に十数年、この業界で生きてきていない。自身が情報屋になれる程に情報も仕入れている。今回の一連の騒動が、ゲオルグ達を社会から排除しようとしたモノである事も、早期に把握していた。そして、その目的が何であるかも。
「なるほど……君に餌を与えれば、それらが全て上手く行く、と?」
「保証はできかねますがね。そちらが求めている物を、とりあえずお見せしましょう。撃たないでくださいよ?」
先頭の男が頷くのを見て、ゲオルグはアンネリーゼに声をかけた。アンネリーゼは頷くと、ゆっくりと動き出し、隣の倉庫へのシャッターを開く。ガシャガシャとゆっくり上がるシャッターから光が漏れた。
「この光は……」
「少し触ってしまいましてねえ。以来、昼夜問わずああして光っていて、夜も眠れない。やれやれ困ったものだ……。心当たり無いですかな? 引き取ってくれそうな方に」
太陽のように眩い光が隣の倉庫からこちらのガレージを明るく照らす。光る粒子が雪のようにふわふわと舞い降りては、地面と触れる度に強い光を放った。それは明らかに、普通の照明の類とは一線を画していた。
「……どうやら、我々の探していたもののようだ」
まだシャッターが上がり切る前に男はそう述べた。ゲオルグの軽口に付き合う余裕など、とうに消え失せていた。眩い光を浴びながらも見開かれた瞳は、興奮を露わにしている。
「これがどんなブツなのか……俺は知っている」
ボソリとゲオルグが呟く。ゲオルグの軽口に返す余裕も無かった眼の前の男は、その言葉を聞き取れず、ゲオルグへと顔を向けた。
「要は、これが取るに足らないモノであれば良いのです。あの蟹が大好きで、しかし我々人類にとって不要なものであれば」
「……そんな物が?」
「ありますとも」
姿を表した光る球体は帯状の光と光る粒子を吐き出し続けている。粒子は地面や壁に触れる度に強い輝きを発しながら消えていく。規則性無く放たれる帯状の光の隙間から、その姿をチラチラと見せる球体は、細かな穴の開いた金属の塊だった。
とあるオフィスビル。3メーター程も横幅のある巨大な机を挟んで、二人の男が話し合っていた。おもむろに片方の男がボタンを押すと、全ての窓、そして出入り口である入り口に金属のシャッターが降りた。音はその動きに反して、静かに重い音を返した。
「やはりロストテクノロジーを掴んでいたようです」
「それは確かな情報か?」
「いえ、しかし装甲厚の高い小型コンテナを仕入れたという情報を入手しました」
「多数の兵、そして特注の小型コンテナ、か」
とある薄暗いの大部屋。辺りにコンピューターの光がちらつく中、数人の男達が半径5メーターほどの円卓に座っている。
「随分と厳重な……」
「兵を惜しみなく使う」
感心したような声が上がる。
「隠す気は無いようだ」
円卓の右半分でそういった言葉が交わされ、もう片方では別の話が進んでいた。
「この分なら大勢には影響せぬな」
「うむ。情報を隠しているつもりらしいが、使用したコンテナから大体は割れている。小型のコンピューター、恐らくは通信端末」
「フリーが規格外のジャミング下でシティガードに通信したと聞くが……」
「恐らくはな」
「なーるほど、種が割れたね」
そこは普通のオフィスビルだった。画面を見て嬉しそうに言う若い社長、秘書と思しき女性が社長へと向き直る。
「どうなさいましたか?」
「いや、気にしないで良いよ。これを聞かせたら君を殺さなくちゃいけなくなる」
楽しげにそう語る若社長。
「は、はい」
秘書は浮かべていた笑顔を一瞬で凍り付かせ、半歩、足を引いた。
「だから彼の通信はシティガードに届いたんだなあ」
慌てて自身の耳を塞いで顔を伏せる秘書。彼女に見えるように若所長は軽く手を振った。
「あははは、大丈夫大丈夫。君を死なせるような事を、僕が言う訳無いじゃないか!」
秘書は若社長の様子を見て、恐る恐る手を外すと、引きつった笑顔を浮かべた。
「はい。ご配慮頂き誠に恐縮でございます」
「あはは、硬い硬い。まるで蟹のようにね。あの蟹は通信特化だったからなあ」
各勢力が断片的な情報を入手してはその内容を推理していく。
「通信端末? そんな物を取り戻す為に規格外が動くのか?」
一部はそれを疑問に思いながらも、本格的な抗争を恐れて二の足を踏んだ。
結局、それぞれが信じたい物を信じ、この探り合いは幕を閉じる事となった。
通常開店中のアンネリーゼのガレージにて、三人、と見知らぬ男が一人居た。
「うおー、本物のジモーネちゃんだ!」
軽く苦笑いを浮かべながら手を振るジモーネに男は大歓喜した。ガッツポーズを取る度に体が軽く浮き上がる程に興奮している。
「見世物のように思われちゃあ困りますな。お互い初対面同士。礼儀という物が必要じゃ無いですかな?」
男がゲオルグを凝視してプルプルと震えている。以前までのゲオルグの常識では、この後に相手が激昂するというパターンが多かった。しかし最近は少し事情が変わってきている。
「出たああああ! 口調コロコロゲオルグ兄貴!! あれ言ってくださいよ、野郎、ぶっ殺してやる! って!」
「……そんな言葉は一度も口にした事は無いですなあ」
「マジっすか!? じゃあアレで! 俺の言う通りにしろってやつで!」
「……それも言ってないですな。というか、それを聞いてどうするおつもりで?」
「仲間に自慢します!」
「やれやれ……芸能人になった覚えは無いのですがねえ。注文が済んだのなら帰ったらいかがですかな? 凄腕の工房長に機体を預けに来たのであって、我々に会いに来た、なんて訳は、よもやありますまい?」
「え~? いやー、それは……」
男が言い淀む。どう言い繕おうとゲオルグとジモーネを見る為にここに男は来たのである。最近になって普通よりもかなり割高になったこの店に。普通なら選ばない店だが、それをアンネリーゼの前で言う事ははばかられる。
「……っていうかね、ゲオルグ! あんたが帰りなさいよ! なんでそんなトコで携帯食かじってる訳?」
色々と作業をしていたアンネリーゼがついに声を上げた。珍妙な会話は作業中のアンネリーゼの耳にもしっかり届いていたのだ。
「おや、つれないですな。友人が家に遊びに来るのはそうおかしい事では無い筈。でしょう? ジモーネ嬢」
「え? あ、はい、お友達です♪」
「……フォォォオオオ!? くぁぁぁぁぁぁわいぃぃぃぃいいいいいッ!!」
「アンタも注文済んだんだから帰りなさいよ! アンタは友達じゃないでしょ!」
「ええぇぇ!? ちょ! マジっすかあ!? いや、もう、友達っすよ! 一緒のガレージで機体直す仲っすよ!? そんでアンネさんは俺の機体直してくれる工房長! ほら、もう友達じゃないっすか!」
「どこがよ! そんなヤツ腐るほど居るわ! っていうか、アンネって呼ぶな! ほら、帰った帰った」
「ええええええ!? マジっすか? えええええ? これマジっすか? あー、これちょっと本気で悲しいんスけど」
「はあ……ちゃんと徹底的にメンテしといてあげるから」
「……さすがジモーネちゃんのお友達っすね。アンネちゃんマジ天使!」
「帰れ!」
男が肩を落としながらも、工房貸与のオートバイにまたがる。この辺りの道は公共のバスなども充実しているが、町外れのガレージなどと同じようにアンネリーゼの工房でもオートバイを貸し出していた。
「……お友達だからオートバイを借りちゃう、みたいな」
「ないない」
男は悲しげに瞳を潤ませて去っていった。
「はー……これじゃかえって客減るわよ」
「すまんな」
「ん、しょーがないでしょ。っていうか、携帯食、ちゃんと全種類、一本残しといてよね」
「大丈夫です! 布教用の他にプレゼント用もありますから!」
「そりゃ良いわ。最近どんなのが来るか楽しみでね」
先程までのやり取りが嘘のように和気藹々と交流する三人。
そんな三人の足元、13メーター地下で、多孔質の球体がふわふわと浮き上がっていた。何十枚も重ねた鉄板の箱の中で、球体は思い出したかのように輝く粒子を放った。