ハルコさんと私
私、豆畑 千春の祖母ハルコさん(おばあちゃんって呼ぶと怒られた)が、希望が丘駅前商店街で経営していた「美容室まめはる」は両親が共働きの私にとって、もうひとつの帰る場所だった。
もっともハルコさんは「孫に激甘のおばあちゃん」ではなく、店の掃除など子供ができそうなことはどんどんやらせる人で、時には友達と遊びたくてケンカもしたけれど結局私は「まめはる」が好きだったので、店の手伝いはよくしていた。
それに、私はハルコさんのやわらかな手が軽やかに私の髪の毛を整えていくのを鏡越しに見るのが好きだった。
中学の校則で長い髪はみつあみ、と決まっているのを知ると、私に「きれいでほつれにくいみつあみの仕方」なるものを一人で出来るように特訓してくれたのはハルコさん。
だけど、私が高校に進学してしばらくした15歳のある日、65歳のハルコさんが「もう“まめはる”は閉店だよ。これからの私は旅と趣味に生きるんだ」と宣言し、驚く両親と私を尻目にさっさと店を閉めると1年の半分は海外旅行に費やすという悠々自適の生活に入った。
だけど、「まめはる」は閉店しても私はハルコさんのところに顔を出した。ハルコさんのほうは「千春、彼氏とデートとかしないのかい。若いのに情けない」などと言いつつも、私が好きなケーキを用意してくれた。
成人式のあとに、顔を出したら「孫と飲めるなんて嬉しいねえ」と、とっておきだよと純米大吟醸「星の空」を勧めてくれた。「星の空」は今でも私のお気に入りだ。
そんなハルコさんが体調を崩してそのまま入院してしまい、見舞いに行ったある日。私は雑談ついでに自分の夢を話した。
「ハルコさん、私さ今の職場が嫌いじゃないんだ。指名してくれるお客様はいるし、ヘアメイクの仕事も増えてる。ありがたいんだけど、なんかお客様とじっくり向き合えてない気がするんだよね」
「そりゃ、千春を指名して人がいっぱい来るからだろ」
「まめはるみたいに、お客様とじっくり向き合う店っていいよね~。まあ、夢なんだけどさ」
私がそういうと、ハルコさんは「そうかい」と言ったきり黙って考え込んでしまい、私を「ちょっと考え事があるから、千春はもう帰りなさい」と病室から追い出した。
ハルコさんが亡くなったのは、私が見舞いに行った1週間後だった。仕事がたてこんで間に合わなかった私は、お葬式のときに号泣してしまった。
しかし後日、私はプレッシャーと衝撃で涙が引っ込んだ。
「孫の豆畑千春に「美容室まめはる」の店舗兼住宅を遺す。同時に店の改装費用として・・・」
ハルコさんは私に「まめはる」を遺していた。