三
人の通ることのない路地裏は、闇に包まれていて、まるで地獄へと誘う入り口の様に見える。
その路地裏から抜ければ、そこはうってかわって明るい世界だった。
まだ夜中とは言えない時間なだけに、人の通りも激しい。仕事帰りのサラリーマンや遊び終わって家に帰ろうとしている学生でごったがえしている。
だが、だれも地獄への入り口で起きていることを知らない。
それは……
「てめぇ、女だったら食事の1つでも作りやがれ! 仕事ばっかやってっと、モテねーぜ!」
嘲笑するかのように怒鳴る長身痩躯の男の大声に、
「女が食事を作らなきゃならなねぇなんて、誰が決めたんだよ。差別してんじゃねーぞ、コラ!」
その細くて白い肌に、腰まで伸ばした艶のある黒髪を頭の上で一つに結び、風に躍らせている姿からでは想像ができないほど、やたらと口の悪い女の声が、行き交う人々の視線を一瞬にして集めている。
そんな二人のやりとりに近づく人がいるわけもなく、約五メートル離れた所から歩きながらじっとみているだけである。
二人のケンカと、後方の地獄への入り口が、人々の足をそれ以上彼ら側には進ませないのだ。
そして、ケンカはさらにヒートアップする。
「女がそんな口の悪いききかたしていいのかよ!?」
「女、女って、男も女もカンケーねぇだろうが!」
そして、いがみ合う2人の前に、地獄からの使者が現れた。
もちろん、そんなものいるはずはなく、ただの人間である。
「そのくらいにしておけ……」
本当に地獄からの使者だと紹介されても、納得してしまいそうな黒づくめの陰気な男が、二人のケンカを仲裁する。
その言葉をきっかけとして、二人はふんっと背中を向け合う。
これがいつもの日常だった。街へ来るときの遊びと言ってもいい。
「けど、やっぱり女は綺麗な方がモテますよ」
「お前も差別をするか!」
女が睨むと、闇から出てきたもう一人の、陰気な男とは正反対な、陽気な男がまいったと言うように両手を胸の前に出す。
ケンカがおさまり、その場が静かになると、街を歩く人の視線も進行方向を向くようになる。
「終わったんだろ。だったら帰ろうぜ!」
「ああ……」
四人はそれから物音一つ立てず、まるでそこにいないのではないかと思うほど、静かにその場を去った。
二十分ほど歩いて辿り着いた所は、闇に包まれた倉庫の前だった。
街を外れて周りは一面のアスファルト。そして、その片隅には、人が住むには役に立たないだろう廃家があった。もともとそこは牛小屋だったのか、なかなかの広い空間だが、それを見て人は寄ってくることはない。いつ壊されてもおかしくはないものだった。
その廃家の中は、外と比べるほどぼろくはなかった。
多少の誇りと柱の古傷が目に付くが、生活するにはそれほど問題はなかった。掃除をすれば誇りはなくなるし、古傷もそれで柱が倒れてくるほどでもないものだ。
四人がここに住み始めてから、もう一年が経っていた。
お互いの性格が分かり始めていた時期でもある。もちろん、自ら本音などを話すことはないが、一年も共に生活していれば、自然に分かってしまうのものである。
路地裏の前でケンカしていたのも、本気ではない。ただの遊びなのだ。
四人とも歩き疲れた身体を、口も聞かないまま、座ることで休ませている。部屋に静寂が訪れた。
その静寂は、四人の中で唯一女であるナツのひと言で破られた。
「あいつ、最期になんて言ってた?」
その言葉は、路地裏にいた陰気な男に向けられる。
「命乞いをしてきた……」
「もちろん、最期まで聞きませんでしたけど」
彼の言葉に満面の笑みで付け足しをしたのは、共にいた陽気な男、フユだった。
「でもよ、あんな芝居やってて、俺たちが犯人って気付かれねーか?」
「僕たちはプロだ、心配はいりませんよ、ハル」
ハルと呼ばれた路地裏前でナツとケンカしていた男は、その大きな身長と体格に似合わず心配性である。
ハルとナツはいつでも暇つぶしにケンカしているが、今回は、全てシナリオだったのだ。
街の人を路地裏に近づけないための芝居である。
そして、その二人のケンカを止めた、陰気な男の名はアキという。いつも冷静で何を考えているのか分からない。
「プロ、か……世の中には最悪なプロもあるもんだな」
「殺し屋という仕事が最悪だと思うのか、テメーは?」
「うっせぇよ。警察にとっては厄介な組織だろうよって意味だ!」
「特に僕たち『殺し屋・四季』はね……」
「なんにしろ、警察に我々が捕まることはないということだ」
『殺し屋・四季』というのが4人のグループ名である。その名の通り、裏世界では有名な組織で、よく依頼される。
一ヶ月に四・五回はくるだろう。
四人の本名の中にそれぞれ別の季節が入っていることに気付いたナツが、コードネームを決めて、組織名もそれにちなんで四季と名付けたのだ。名付け親はフユだが、皆その名前に文句はないらしく、そのまま改名されることはない。
案外安易に考えられたのだった。
「そう言えば、前に突っかかってきた少年くん、生きてるみたいですよ? アキ、ちゃんと殺しました?」
「へぇ、珍しいこともあったもんだなぁ。お前が殺して生き残れる奴がいるなんてよ」
「て、抜いたんじゃねーの?」
「いや、確かに殺したはずだ。生き残れるはずはない。人違いだろう」
とは、言ったものの、ナツの情報は十中八九間違いない。自分でも本当に死んだのかは確認していなかったが、しかし、殺したはずである。
もし、生きていたとすれば、そうとう運がいいか、やはり、ハルの言った通り手を抜いていたのかも知れない。
「今度そういうことがあったら、依頼の三回分は任せませんからね」
フユが手の指を三本立てて、ニヤリと顔をほころばせる。
「ああ……」
アキは、付き合っているのが面倒だと言うような顔をしながら、返事をする。