二
食堂には夕食時間とは思えないほど、人がそれほどいなかった。
皆はルームサービスなのか、それとも、ここの近くにあると教えて貰ったレストランにでも言っているのか、それほどうるさくならずにすむと、望は内心ほっとした。
何故、ほっとしたのかは分からないが、そんなことを考えていても仕方がないために、指示された席へと腰を掛けた。
五・六人掛けのテーブルで、まだ班の人達は来ていないらしい。
移動中に紹介された吉岡トオルという男が、望の隣に座る。その前に綾音が座り、辺りをキョロキョロと見渡している。
「そう言えば、皆瀬さんはカウンセラーと聞いたけれど、吉岡さんは何を担当されてるんですか?」
名前と歳は紹介されたのに、担当の職種を聞いていなかったことに、望は思い出す。
「ああ、僕は栄養士だよ」
「栄養士って俺には全然関係ないんじゃないですか?」
「あ、さっき説明不足だったかなぁ? 担当の班を決めたって言ったけど、実は班って最初から決まっているんだよねぇ」
そういうと、綾音は立ち上がった。
「そんなことより、みんな来ないから先に食べてよう! 何がいい?」
そんなこと言われてもと、悩んでいると、
「そこにメニュー表があるよぉ」
一通り目を通してめぼしいものを口にする。
隣にいるトオルはランチBを選択していた。
「じゃあ持ってくるね」
彼女の行動は早い。
別にいい、自分でやると声を掛けようと思った瞬間には、もうカウンターのあたりにいた。
「まったく、行動力が早いのはいいけど、話を終わらしてから行って欲しいよね……」
半ば呆れ顔をしたトオルが、
「で、さっきの話の続きなんだけど」
と、話を繰り出した。
「僕たちは就職してから少しして、あらゆる患者が診れるように、バランス良く職種別で班が決められているんだ。グループ同士の仲も悪いと困るからって好きな者同士で組んでるわけ。だいたいが四・五人の班だけど、例外もあるかな。ちょっと珍しい患者が来ると、急遽別の班からそこの班にいない職種の人とかが呼ばれることもあるんだよ」
長い説明の上に、理解ができないでいると、トオルはごめんといった感じで話を止めた。
「まあ、望くんには栄養士がいなくても平気なんだけど、別にいても悪いわけじゃないから、ただいるだけ。ま、カウンセラーじゃないけど、女性に言えない話があったら、相談に乗るから。それくらいはできるしね」
トオルはクスっと笑った。
「何、何の話し?」
三人分の食事を難なく持ってきた綾音が興味津々に聞いてくる。
いや、こっちの話しとトオルが流すと、綾音も大して気にした様子もなく、望とトオルの前にトレイを置いていく。
それから自分も椅子に座り、食べ始めようかと思いきや、目の前の、二人のトレイに目が泳いでいる。
「あたしも、望くんと同じスープスパにすれば良かったかな?」
今更後悔しても……と思ったが、まだ口に付けていために、交換もできる。望はそう綾音にそう言うと、
「ううん。あたしは、この海老フライが食べたかったから、大丈夫! それに明日だって食べられるしね」
だったら始めから言わないで欲しい、と望は内心毒づいた。
それから、保護センターのことや、患者のことなどを色々聞いた。勉強になったことも多くあった。
何故、ここで働くことを決めたのかまで、綾音は語ってくれた。
話しに夢中になっていると、
「これ、もーらいっ!」
と、いきなり綾音がトオルの海老フライを奪い取る。
「ちょっ、綾音! 僕の海老フライだろ!」
「いつまでも食べないからいらないのかと思ったの!」
「まだ自分のがあるだろう!」
「いいの〜」
半分涙目になりながら、トオルは海老フライを取り返してもらうよう抗議に出るが、ダメと綾音は一歩も譲らない。
海老フライを持ったまま手を右左へと動かしていく。
「おっと、いいもの貰い!」
綾音の箸から海老フライを取り上げ、有無を言わせぬ速さでそれを口に含んだ男は、彼女の隣へと腰を落とした。
そして、前にいる望に向かって一瞬笑みを浮かべた。
「あ〜、あたしの海老フライ!」
「お前のじゃなくてトオルのだろ」
いや、人のだと分かっているのにそれでも食べるって……と、望は呆れた。
「トオル、ゴチ!」
しっぽだけになって返ってきた海老フライに向かって、涙でうるんだ瞳を向ける。
「って、なんでトオルのだって知ってんのよ! いつからいたわけぇ?」
「お前がトオルの海老フライを奪い取るところは、この俺の1・5の視力でばっちりと見たがな」
「だったらなんでもっと早くにこないの?」
そう言ったところで、彼の前に置かれているトレイに気が付いた。
そうだ、あたしらがさきにご飯食べてたんだ、と綾音は今更ながらに思い出す。
「あの、ふたりは高校からの知り合いで、保護センター公認のベストカップル第二位に入っているだよ」
海老フライの逆恨みからか、トオルがわざと聞こえるように、言わなくてもいい他人の事情を望に耳打ちする。
当然、綾音は反応し、トオルの頭をポカポカと叩く。
彼女の彼氏という目の前の男は、全く気にした様子はない。
「二位? じゃあ一位は?」
「一位は当然……」
「あら、もうみんな来てたの? じゃあ私も夕食頼んでこないとね」
そう言って現れたのは、白衣姿の千尋だった。
「千尋さんですよ!」
「ん? 何が?」
「保護センター公認、ベストカップルの話です」
何の負い目もなく、トオルは軽く口にする。
「あぁ。私たちは、カップルとは又違うわね。例えるなら絆の深さ、でしょ」
さすが年上なだけあって、綾音とは反応が違う。
千尋はそれだけ言い残すと、カウンターに歩いていった。
「千尋さんと、ここの社長は夫婦なんだよ」
「それで、公認……」
望は呆れて良いのか感心していいのか、分からなかった。
「おっと、俺の紹介がまだだったよな。俺は、新井耕治。情報担当だ。よろしくな、望」
新井耕治と名乗った男は、剽軽に握手を求めてくる。
望はそれに答えるべく、手を差し伸べた。
千尋が戻ってきたのはそれから五分もかからぬうちで、皆で夕食を楽しんでいた。
最初は面倒だと思った望も、いつしか、この温かい雰囲気に包まれて笑顔が浮かぶようになった。
知らない人といきなり食事をして、自分の過去さえ覚えてないのに、何を話せばいいのかと悩んでいたが、保護センターで働いているだけあって、望のことを気遣ってくれているのだろう、と自然に皆と話すことが楽しくなる。
夕食の時間はあっという間に流れて、食堂も閉まる時間になった。追い出された5人は、やることもなく自分の部屋に戻ろうとする。そして、それは望も同じだった。
四人とは反対の方向に部屋がある望は、じゃあ、とひと言だけ言って踵を返した。
「待って。これを渡しておくわ」
千尋が、五枚ほどのA4のプリントを望に手渡す。
何だろうと確認する望に、
「明日からの予定表。診察とか色々あるからね。ほとんど部屋を動かなくてもいいんだけど、時間帯とかもあるから、渡しておくね。一通り目を通して置いて。それじゃあお休みなさい」
ニコリと笑みを浮かべて、千尋は踵を返して歩きだす。
後ろでは綾音が大きく、お休みと手を振ってくる。
望は手を軽く挙げるだけで返答した。
部屋に戻ってきた望は、渡されたプリントに目を通した。
十分ほどして読み終えて、そのままベッドに横になって疲れた身体を休めるために、寝ることにした。起きていてもやることがないのだと、洋のことは考えていてもしょうがないと、そう思いながら、自然に夢の世界に入っていく。