第三話「影の後継者」 12
「ああ、久しぶりだな。ミナーシェ」
ゼルリックは右手を挙げながら、気さくな笑みを浮かべて歩み寄ってきた。
「元気にしていたか?」
「ええ、皆も変わりありませんよ。ただ、フーレンスさんが隊長の分も忙しそうにしてますけど」
「そうか……もう、長いこと留守にしていたからな。ルトレー」
「は、はいっす」
急に名前を呼ばれた少年は、背筋をピンと伸ばしながら若干上擦った声で返事をした。どうやら、彼も隊長の前では結構緊張してしまうらしい。ゼルリックは姿勢を正した彼を力強い眼で射抜くように見つめながら、
「仕事、しっかりやってるか?」
「も、勿論っすよ」
「サボったりはしていないな?」
「し、してないっす」
ここ最近はワタシへの指導で職務を免除されている筈だが、それでもかなり動揺している辺り、以前に思い当たる節があるのかもしれない。だが、厳格そうな雰囲気の隊長は明らかに怪しい彼を深く詮索するような真似はせず、
「よし、それならいい……さて」
と、ワタシの方へ向き直ると、その表情を僅かに緩めて、
「マナミさん、お久しぶりです」
ワタシは彼に小さく頭を下げて、
「は、はい。お久しぶりです」
「話は城の方で聞きました。どうやら、大変な目に遭ったようですね」
ゼルリックは深刻そうな表情を浮かべて、
「体の具合は?」
「あ、もう大丈夫です。多分」
「そうですか、それは良かった。しかし、十分に気をつけて下さい。いつ、敵が襲撃してくるかも分かりませんから」
「……はい、分かりました」
無難な言葉を返しつつ、ワタシはそれとなく相手の様子を観察する。着用している紅の軽装鎧は泥やら何やらでひどく汚れていて、顔つきも前に比べてやつれている。真っ赤な髪にも、何となく艶がなかった。どうやら、かなり疲労の溜まる生活が続いているようだ。
――でも、それは本当に任務のせい?
疑問が脳裏を駆け抜けた瞬間、フーレンスから聞かされた彼の考えがふと思い出される。もしかすると、ゼルリックが影の継承者かもしれないのだ。
『勿論、私はマナミさんに、隊長を絶対に信じるな、と言っているわけではありません』
『彼が造反者であるというのは、全て私の推測に過ぎませんから。全て私の取り越し苦労という事も、十分に有り得ます』
『ただ、取りあえず知っておいて欲しかったんです』
――そんな事言っても、一度疑ってしまったらずっと意識してしまうじゃない……。
脳裏で鮮明に再生されるフーレンスの声に、ワタシは心中で溜息をついた。
――けど、やっぱり信じられないのよ……この人が裏切り者だなんて。
改めて、ワタシはゼルリックの顔を見つめた。二心を抱いているにはとても見えない、壮漢で気高き面持ち。鎧の下から覗ける体は逞しく、彼がどれだけ自らに厳しい訓練を課しているか、直接訊ねなくても察せられるほどだ。確かに、一日だけ言葉を交わしたくらいで、他人の性格は容易に分かるものじゃない。少なくとも、ワタシにそんな眼力は無いだろう。けれど、ゼルリックの振る舞いには、確かな気品と高潔さが自然と滲み出ているように思えた。それがワタシの勘違いであるとも、どうしても考えられなかった。
本当は、疑いたくない。信じていたい。
けれど、『もし』が現実であったなら、危険な目に遭うのはワタシ自身。
「……何か、私の顔についていますか?」
「え?」
ふと我に返ると、ゼルリックが不思議そうに目を瞬かせながら、こちらを見つめていた。どうやら、色々と考えすぎていた所為で、今までずっと彼を凝視していたらしい。
「い、いえ。すみません……」
「ん、そうですか」
腑に落ちない、というような表情を一瞬浮かべたものの、彼は深く追求してはこなかった。
「そうだ、隊長も一つどうですか?」
おもむろに声を上げたミナーシェは、地面に置いてあった紙袋を再び抱えると、ゼルリックの前に差し出した。
「おお、それじゃ一つ頂こう。ちょうど小腹が空いててな」
彼はしばらく悩んだ後、カレーパンを袋の中から取り出し、食べ始めた。腹が減っていた、というのは本当の事だったようで、ゼルリックは一分も経たないうちにそれを完食してしまった。ただ、食べ方自体はルトレーのようにガッツリしておらず、丁寧なものだった。
彼が食事を終えたのを見届けた後、水色髪の青年は口を開いた。
「そういえば、隊長はどうして戻られたんですか? 極秘任務の方は」
「ああ、そちらの方はまだ継続している。ただ、急を要する事態が起きてな」
――急を要する事態?
物騒な響きの含まれた発言に、ワタシは思わず身構えてしまう。
「国王からも、その件を勅命より優先して対処するように告げられた」
「それで、本部に戻られたんですか」
「まあ、そういう事だ」
「一体、何なんすか? その、急を要する事態って」
「それはだな」
ルトレーの問いを受け、ゼルリックはワタシ達三人を見渡しながら、重々しい口調で、
「現在、この王都で暗躍している『影の継承者』という集団については、もう知っての通りだと思う」
――影の継承者。
その単語を耳にした時、ワタシの全身にゾクリと悪寒が走った。どうしても、その言葉を聞くと黒マントの人物を思い出してしまう。
「……よく知ってるっすよ」
青髪の少年がワタシにチラリと横目を向けつつ、普段よりも低い声色で口を開いた。
「ソイツらのせいで俺達、とんでもない目に遭ったんすから」
「マナミさんも狙われましたしね」
ミナーシェから話題を振られ、ワタシは小さく首を縦に振った。
「あの時は死を覚悟したわよ、ホント」
「ボクも参りましたよ」
彼は苦笑いを浮かべて、
「まんまと陽動に引っかかってしまった時は、冷や汗かきましたし……隊長、もしかして、彼らに動きがあったんですか?」
「ああ、その通りだ」
「まさか……」
と、クシャクシャ髪の青年はワタシを指さして、
「また、コイツが襲われたりするんすかね?」
「いや、今回の件に、マナミさんが関係しているかは分からない」
「それじゃ……」
ミナーシェは神妙な面持ちで考え込みながら、
「今度のは別件、という事ですか?」
「ハッキリとはいえない。が、現時点では関連性が見当たらない」
「一体、どんな事態になってるんですか?」
痺れを切らし、ワタシはゼルリックに訊ねた。すると、彼はこちらに向き直って、
「マナミさんはアズリード祭について御存知ですか?」
と、突拍子もない質問を投げかけてくる。だが、ワタシが口を開く前に、ミナーシェが答えた。
「あっ、さっきはその話をしていたんですよ」
「ん、そうだったのか。それじゃ」
「はい、大体の事はマナミさんも既に知っていますよ」
「そうか。それはちょうど良かった」
二人の反応から察するに、アズレード祭とは先ほどの話題になっていた『精霊アズレードを崇めるお祭り』の事らしい。
――でも、何でお祭りとアイツらが関係するわけ?
どうにも、接点が思い浮かばない。胸の中で、ワタシは自然と首を傾げていた。
「隊長、早く教えて下さいよ」
ワタシと同様、早く話の内容を知りたがっているらしいルトレーが急かすように言う。
「前置きが長すぎですって」
若干生意気な言動ではあったが、ゼルリックはそれを咎める事もなく、
「ん、すまん。それでは本題に入るが」
と、小さな咳払いをした後、真剣な表情でこう告げたのだった。
「都を騒がせている影の継承者……彼らが、アズレード祭を襲撃する予定だとの情報が入ったのだ」




