第三話「影の後継者」 7
次の日の朝。昨日と同じく寝ぼけ眼を擦りながら、ワタシは兵舎を出た。今日の天気は曇りで、日光が地面まで届いていないせいか、仄かに空気も湿っている。その事が更に、ワタシの覚醒を妨げていた。
――んー、まだ眠い。
もう少し熟睡していたいのは山々だが、一刻も早く魔法を習得しなければと自分に言い聞かせる。フーレンスから指示を受けて指導を行っているルトレーだって、もうワタシの到着を待ち続けているかもしれない。
――でも、アイツ。大丈夫かな。
不気味な宮廷魔術師――ヴォリアンが去ってからも、少年の様子が元通りになる事はなかった。結局、彼がそういう状態ではワタシも練習を続けられず、昼食時である事を名目にして、ワタシ達はそのまま別れたのだ。
――結構、へこんでいたっていうか、色々と思い詰めてるみたいだったし。
朝の挨拶を交わしたら、その後に何て声を掛けよう。変に励ましなんかしたら、逆効果になってしまうかもしれないし。色々と悩み続けたが、結局は何も思い浮かばず、そうこうしているうちに目的地に着いてしまった。
――あれ?
だが、野草の生い茂る庭に佇んでいる人物を目にし、ワタシの脳内には多数のハテナマークが出現した。一方、相手はワタシの到着に気がついた様子で、パラパラとめくっていた手元の本から視線を上げ、
「やあ、おはよう」
と、片手を上げて爽やかに挨拶してきた。ワタシは慌てて軽く頭を下げ、
「……副隊長、おはようございます」
そう。そこにいたのはルトレーではなく、フーレンスだったのだ。
「昨晩はグッスリ眠れましたか?」
「はい……でも、どうして副隊長がここに? ルトレーは」
「ああ、今日は私が空いた時間を取れそうでしたから、彼には休息を取るよう昨日のうちに伝えておいたんですよ。それじゃ、時間も勿体ないですし、早速始めましょうか」
「あ、はい」
「では、まず先にこれを渡しておきます」
と、彼は先ほどまで自身が読み進めていた書物をワタシに差し出してくる。その本を受け取った後、ワタシはそれをしげしげと眺めた。少し表紙の絵が色褪せていて、ページも微かに黄ばみ始めているものの、そこまで年代物の品というわけでもなさそうだ。
「この本は、私が魔術を習い立ての時にお世話になったものなんですよ」
「……そうなんですか?」
顔を上げて訊ねると、彼は穏やかな笑みを浮かべたまま、ゆっくりと頷いた。
「はい。色々と初心者が躓きがちなポイントに関して詳しい解説が載っていますし、魔法の入門書としては最適だと思います。貴女に差し上げますよ」
「えっ、頂いてもいいんですか?」
「構いませんよ。もう私には必要がない品ですから。さて、そろそろ練習の方に入りましょう」
あれから。フーレンスの指導の下、ワタシは魔法を扱う訓練を行った。青髪の召喚術士と比べて年を取っているためか、人にものを教える事に慣れているためか、或いはその両方か、とにかく彼の教えはとても的確で分かりやすく、とても参考になるものだった。時には口頭で間違いを指摘し、時にはワタシに与えた書物のページを開きながら説明し、時には自身が手本を披露した。
そして、空が夕焼け色に染まる頃。ようやく、練習の成果が少しだけだが現れた。ワタシの足下に、僅かな時間だけだが赤い魔法陣が浮き上がったのだ。
「ん、二日目にしては上出来じゃないですか」
「いえ、でもすぐに消えてしまって」
俯くワタシに対し、彼はパチパチと手を叩きながら側に歩いてきて、
「良いんですよ。最初は皆、同じような所からスタートするんですから」
「……ありがとうございます」
「ところで、もう夕方ですね。今日はそろそろ、お開きにしましょうか」
「あ、そうですね……あの」
一つ、気になる事がずっとあったワタシは、それを彼に訊ねてみる事にした。
「ん、どうかしましたか?」
「昨日、ワタシ達の所にやってきたヴォリアンって人についてなんですけど」
その名を出した途端、フーレンスの顔が僅かに険しくなったのを、ワタシは見逃さなかった。
「彼ですか。例の事については、既にルトレーから話を聞いていますよ。昨日、貴女達に接触しにきたらしいですね。ワタシの方に連絡は来ていませんでしたので、恐らくは正式な手続きを通さずに、でしょうが」
「……そんな事して、お咎めとかないんですか?」
「多分、あったとしても厳重という名の軽い注意を受けるくらいでしょう。王国内での地位は彼らの方が上ですし、『謀反の疑いがないか調査する為、事前連絡無しで視察した』とでも何とでも理由はつけられます」
「……そうですか」
やはり、宮廷魔術師の権威は絶大らしい。
「それで、彼がどうかしましたか?」
「あ、はい。あの人の事についてなんですけど」
そう前置きして、ワタシは自分の胸の内を明かした。ワタシの前に二度も姿を現した謎の人物と、ヴォリアンには幾つかの共通点が見いだせるという事。その為、もしかすると彼らが同一人物ではないかと疑っている事。つまり、ワタシの素性を影の後継者に流している『内通者』は、ヴォリアンでかもしれないという事。
全てを話し終えた後、フーレンスは腕組みをして、しばらく神妙に考え込んでいたが、やがて、
「まさか、そんな訳がありませんよ」
と、ワタシの推測を首を振って否定した。
「え、どうしてですか」
てっきり肯定してくれるとばかり思っていたので、ワタシは少し戸惑った。すると、彼はワタシを真っ直ぐに見つめて、やんわりと諭すように、
「マナミさんがヴォリアン殿の事を好ましく思わない理由は何となく察しがつきます。ですが、彼はアーゼンロイス王国に仕える優秀な魔術師で、これまでも幾度となく国の発展に貢献してきました」
「でも、副隊長も仰っていたじゃないですか。城の内部に裏切り者がいる可能性があるって」
「ええ、ですがそれはあくまで可能性の話です。勿論、ヴォリアン殿を全く嫌疑の目で見ないのも良くありませんが、ただ……彼の場合はこれまで王家に尽くしてきた実績がありますし、第一に国を裏切るメリットが現段階で見当たりません」
「メリット?」
「はい」
フーレンスはオウム返しの問いにコクンと頷いて、
「ヴォリアン殿は近い将来、宮廷魔術師達の長として着任する事になっています。つまり、魔術師としてはこれ以上ない出世が確定しているんですよ。そんな彼が、今まで地道に積み上げてきた評価をふいにしてまで、この国に弓を引くと思えますか?」
「……それは」
ワタシは反論出来ず、言葉を濁した。彼の考察は、確かに一理あるような気がしたからだ。そのまま、ワタシが何も口にしないでいると、
「……マナミさんの気持ちも、分かりますよ」
彼はワタシに同調するように、小さく首を縦に数度振った。
「ヴォリアン殿については、私も好意的な印象を抱いてはいません。ですが、見掛けや雰囲気だけで、相手が犯人かどうか判断するのは、些か早計です。それに、私としてはむしろ……」
――むしろ?
聞き捨てならない言葉に、ワタシはフーレンスへと顔を向ける。その時、しまった、というような表情を一瞬だけ彼が浮かべたのを目にした。
――何か、隠してる。
瞬時に、直感する。一方、フーレンスは彼の普段からは想像もつかないほど慌てた風に、
「あっ、今のはちょっとした言い間違いです」
「……『むしろ』って、どういう事なんですか」
「いえ、ですから」
「お願いします、ワタシ知りたいんです」
じっと、ワタシはフーレンスの顔を見つめた。元々が細目であるせいで、彼の瞳は瞼の裏に隠されてしまっている。その色も、どんな心境なのかも、目の前にいるワタシには想像がつかなかった。
しばらく、フーレンスはワタシの問いに答えようとせず、沈黙を保ち続けていた。だが、意を決したように表情を改めると、今にも沈みそうな夕日に視線を移し、真剣な響きのこもった声色で告げた。
「……マナミさん、これから私のする話は、くれぐれも内密にして頂けますか?」




