第一話「残業帰りに召喚されて」 2
――召喚。
非現実感溢れる単語を聞いたにも関わらず、ワタシは自分でも驚くほどに平静を保てていた。現実を直視出来ていたわけではない。驚きはした。心は未だ、足下がおぼつかないような浮遊感に苛まれてもいる。
――でも、あんな経験した後じゃ、信じざるを得ないし……。
現実世界で突如出現し、ワタシをこの部屋まで連れてきた魔法陣の事を思い出す。あれは常識の範疇を超えた代物だった。あんな物を見せられ、地面に引き込まれるという特異な体験をした今、殆どの非現実的な事実を鵜呑みに出来るような自信がある。
――とにかく、色々と情報を聞かなきゃいけないわよね。
まだまだ、この世界には謎が多い。少し頭を巡らせた後、ワタシは水色の髪をした好青年に質問した。
「ここは一体どんな世界なんですか?」
すると彼は困ったような笑顔を浮かべて、
「どんな世界……と言われましても、僕はこの世界以外の世界は知らないので」
「あっ……そうですよね」
「ただ、世界の名前はカルデミアといいます」
「カルデミア……」
妙にファンタジーチックな名称だなと思ったのは内緒だ。
「そして、ここはアーゼンロイス王国の都『アズレード』です」
「アーゼンロイス王国? アズレード?」
話から察するに、どうも中世ファンタジーっぽい社会のような気がした。
「はい、ちなみに僕達が立っているのは、アズレード城の内部なんですよ」
「城の中……って事は」
彼の言から一つの推測が浮かび、ワタシは恐る恐る質問を重ねる。
「もしかして、この城って王様が住んでる場所だったりします?」
青年は平然とした調子で頷いた。
「はい、そうですよ」
一瞬の静けさの後。
「えええええ!?」
「ど、どうしたんですか?」
いきなり大声を上げたワタシに対し、青年が慌てたように声を掛けてくる。一方、強烈な混乱状態に陥ったワタシは、心を落ち着けようと試みつつ口を開く。
「一体、貴方達って何者なんですか!?」
国王の生活する城。その一室に集まっている彼らは、恐らく平凡な一般市民というわけでもないだろう。だからこそ、その正体がひどく気になり始めていたのだ。
「僕達は……」
青年がワタシの問いに口を開きかけた、その時。
「そこから先は、私が話をしよう」
と、別の人物が彼の言を遮った。威厳と高潔さに満ちた低い声を発したのは、一番目の男だった。三人の中で最も年長のようで、歳は恐らく三十代くらいか。先ほどの青年と同じく紅の鎧を身につけているが、彼と違うのは、その衣装が随分と様になっている点だ。頭髪が装備と同じ燃えるような赤色なのもその一因となっているのだろう。背も一番高く、体つきも随分と引き締まっていて、歴戦の勇士といった風格を漂わせている。腰には立派な剣の鞘を帯びていた。顔立ちは凛々しく、リーダーシップに溢れていそうだなという第一印象を抱いた。
男性は黒い瞳でワタシを真っ直ぐに見据え、真剣な面持ちで口を開いた。
「私の名はゼルリック。アーゼンロイス王国特務隊『エリュシール』の隊長を務めている者だ」
「特務隊……えりゅしーる?」
イマイチ素性が理解できずに頭を捻っていると、横から先ほどの青年が助け船を出してくる。
「要するに、国王直属の特殊部隊みたいなものですよ。エリュシールっていうのは隊の名前です」
「あっ、何となく分かりました……けど」
また一つ新たな疑問が頭の中に漂い始め、ワタシは眉を潜めながら口を開く。
「その特殊部隊の方々が、どうしてワタシなんかをここに召喚したりしたんですか?」
「うむ、その事について話すと少々長くなるのだが」
そう前置きしたゼルリックはゴホンと大きな咳払いをした後、事の経緯を語り始めた。
エリュシールという部隊は最近になって設立されたもので、その大きな理由は大陸の情勢が変化した事にあるらしい。王国周辺の数国が軍備を強め始めたのだ。彼らに対抗するため、アーゼンロイス王国を始めとする比較的穏和な国家群も戦力の増強を余儀なくされ、エリュシールの創設もそういった動きの一環らしい。また、前々から国内の治安が悪化の一途を辿っていた事も関係しているそうだ。隊は内外から集められた選りすぐりの人材で構成されており、一人一人が実力のある戦士なのだという。
「そして、ここからが貴女に関係する事なのですが……失礼ですが、お名前は?」
「あっ……マナミっていいます」
そういえば、まだ名乗っていなかったと思いつつ、ワタシは今更ながらに自己紹介をする。姓は日山なのだが、今は名前を伝えるだけで十分だろう。ゼルリックは小さく頷いて、
「マナミさん。貴女がこの部屋へと召喚された理由は、私達が王の命を受けて行った実験の所為なのです」
「実験?」
「はい。『実力や資質を兼ね備えた人物を異世界から招き、我が隊の力となってもらう』という試みでした」
「それって……」
彼の発言を頭の中で噛み砕きながら、ワタシは呟く。
「世界を超えた勧誘行為……みたいな?」
「そうですね、そんな感じです。大まかにいえば」
横から、水色髪の青年が相槌を入れてくる。
「で、でも。ワタシ……」
困惑が胸中に広がっていく感覚を覚えつつ、ワタシは頬を掻きながら言う。
「剣とか扱えないし、戦いだって出来ないんですけど」
平和な日本で生まれ育った、ごく一般的な社会人女性二十五歳。そんなワタシが、腕っ節が強いメンバーばかりの特殊部隊で役に立つとは、とてもじゃないが思えなかった。
「はい、それは我々もひどく承知しています。見たところ、貴女は粗暴な争いとは縁のない女性のようだ。もしかすると、発動させた術式に不備があったのかもしれません。何しろ、参考にしたものが古い文献だったもので……」
と、ゼルリックは気品ある咳払いを一つついた後、ワタシを力強い黒の瞳で見つめながら言葉を続けた。
「とにかく、貴女は責任を持って、元の世界へと送り返します……おい、ルトレー」
不意に、彼は誰かを呼んだ。好青年の名だろうかと思ったが、どうやら違ったらしい。今まで会話に加わっていなかった一人の少年が、彼の呼び掛けに反応するかのように肩を僅かに震わせた。恐らくは彼らの中で最も最年少で、十代後半くらいだろう。背は他の二人に比べて低く、ワタシより僅かに高い程度だ。青い髪はファッションのつもりなのかあらゆる方向にツンツンと伸ばされており、やんちゃそうな顔立ちも相まって、どこか軽薄そうな印象を受ける。だが、何故かゼルリックや青年と違って、彼は紅い鎧ではなく茶色いローブを身にまとっていた。小脇には古ぼけた書物を挟んでいる。その風貌は何となく、よくゲームの広告で目にする魔術師を連想させる。
――って事は、もしかしてコイツがワタシを召喚した?
「……はい、なんすか」
心の中で推測を巡らせているうち、ルトレーと呼ばれた少年が歳相応の幼さが僅かに残った声色で口を開いた。そのどこかバツの悪そうな口調に、ワタシは一抹の不安を覚える。
そして、案の定。この予感はすぐに現実のものとなった。
「この方を、今すぐに元の世界へと帰してさしあげろ」
「……無理っす」
「無理?」
忽ち、ゼルリックが目の色を変えた。青年もわずかに動揺の色を浮かべた。ワタシもガツンと脳天をハンマーで殴られたようなショックを受けた。
「どういう事だ、それは」
「どういう事って言われても……」
まるでミスを咎められた新入社員のように、ルトレーは抱えていた書物を手に取ってブラブラと振りつつ、途方にくれた声で言った。
「だって、書かれてないんすよ……送還用の術式」