第二話「フレアイとキッカケ」 8
「う……あ……」
声を上げようとするものの、恐怖感のせいか、全く悲鳴らしい悲鳴が出ない。ただ、口をパクパクさせるのが関の山だ。
しかし、混乱している状況でも一つの事実だけはしっかりと把握していた。
――コイツ、あの時の……!
顔はフードの陰に隠れて分からないものの、その靴とマントには見覚えがあった。間違いない。あの火事現場で倒れ、意識が朦朧としていた時、ワタシの目の前に現れて意味深な言葉を呟いた、あの人物だ。
あの時は目線を上げなかったので、全身を見るのは今回が初めてだ。だが、両腕を始め全身の殆どをフードやマントに包んでいるため、その外見は全く伺い知る事が出来ない。
「フフフ、そう怯える事はない」
相変わらずの無機質な、性別すら判別のつかないような声が寂れきった町に響きわたった。微風に揺らめくマントも相手の不気味さを際だたせていて、ワタシの全身に緊張が走る。
しかし、恐怖心に飲まれるわけにもいかない。震える気持ちを何とか奮い立たせ、ワタシは口を開いた。
「……アンタ、お婆さんを操ってた犯人なわけ?」
「そうだと言ったら?」
はぐらかすような、それでいて面白がるような口調で、謎の人物は質問に質問を返してきた。
「住宅街に放火したのもアンタでしょ。一体、何が目的なの?」
「くくく、目的か」
相手は何故か忍び笑いを洩らした。
「目的は君だよ。それ以外に、あるわけがないだろう?」
「え……?」
思わぬ返答に、ワタシは驚愕した。
「ワ、ワタシ……?」
「そうさ」
「けど、どうして」
「それを知る必要はない」
と、フードの人物は這うような動きでじわじわと近づいてきた。
――逃げなきゃ。
その思いが脳裏をよぎった途端、根を張ったように動かなかった両足に力が戻ってきた。にじり寄ってくる相手の姿を視界に捉えたまま、ワタシは後ろにじりじりと下がる。
だが、フードの人物が何やらぼそぼそと呟くと、ワタシの全身はまたもや硬直してしまった。
――え?
逃げようと、四肢に力を込めようとする。だが、意志とは裏腹に体が言う事を聞かない。
――もしかして、これも魔法なの!?
愕然としているうちに、謎の人物はとうとう目と鼻の先までやってきていた。
「さて……」
距離が狭まった事で少しだけフードの中が覗けるようになる。その中で、相手の口元に邪悪な笑みが浮かんだのが見えた。また、マントの中からも白い手が伸びてきて、ワタシの額にかざされる。
「期待にそえるだけの力を持っているか、それともただのガラクタか……確かめさせてもらうとしよう」
――確かめさせてもらう?
意味心な発言をした後、謎の人物は再び何らかの文章を唱え始めた。ややあって、眼前の掌からほの白い光が溢れ出す。その目映い霧がワタシの顔を包み込んだ途端、強烈な感覚が全身に走った。
――な、何よコレ……?
まるで、体の奥から得体のしらない力が強制的に解放されるような、そんな感覚。何らかの魔法を掛けられてしまった事は明白だが、それがワタシの体に一体どんな影響を及ぼしているのか、検討もつかない。
考える余裕すら、無かった。
――熱い、熱い、熱い……!
一体、ワタシのどこにこんな熱気が秘められていたのだろう。まるで、体内に灼熱の太陽が灯っているようだ。汗が滝のように皮膚から迸り、湯気までもが全身から立ち上っている。明らかに異常だ。
「さあ、どんなものか。見せてもらおうか」
「う、く……」
――このままじゃ、マズい事になる。
何となくだけれど、そう直感した。だから、今にも溢れ出しそうな身の内のエネルギーを、何とか抑え込もうとした。けれど、どうすれば止められるのか分からず、必死の抵抗虚しく、段々と体内に存在する扉が確かに開かれていく。
そして、遂に全てが弾けた。
「い、いやああああ!」
絶叫が口から飛び出た瞬間、ワタシの視界を覆ったのは燃え盛る炎だった。
――え?
怯んだ相手が自分の身から離れたものの、ワタシの関心は別の所にあった。一体、この火はどこから発生したのか。フードの人物がワタシを焼き殺そうとして、狙いを誤ってしまったのか。だが、すぐにその考えが間違っていた事に気がつく。
何故なら、全身を炎が包み込んでいる事に気がついてしまったからだ。
――何で、火が、ワタシの、中から……?
そして、一度開いてしまった扉の中から、今までずっと抑えられてきたエネルギーが一気に放出されていくような、先ほどよりも更に激しい感覚が全身を襲う。
――ダメ、制御出来ない……!
刹那、勢いよく噴射した炎の奔流が、フードの人物に襲いかかった。
「くうっ!」
相手はとっさに身を翻したものの、着ているマントの一部が焼け焦げてしまう。だが、フードの人物は一向に慌てた様子もなく、
「まさか、これほどまでとは……予想以上だな」
と、むしろ現在の状況を喜んでいるような口振りで独り言のように呟いた。
「まあ、些か強烈過ぎる感もあるが。それはむしろ、好都合というものか」
「何……ぶつくさ……言ってんのよ」
「ふむ、そうやって少しは強がる余裕もあるという事か。なるほど、器としてもそれなりのものを持っているな。これで取りあえず安心出来る」
「だから、訳分かんない事ぐちゃぐちゃ……と……!」
ほざいてるんじゃないわよ。そう叫ぼうとしたものの、最後の方は掠れて声にならなかった。喉が痛い。目が痛い。胸が痛い。腹の中も、頭の中も、足の爪先から髪の毛の先まで、全てが痛い。
体の内から炎で焦がされるように、絶え間ない苦痛が身を蝕んでいた。
そして、その灼熱の波動は徐々に、体の芯から皮膚へと、外へ出ようとせり上がっていく。
衝動を止める術は、知らなかった。
「……ぐ、ぐうううっ! ああああっ!」
口から内蔵を吐くかのような勢いで飛び出したのは、甲高い絶叫。いや、それだけではない。先ほどよりも勢いの強い炎の柱が何本もどこからともなく飛び出し、それらはまるで生き物のようにうねりながら、敵へと襲いかかる。
「むっ!」
突然の事に、マントを羽織った人物は僅かに動揺したような声を洩らすものの、意図せずして発生した攻撃がその身を焼く事はなかった。素早い詠唱で作り出された魔力の障壁が、相手の体を完璧に護ったからだ。簡単に弾き返された火柱は全て、空気中で最後にいっそう激しく燃え上がった後、消え失せてしまった
。
そして、かなりの負担がかかっていただろう体に、そのツケが回ってくる。最早、立っているだけの気力も残っていなかったワタシは、その場に力無く膝をついた。
「力に飲まれ、暴走したか……無理もないな」
一方、平然とした様子の相手は、独り言を呟きながら、身動きも取れないワタシの方へゆっくりと近づいてくる。
「だが、その方が好都合だ。予定より早いが、作戦を実行に移すとするか……」
逃げなきゃ、と思っても、既に体は言う事を聞かなかった。
――誰か、助けて……。
マントの奥から露わになった腕がワタシの方へと伸ばされようとした、その時だ。
「……くっ、タイミングの悪い」
相手は急に手を引っ込め、ワタシの体から素早く離れた。
――どうして?
疑問が頭をよぎった瞬間、紅と蒼の残像がワタシの横を掠める。
誰なのか、すぐに分かった。
――ミナーシェ!
「はあっ!」
走り抜ける勢いのまま、彼は槍をフードの人物めがけて繰り出す。そのただでさえ鋭利な先端には、目に見えて分かるほどの強烈な冷気がまとわりついていた。相手は間一髪でその攻撃を避け、二言三言呟いた後、その姿が消え去ってしまう。どうやら、逃げ去ってしまったらしい。
「怪我はないですか!?」
安全を確認した後、慌てた様子で駆け寄ってくる青年の姿を見て、ワタシは心中に深い安堵の気持ちが広がっていくのを感じた。
そして、張りつめていた糸が切れたのをきっかけに、意識は途絶えた。