第二話「フレアイとキッカケ」 6
目覚めた時、ワタシは柔らかなベッドに寝かされていた。
「……あれ?」
戸惑いつつも上半身を起こし、周囲を見回す。清潔な感じがする簡素な部屋で、半分ほど開かれた窓から入ってくる穏やかな風が白いカーテンを揺らめかせていた。眩しい日差しが室内を明るく照らしている事から考えると、どうやら時刻は日中らしい。寝台側の木製テーブルには水差しと中身の入ったコップが二つ置かれていた。片方は満杯だが、もう片方は半分ほど量が減っている。椅子にも少し引かれた形跡のある事から察するに、どうやら誰かがワタシを看病してくれていたらしい。
そこまで考えて、ようやく自分が助かっている事に気がついた。
――ワタシ、まだ生きてるんだ……でも、お婆さんやあの子は大丈夫かな。
安堵と不安が綯い交ぜになり始めた矢先、ドアノブがガチャリと回されて、誰かが入ってきた。いつの間にか伏せていた顔を上げると、まず目に入ってきたのは特徴的な水色の髪。
「ああ、目が覚めたんですね。良かった、昨日からずっと眠りっぱなしだったんですよ」
ミナーシェはホッとしたような笑顔を浮かべ、ゆったりとした足取りで近づいてきた。
「ええ……」
「本当に良かったです。そうそう、体の方は心配しなくていいですよ」
彼は椅子へ腰掛けながら、
「ここの癒し手さんに診てもらいましたけど、打撲が少々みられる程度で、火傷とかもないみたいです。どこか、痛むところとかありますか?」
「ううん、ちょっと体が重いくらい……でも、お婆さん達は」
「安心して下さい。多少の怪我や火傷はあるみたいですけど、二人とも命に別状ないみたいです。後遺症も全くないとか」
その発言に、胸のつかえがスーッと晴れていった。
「良かった……でも、どうしてアタシ達、助かったのかしら」
「ルトレーのお陰ですよ」
「え?」
それから聞いた話によると、建物の中にワタシ達が閉じこめられた後、ルトレーは老婆を騎士に引き渡した後、全速力で駆け戻ってワタシ達を助ける為に尽力したのだそうだ。魔力の使いすぎと体の無理が祟って、今は兵舎の方で死んだように眠り続けているのだという。
「僕も少し遅れて応援に駆けつけたんですけど、彼、かなり頑張ってましたよ」
「そうだったの……あ」
あの少年に帰ったらお礼を言おう。そう考えたところで、またもや別の疑問が頭に湧いてきた。
「ミナーシェ、お婆さんの事なんだけど」
話を切り出した途端、彼の表情が強ばったので、ワタシはひどく驚いた。
「えとね、彼女、様子がおかしかったの。どうしてか知ってる?」
「……その事についてですが」
ミナーシェはコホンと小さな咳払いをして、
「彼女はどうも、操られていたみたいなんです」
「……え?」
発言の意味が分からず、ワタシはつい間抜けな声を出していた。だが、徐々に時間が経っていくにつれ、あの温厚な老婆の豹変した理由がようやく分かってきた。
「操られていたって、どうやって?」
「恐らく魔法の一種でしょう」
深刻な表情のまま、彼は答えた。
「炎に包まれた家から逃げなかったのも、貴女に襲いかかったのも、彼女の意志ではありません。第三者から命令を受けていたんです。今は城の魔術師達のお陰で解放されていますが、かなり長期の間、術をかけられていた痕跡がありました。少なくとも二週間以上は支配下にあったと思います」
「二週間以上って……」
その言葉の意味する事を悟った瞬間、背筋を不気味な悪寒が走り抜けた。
「つまり、昨日ワタシ達と出会った時には、もう誰かに操られていたって事?」
「そうなります。ルトレーが気がついていなかった以上、かなり高度な技術で隠蔽していたみたいですね」
――あんなに、穏やかに話してたのに……。
まさか、という思いが強いものの、ミナーシェの性格からして、彼が嘘を言っているとは思えない。となれば、やはり事実なのだろう。
「けど、一体誰がそんな酷い事を」
「それは僕達にも分からないです。ただ……」
と、ミナーシェはその爽やかな声を普段に比べて一段と低めた。
「ただ、フーレンスさんは『火事騒ぎを起こした者と彼女を操った者は同一人物』だと考えています。ちなみに、僕も同じ考えです。今回の騒動、どこで火が起きたのか未だ判明してませんから」
「あ……」
なるほど、住宅街で突如火災が発生した理由が不明なら、それと結びつけるのも自然だろう。
しかし、そう考えると一つ不可解な問題が浮上してくる。
「でも、何が目的だったんだろう」
老婆を操り、家屋を燃やし、それで一体何を得られたというのか。それが全く検討もつかなかった。
「さあ、それは僕にも想像がつかないです。ルトレーも心当たりはないと……マナミさんはどうですか?」
「ワタシ? ワタシも心当たりは……」
無い、そう言いかけたところで。
――どうやら、間違いではなかったらしい、な。
あの、不気味な声の主を思い出す。
「あっ!」
「ど、どうしたんですか。いきなり大声を出して」
「実は……」
虚を突かれた様子で仰け反ったミナーシェに、ワタシは意識を失う寸前に見た人物について話し始める。全てを語り終える頃には、彼の面持ちは再び険しいものに戻っていた。
「それは怪しいですね」
「でしょ? 周りを炎に囲まれて逃げ道も無かったのに、やけに落ち着いてたの。それに、あんな場所にいた事自体が変よ」
「ええ……念の為に聞きますが、見間違いじゃないんですね?」
「うん」
ワタシはハッキリと頷いた。いくら目が霞んでいたとはいえ、あれほど鮮明に見たものが幻覚だとは思えない。聞こえてきた声も、幻聴と考えるには強烈過ぎた。
「そうですか……」
まるで独り言のように呟いて腕組みをした後、ミナーシェは下を向いて思案に耽り始めた。しばらくして顔を上げた彼はワタシの目をジッと見て、
「取りあえず、その人物を見た者がいないか、後で聞いて回ってみます。消火作業にあたっていた魔術師達や人を追い払っていた騎士達の誰かが、もしかすると覚えているかもしれませんから。顔とかは見ていないんですか?」
「あっ、ごめん。そういうの確認する前に気絶しちゃってたから」
あの場で地面に伏せていなければもっと良質の手掛かりを手に入れられていたのかもしれないと思うと、ワタシの心に強い後悔が押し寄せてきた。
「ただ、コートの裾と靴は見た。どっちも黒だった筈」
「黒、ですね。声は男と女、どちらでした?」
「……それも分からないの。無機質で変な感じだった」
「うーん、もしかすると魔法で加工していたのかもしれませんね」
とにかく、今はゆっくり休んでいて下さい。ミナーシェはそう言うと、自分の分のコップを持って椅子から立ち上がった。
「今日はここに一晩泊まってもらいます。隊の仕事も休んで構わないとフーレンスさんが言っていました。明日の昼には迎えに来ますから」
それじゃ、お大事に。最後にニッコリと笑って、ミナーシェは部屋を出ていった。静かにドアが閉まる音を聞いた後、ワタシはふうと一息つきながら再び枕へ頭を乗せた。自然と真っ白い天井が目に入り、会話に夢中になっていた頃は気にもならなかった全身の感覚がよみがえってくる。しばらく、そのままぼうっと心地よい気だるさに身を委ねていたものの、
「あっ」
ふと後一つだけ、強い疑念が残っている事に今更ながら気づいた。
「間違いじゃなかったって、何の事だろう……?」
独り呟いた問いかけに答える者は誰もおらず、ただ微かな風音が窓から聞こえてくるだけだった。