第二話「フレアイとキッカケ」 2
一階に降りると、談話室内に置かれたソファの端に足を乗せ、一人の少年が組んだ両手に頭を預けているのが目に入った。この世界の魔術師達がよく着用している黒いマントを身につけ、小さないびきをかいている。クシャクシャになっている青い髪が、三角帽の間からあらゆる方向へ飛び出ていた。
そう。今日の同行者であり、ワタシをこの世界に召喚した張本人でもある、召喚士のルトレーだ。
口を半開きにして熟睡している彼を起こすのは色々な意味で躊躇われるが、壁に掛かっている時計を見ると、そろそろ巡回に出なければいけない時間帯だ。気は進まなかったものの、ワタシはソファに近づいて、彼の体を揺すった。
「ちょっと、もう見回りにいく時間帯」
少し呼びかけたくらいでは全く効果がなく、結局は耳元で叫ぶ羽目になった。
「ん……」
ようやく目が覚めたらしいルトレーは、寝ぼけ眼でワタシの顔を見た後、欠伸と背伸びを同時に行いながら、
「何だ、やっと話終わったのかよ」
「ええ、だからすぐに見回りに行くわよ」
ワタシがそう告げると、まだ成人もしていない少年は嫌々そうに顔をしかめて、
「もう行くの? 後少しだけ眠らせてくれよ」
「それ、職務怠慢じゃない」
「ちょっとくらい大丈夫だろ?」
「大丈夫とかの問題じゃないでしょ」
「いいじゃん、減るもんじゃないしさ」
――あー、もう。
あーだこーだとのたまう彼に対し、ワタシは頭を抱えそうになった。この少年との仕事となると、いつもこうだ。まだこちらでの生活が始まったばかりという事もあって、ワタシが共に仕事をする隊員は主に面識のあるミナーシェかルトレーなのだが、後者の少年は些か問題児なのだ。課せられた任務に対してサボりっ気があるというか、結構な面倒くさがりというか。だから、色々と手ほどきしてもらう側であろうワタシの方が、彼に対して色々と苦言を呈さなければならなかったりする。
――ていうか、どうもそれを期待して組まされているような気もするのよね……。
先ほど話をしたフーレンス、最近は全く会っていないゼルリック、彼ら二人の人間性を疑っているわけではないものの、そういった邪推をしてしまっている事もまた事実。実際、そんな疑念が脳裏をよぎるくらい、ルトレーの仕事ぶりは怠け者の新入社員と同レベルなのだ。
しかし、町の方で何か問題が起きてからでは遅い。
――やっぱり、一言キツく叱っておかなきゃかな……。
そんな風に思いながら口を開きかけた、まさにその時。ガチャリと部屋のドアノブが回され、一人の青年が室内に入ってきた。ミナーシェだ。
「やあ、二人共。こんな所でどうしたんですか?」
彼は気さくに手を振ってワタシ達に挨拶を告げながら、
「もうそろそろ、巡回に行かなきゃいけない時間だと思いますけれど」
「ちょうど行こうと思ってたところなんすよ」
――コイツ……。
何食わぬ顔でいけしゃあしゃあと嘘を吐く少年を、キッと睨みつける。彼は自身に向けられた殺気溢れる視線に気がついた様子だったが、とぼけたようにそっぽを向いて口笛を吹き始めた。だが、ミナーシェはワタシ達の間に流れている険悪なムードを察したらしく、アハハと困ったような笑みを浮かべて、
「ルトレー、君の方がマナミさんに迷惑かけちゃ駄目じゃないか」
「べ、別に迷惑なんかかけてないですって」
「本当かい? 彼女の表情を見ると、どうも信じられないんだけれど」
「う……」
「やっぱり図星だね」
水色髪の青年は小さく頭を横に振って、
「マナミさんはこの世界に来てまだ日が浅いんだ。だから、僕達がしっかりサポートしてあげないと……」
「わ、分かってますって。普段の人員に追加しての巡回だし、ちょっとゆっくりしてもいいかなって思ってただけっすから」
少年は慌ててソファから立ち上がり、
「おい、行こうぜ」
と、談話室からそそくさと出ていってしまった。彼の黒いマントが通路の奥へと消えていった後、ミナーシェは苦笑して、ワタシにこう言ったのだった。
「色々と苦労がかかるかもしれませんが、どうか宜しくお願いします」
――どうか宜しくお願いします、って言われてもね……。
ワタシャ教師でも保育士でも何でもないわよ、と心中で呟きながら、通りを歩いていく。勿論、隣には同行者である少年がいるのだが。
「なぁ、ちょっと休もうぜー」
「何言ってるのよ、まだ本部出て一時間も経ってないわよ」
「しっかし、ずっと歩きっぱなしってのも疲れるじゃん」
「アンタねえ……」
ハァ、と小さく溜息をつく。というか、ミナーシェには一応敬語っぽい言葉使いで話すのに、ワタシにはタメ口なのか。
「男なんだから、もっとこうピシッとしなさいよ。ピシッと。アンタだってエリュシールの一員なんでしょ?」
「そりゃ、そうだけどさ。俺って肉体労働苦手だし」
「苦手って……あー、そうか。魔術師なんだっけ」
「いや、魔術師じゃなくて召喚士」
「似たようなもんじゃない?」
「全然違うっつーの」
「どう違うの?」
素っ気なく訊ねると、ルトレーは得意げな顔つきで解説を始めた。
「魔術師っていうのは魔術を専門とする者。召喚士は召喚術を専門とする者なのさ」
「じゃあ、召喚術って魔術じゃないの?」
「……いや、全部が全部違うってわけじゃないけど」
「それで、アンタは魔術が全く使えないわけ?」
「俺だって、少しくらいは扱えるさ」
「じゃあ、結局は魔術師でも間違いじゃないって事ね」
「いや、こう、ちょっと違うんだよ。初歩的な攻撃魔術くらいなら俺だって唱えられるし、ミナーシェさんだって」
「ミナーシェも魔術が使えるの?」
初耳だったので、ワタシは驚いた。彼は小さく頷いて、
「ああ。後、副隊長は凄いぜ。下手な本職の魔術師より強力な土属性の魔法を詠唱出来るしな」
「土属性……?」
何だかモロにファンタジーチックな単語が飛び出してきたので、ワタシは首を捻った。その事についてルトレーに問いかけると、彼は詳しい説明を始めた。その話によると、この世界には火やら水やら風やら土やら氷やら雷やらといった『属性魔力』というものがあり、この世の人間は生まれながらにしてそれらの魔力を帯びている。そして、人が扱う事の出来る魔術というものは、体内に宿る属性魔力に左右されるというのだ。火の魔力が強く宿っている者は火の魔術を唱えるのが得意だし、その逆も然りなのだという。
「それで、副隊長は土の魔力が高いから、その属性に関する高度な魔法が扱えるってわけ」
「へえ……じゃあ」
と、ワタシはルトレーの全身を、三角帽の天辺から靴の爪先まで眺め回す。彼は照れくさそうに顔を赤らめて、
「何だよ。そんなジロジロ見るなよ」
「水でしょ?」
「え?」
ポツリと洩らした発言に、ルトレーは戸惑ったように目を瞬かせた。ワタシはキョトンとした彼に対し、
「アンタの属性。多分、水ね」
と宣言する。すると、少年は不思議そうに訊ねてくる。
「……どうして、分かったんだ?」
ワタシはニヤリと笑って、
「さあ、何ででしょう?」
と、返答をはぐらかした。
「え、教えろよ」
「ふふーん、内緒」
実をいうと、青い髪している人間は大体が水魔法使いだと相場が決まっている、という安直な発想だったのだが、本人には教えてあげない事にした。
――それにしても、属性ね……。
ひょっとすると、ワタシにも得意な属性ってもんがあるのかしら。ルトレーの詰問を無難にかわしながら心中で呟いた、まさにその時。
「まあ、ルトレーちゃんじゃないかい」
嗄れた女の声が、前の方から聞こえてきた。