005 「出ちゃってた……かも?」
「……なにやってんだよ、お前」
さっきまで美護と話していた、リビングのテーブル。
そこで俺は、今度は亜梨紗と向かい合い、大きなため息をついた。
本当に、なんでここにいるんだ、この優等生は……。
「なにやってんだ、はこっちのセリフよ!」
と、亜梨紗が吠えるように叫んだ。
ガルルルと、猛犬のように牙を剥いている。
いや、絶対俺のセリフだろ……。
「また入れ替わってるじゃない! もう! なんで懲りないわけ!」
「懲りてるって……でも、不可抗力だ。わかってるだろ、お前も」
「バカーーーーっ!」
理不尽だ。そして、なんでこんなにキレてるんだ、こいつは。
ちなみに、亜梨紗が今回の入れ替わりを知ったのは、璃奈からのLINEらしかった。
俺が学校を休んだ理由を尋ねられた璃奈が、入れ替わりのことを亜梨紗に伝えたのが、つい三十分ほど前のこと。
ただもちろん、璃奈も亜梨紗がここに来るとは思っていなかったようで。
「……早退したのか、まさか」
「あ……当たり前でしょっ。心配だもん……み、美護さんが!」
「べつに、当たり前じゃないだろ……内申はいいのか」
「……平気よ、早退くらい」
亜梨紗はこちらを見ず、拗ねたように答えた。
たしかに、そうかもしれない。
けど、それでもこいつにとっては、冒したくないリスクなはずだ。
わざわざ来てくれなくてもよかったのに。
「そもそも、どうしてすぐ連絡しないのよ! 私が璃奈に聞かなきゃ、黙ってるつもりだったわけ?」
「違うって……ただ、今日はどうせ学校休んでるし、あとでもいいかなって。今は、美護とのすり合わせが最優先だろ」
「……」
亜梨紗は不服そうに、口をへの字に曲げていた。
反論してこないところを見るに、納得はしているのだろう、たぶん。
そこへ、璃奈が紅茶を入れて、カップを運んできた。
それを受け取って、亜梨紗が短く礼を言う。
まあ、来てしまったものは今さらどうしようもない。
ちょうど、亜梨紗のことを美護に話すか迷ってたところだ。
それに、同性の経験者がいてくれた方が、美護には嬉しいだろう。
「ってことで、美護。俺の前回の……そして初めての入れ替わり相手は、亜梨紗なんだよ」
リビングのソファに移動していた美護に向けて、亜梨紗を紹介する。
っていっても、ふたりとも同じクラスだ。
友達ってことはないだろうけど、顔も名前も知ってるし、話したことだってあるはずだ。
「期間は夏休み最終日からの三十日。つまり、戻ったのはつい二週間前だな」
「そ、そうだったんだぁ……全然気づかなかった……」
美護はまた「はわ~」という声を上げていた。
こののんびりしたリアクションにも、だんだん慣れてきたな。
「この通り、うまくやれば周りにはバレないってことだ。あと、三十日経てば元に戻るってのも、これである程度信じられるだろ?」
「えっ? ……ああ、そうだね。たしかに!」
俺の説明に、美護はハッとして頷いていた。
もしかすると、そもそも疑われてすらなかったのかもしれない。
お人好しにもほどがあるな、やれやれ……。
「戻るわよ、ちょうど三十日で。ただ逆に、三十日経つまでは、絶対に戻らない。これから苦労するわよ」
「う、うん……ちょっとずつだけど、わかってきてます」
「まあ、学校じゃ同じ教室に私がいるから、困ったら言って。大体勝手はわかってるし、できることはするわ」
「……わかった。ありがとう、鳳城さん!」
美護に満面の笑みで礼を言われ、亜梨紗は照れたようにそっぽを向いていた。
お人好し二号だ。
普段はかなり、ツンツンしてるけどさ。
「俺からも、ありがとな亜梨紗」
「……ふんっ。仕方なくよ、仕方なく。同じクラスなんだから、どうせ無視できないし」
「ああ、頼りにしてる。ホントはお前にまで迷惑かけたくないけど、たぶんそういうわけにもいかないだろうしな」
「……いいってば。苦労は私が一番知ってるし。それに、美護さんかわいそうだし、あんた頼りないしっ」
「あはは、そうだな。助かるよ」
あまりにも綺麗なツンデレに、思わず笑ってしまう。
おまけに、璃奈もクスッと肩を震わせていた。
対して、当の亜梨紗はまたしても不愉快そうだ。
しかし……こういっちゃなんだが、結局俺は亜梨紗のことを、ずいぶん信頼してしまってるんだろうな。
「……」
「ん、なんだよ」
と、向かいの亜梨紗からまた視線を感じて、俺は尋ねた。
ジト目でこっちを睨み、なにか言いたげだ。
「べつに。ただ……あんたの身体に私以外が入ってるのが、違和感あるってだけ」
「ああ……それはたしかにな。俺もお前以外に入ってるのは、なんか不思議だ」
「……」
亜梨紗はなんともいえない、微妙な顔をしていた。
そのあいだにも、ソファの美護は俺の身体で女子っぽい仕草を取っている。
一ヶ月は、やっぱり長い。長かった。
他人の身体や生活に、ある程度慣れてしまうほどには。
ただまさか、またこんなにすぐ、別の相手と入れ替わるとは思ってなかったな。
「……で、お前はいつまでいるんだ?」
「え、ずっとだけど。当たり前じゃない」
間髪入れずに、亜梨紗が答えた。
当たり前だろうか。
そして、ずっとっていつだよ、具体的に。
「戻らなくていいのか、学校」
「いいの。体調不良ってことにしたから、戻ったら逆に変でしょ」
「体調不良ってことにするなよ……」
最初から戻る気なかったってことだろ、それ。
まあ亜梨紗の言う通り、美護のことを思えば、いてくれるに越したことはないけどな。
「さて……美護。次の重要な話だけど、いいか」
「は、はい! お願いします……!」
またしても、美護はいい返事をした。
もうすっかり先生と生徒みたいになっている。
不健全な関係だな。
「当然だけど、入れ替わり中、お前は俺だ。つまり、どういうことかというと」
「う……うん」
「お前は、俺を演じなきゃいけない。話し方とか仕草とかな」
「わっ……そっか」
と、美護はポカンと開いた口に手を当てた。
うむ、いい具体例だ。
「そういう仕草もダメだ。あと座るときはあぐらで、言葉遣いも俺を真似してくれ」
自分でも、無理を言ってるとは思う。
けど、これは徹底しなきゃいけない。むしろ、一番の基本だ。
事実、亜梨紗もなんとか切り抜けてくれた。
それに、俺もあいつになり切った。
「ただ、こればっかりは得意不得意がある。苦手なら、口数は減らしてもいいし――」
「オッケー。まあこんな感じだろ、神矢琉依は」
「……えっ」
突然部屋に響いた声に、俺は自分の頭がバグりそうになったのを自覚した。
見ると、亜梨紗も大きな目を余計に丸くして、ある一点を見つめている。
キッチンにいる璃奈も同じだ。
えっと、今のは……。
「えへへ……ど、どう? 変かな……やっぱり?」
当然ながら、美護だった。
両膝を抱えて、照れたようにもじもじしている。
「いや……変じゃない。むしろ、違和感がなさすぎて、逆に混乱したぞ」
さっきの美護のセリフは、ほとんど完全に、《《俺》》だった。
あまりにも突然で、そして自然だったせいで、脳の処理が追いつかなかったのだ。
「ホントですね……私も一瞬、元に戻ったのかと」
「なんでそんなに上手なの?」
璃奈と亜梨紗も驚き、そして感心に満ちた声で続いた。
俺たちの注目を浴びた美護は、ますます恥ずかしそうに身体を縮こまらせて、言った。
「実は私、昔お芝居してたの。だから……うん、ちょっとだけ、得意かも。えへへ」
「……うわっ、ホントね。『美護ふゆね、天才子役の演技がお茶の間を虜に』……記事にもなってるわ」
亜梨紗のスマホを覗き込むと、たしかに古いネットニュースが表示されていた。
十年以上前のもので、俺たちの学年なら幼稚園児の頃だ。
「なんか、言われてみればテレビで聞いたことある気がするな……けど、まさかクラスメイトだったとは」
「私は知らないですね……すみません」
と、璃奈は恐縮そうにしていた。
まあこいつは俺たちの二個下だから、記憶に残ってなくても仕方ないだろう。
「すごい……有名人ね。一世風靡、って書いてあるし」
「おぉー。俺も風靡してみたかったな、一世を」
「もう昔のことだよぉ! 今は全然だし……」
「今は……ってことは、まだやってるんですか? 役者活動」
「あ……うん、ちょっとだけね。っていっても、ただお稽古したり、たまにオーディション受けたりってだけだけど……」
おお……なんか本格的だな。
美護は居心地悪そうだが、凡人の俺からすれば、純粋に感心してしまう。
いや、待てよ。ってことは――。
「じゃああれか、ひょっとして俺も行くのか、稽古と……オーディション?」
「あ、ホントですね……お兄ちゃん、大丈夫ですか?」
「わからん……」
さすがに、役者としての生活は想定も対策もできてない。
これは……思ってたより大変かもしれない。
「で、でも、ホントにちょっとね、ちょっと! 大したほどじゃないっていうか……部活とかの方がよっぽど忙しいと思うし……撮影とかあるわけでもないし」
と、美護は顔の前で両手をひらひらさせていた。
謙遜なのか本当なのか、絶妙にわからないところだな……。
「とにかく、これで美護さんの演技の心配はなくなったんでしょ? よかったじゃない」
「よかったかな……逆に俺が大ピンチな気がするんだが」
「あの……ごめんね、神矢くん」
「いや、お前が謝るのは変だろ……」
それこそ、美護にはどうしようもないことだ。
まあ、俺のピンチは俺がなんとかすればいい。
もともと、その覚悟はしてるからな。
「ところで琉依。あんたは、美護さんの演技できるの? 美護さんのことだけじゃなくて、自分のことも――」
「もうっ、大丈夫だよぉ。私だって日頃から、準備してるもん」
俺が答えると、亜梨紗はビクッと身を引いた。
なんだよ、上手いだろ、俺の美護。
「まあ……あんたはそうよね。相変わらず、上手すぎてちょっと引くけど」
「えへへー。鳳城さんのときもうまくいったし、任せて」
入れ替わりが予見できてる以上、ある程度演技の練習は積んであるのだ。まあ素人レベルだけどさ。
それにたぶん、美護は亜梨紗よりも真似しやすいタイプだと思う。
亜梨紗は……まあなんというか、口調より性格が難しかったからな。ツンデレだし。
「……なんか、変な気分だね。ホントに私みたい……」
これは、元の口調に戻った美護のセリフだ。
まあ気持ちはわかる。
けどこればっかりは、慣れてもらうしかないんだよな。
っていうか、さっきは俺も同じ気持ちだったんだぞ、急にお前が俺の口調になってさ。
「はぁ……これから頑張らな。心配やなぁ……」
と、美護が短いため息のあとで、独り言のようにつぶやいた――のだが。
えっと……今のは?
「おい美護、なんだその……関西弁?」
たぶん、そうだったと思う。
妙にリアルというか、自然だったけども……。
「えっ……あ、ごめん! 出ちゃってた……かも?」
「出ちゃってたって……冬音さん、関西の方なんですか?」
「あ……うん。実は、お父さんが関西出身で、昔住んでたの。だから、たまに出ちゃって……普段は使わないんだけどね」
「な、なんと……!」
それはあれか、ギャップってやつですか……。
「あ、でもたしかに、さっきの子役の記事、『かわいすぎる関西弁が大きな話題を呼び』って書いてあるわね」
「うー……いややなぁ、恥ずかしい」
美護は頬を両手で包んで、照れたように、そして訛った口調で言った。
恥ずかしいどころか、むしろはんなりしてていいとすら思う。が、まあそこは本人の気持ちなんだろう。
ただ……これは、ちょっと難易度が上がったかもしれない。
関西弁か……さすがに、俺もノーマークだった。
とりあえず、時間のあるときに勉強と……練習、しなきゃな。
「……なんでやねん」
小声で言ってみたそんなセリフも、なんだかかなり、ぎこちなかった。




