勇者の軌跡
かつて強大な魔王が現れ、人々の暮らしが脅かされた。
その魔王に対抗する勇者が現れた。
勇者は仲間とともに魔王に挑みこれを討ったが、勇者まもた相打ちとなって倒れてしまった。
今も平穏な人の世が続いている背景には、偉大な英雄の犠牲があったことを忘れてはいけない。
これは伝説などではなく、歴史的事実である。
◇◇◇
昔、ある国の田舎の小さな村に一人の男が生まれた。
平凡な農家の息子として生を受けた男は、しかし特別な能力を持っていた。
後に「魔物使い」と呼ばれることになるその能力は、魔物と意思を交わし自分の味方にするというもの。
その能力を駆使することで、小さな村は魔物の被害をほとんど受けなくなった。
やがて男が成長すると、村を出て都会に行くことにした。
その能力を小さな村だけでなく、より多くの人々の役に立てようと考えたためだった。
そこで男は大いに活躍した。
魔物による被害の対策は、魔物の生息域に近い場所では死活問題だった。
特に強い魔物は討伐も難しく、多くの人が困っていた。
だが、男の能力は強い魔物を味方にすることができた。
男は国の内外を回って魔物の被害に苦しむ多くの人を救った。
しかし、目立って活躍すればよからぬことを考える者も出てくる。
妬む者、邪魔だと感じる者、都合よく利用しようとする者。
様々な思惑から、男に対する悪い噂が流された。
――魔物使いは魔物の先兵である。
――男が解決した出来事は、全て男の操る魔物によって起こされた自作自演である。
やがて、男は無実の罪で捕まった。
弁明の機会も与えられないままに有罪が確定し、公開処刑が決定したところで男は一つ決意した。
手懐けた魔物を人にけしかけない。
それは強い力を得たが故に男が自分自身に科した絶対のルール。
それまで、人間関係でもめても、理不尽な目にあっても、守り続けてきた最後の一線。
それを、あまりにも理不尽な命の危機に際して男は踏み越えた。
公開処刑の当日、街は大量の魔物の襲撃を受けた。
男は魔物によって救出され、そのまま混乱に乗じて街を出た。
向かった先は魔境と呼ばれる場所だった。
魔境には無数の魔物が生息し、縄張りに入り込んだ人間に牙を剥く。
そんな危険地帯で生きていける者はまずいないだろう――魔物使いを除いては。
魔境に逃げられた時点で男を捕らえることは絶望的になった。
多数の死傷者を出し、処刑を妨害されたことと犯人が逃亡したことで関係者の面子が潰され、様々に傷跡を残して事件は終わった。
多くの者がそう思っていた。
だが、それは始まりに過ぎなかった。
一年後、男は再び姿を現した。
膨大な数の魔物の軍勢を率いて。
そして、全人類に対して宣戦を布告した。
ここに、男の復讐が始まった。
以降、魔物使いの男はこう呼ばれることになる。
魔物の軍勢を統べる王――魔王と。
魔王の攻撃に、人類はなすすべを持たなかった。
魔王本人は最初の宣戦布告以降ほとんど姿を現さず、魔物の群れのみが人々を襲った。
襲ってきた魔物を倒すことはできるが、死ぬまで暴れ続ける魔物を倒すまでにはそれなりの被害を免れない。
一方、魔境に生息する魔物は無数。
本当に無限に魔物が存在するということはないにしても、いくら倒しても底が見えなかった。
このまま戦いを続ければ、先に兵力が尽きるのは人類側だろう。
魔王を倒すしか勝ち筋はなかったが、魔境の奥に引きこもった魔王を討つことも困難だった。
軍隊を率いて魔境を踏破することは不可能。それは歴史が証明していた。
肥沃で様々な資源が眠っていると目される魔境から魔物を追い出し、人の住む領地にしようと画策が行われたことは一度や二度ではない。
そして、挑戦した回数だけ失敗していた。
魔境は魔物たちの縄張りであり、そこに入り込んだ人間は魔物から見ればただの餌である。
軍隊が入り込めば、魔物は大量の餌がやってきたと喜び勇んで集まってくる。
人数が多いほど魔物に見つかりやすくなり、派手な戦闘を行えば音や血の臭いに惹かれて次々に新たな魔物がやってくる。
結局、際限のない戦闘に阻まれて先に進めず、撤退を余儀なくされる、というのがいつものパターンだった。
魔境に逃げた魔物使いの追跡を諦めたのも、そのような事情があったからだ。
各国の軍は魔物の進行ルートに合わせて防衛線を構築し、防壁や砦を築いたり罠を仕掛けたりして待ち構えた。
だが、相手はただの魔物ではない。魔王に率いられた軍勢なのである。
魔王本人が現場で指揮していなくても、何らかの作戦行動をとる場合があった。
ただの魔物と思っていると、予想外の行動に意表を突かれることになる。
それに、作戦通りに撃退できたとしても、相手は強い魔物である。それなりの被害も出るし消耗もする。
さらに厄介なことに、強い魔物の襲撃以外にも、弱い魔物の群れが頻繁に襲ってくるようになった。
弱い魔物なので倒すことはできるのだが、連日のように戦闘が続けば兵士も疲弊する。
そして、戦闘中は破損した防壁や砦の補修、罠の再設置を行うことはできない。
次第に消耗し、防衛線は後退を繰り返した。
被害を受けた各国要人が集まって会議を繰り返したが、起死回生の妙案は出てこない。
ただ、やらなければならないことは決まっていた。
魔境の奥に隠れ潜む魔王を倒すこと。
魔境の魔物を倒しつくすことが不可能な以上、他に方法はなかった。
そして、目的が決まればおのずと手段も決まってくる。
少人数で魔境に入り、魔物との戦闘を避けながら魔王を見つけてこれを討つ。
とんでもなく無茶ではあるが、これが一番実現性の高い方法なのだ。
大人数の軍が魔境に入れば即座に魔物に見つかって、あとは全滅するまで終わらない戦いが始まってしまう。
魔王を探し出すどころではない。
しかし、少人数ならば魔物に見つかりにくい。
戦闘になっても規模は小さいから次々に魔物が集まってくる恐れは少ない。
戦闘後に素早く移動すれば連戦の危険を減らすことができる。
少人数故に全滅する危険は高いが、大規模な軍隊を送り込んでも無駄な以上、よほど現実的だった。
それに、魔物を従える能力が厄介なだけで、魔王本人は一般人である。
直接対決が実現すれば、少人数でも十分に勝てると考えられた。
そこで、少人数のチームが集められ、次々と魔境に投入された。
魔物との戦いを生業とする冒険者が中心となったが、非常時ということで身分も職業も問わず協力者の募集が行われた。
魔王を倒した者に支払われる莫大な賞金だけでなく、有益な情報を持ち帰った者に対する報奨金も支払われるとあって、大勢の命知らずが魔境へと入って行った。
その多くは帰って来ることはなかったが、それも織り込み済みである。
数少ない生還者の証言から少しずつ魔境の情報が集まっていった。
魔王に支配された魔物の行動は、好き勝手に行動する野生の魔物とは明らかに異なる。
魔境の中でも魔王配下の魔物は見分けがつくから、各所でその行動――主に移動方向を知れば、その出発点がおおよそ判る。
つまり、魔王の拠点の予測ができるのだ。
そして、魔王のおおよその居場所が判明したところで、魔王討伐の本命が投入された。
魔王討伐の本命――それは各国から集められた選りすぐりの優秀な者たちである。
近接戦闘では並ぶ者のいない剣聖の称号を持つ剣士。
どんな攻撃からも仲間を守る守護騎士の二つ名を持つ重騎士。
各種魔法に精通し最年少で賢者となった魔導士。
防御と回復に特化した魔法を得意とし教会から聖女と認定された治癒士。
そして、彼らを率いるのはあらゆる攻撃が魔物特効になる特殊能力を持つ勇者。
一人一人が英雄になり得る力を持っていたが、特に勇者の能力は魔物に頼る魔王の天敵ともいえるものだ。
そして彼らは、一国の王子である勇者をはじめとして、それぞれ名のある貴族やそれに類する特権階級の出身だった。
農民の子であった魔王とは、その点でも対極の存在であった。
彼らは別に、家柄で選ばれたわけではない。
ただ、剣技にしても、魔法にしても、一流になるためにはその技術に専念して習得する必要がある。
日々の生活に追われる平民が、その片手間に練習して極められるものではないのだ。
だから、若くして一流、超一流になる者は、幼少期から英才教育を受けられるその道の名家の出身になりやすい。
特殊能力一つでただの農民の子が世界を脅かす魔王になりあがったことは例外中の例外である。
勇者率いる五名のチーム――通称勇者パーティーは、すぐには魔境に向かわず、最初は訓練から始めた。
一人一人がそれぞれ実力者ではあるが、それぞれが連携して最高のパフォーマンスを引き出せるようにある程度の訓練は必要だ。
また、魔物との戦闘の経験を積むために、魔王配下の魔物と戦う砦に援軍として向かったり、魔王とは関係ない魔物の討伐を行ったりもした。
そして、十分に訓練と実戦経験を積んだ後、おおよその居場所を掴んだ魔王を討つために魔境へと向かった。
ただ、魔境に向かった勇者パーティーは、一人増えて六人になっていた。
勇者パーティーの六人目は、勇者が途中で雇った荷物持ちの男だった。
その男は、魔王の攻撃によって住んでいた村を失った難民だった。
戦闘能力はないが、体力だけはあった。
大きな荷物を背負いながらも、勇者たちの足についていけるだけの体力を見込まれて、荷物持ちとして雇われたのだ。
勇者パーティーは魔王がいると目される場所に、最短コースで向かった。
多数の犠牲を出しながらも少しずつ集めた魔境の情報。
それを分析して導き出した魔王の居場所とその場所までの最適なルート。
それらを頼りに魔境を進む勇者パーティー。
魔物との戦闘は極力避けたが、魔境で魔物に遭遇しないはずもない。
魔王の居場所についても大まかな範囲を推定したに過ぎず、詳細な位置どころか確かにその近辺にいるという確証もない。
魔物あふれる魔境で本当にいるかどうかも分からない魔王を探し当てるのは至難の業だ。
だが、彼らはやり遂げた。
苦難の末に魔王の住処を探し当て、決戦に挑んだ。
人跡未踏の魔境の奥深く、一人佇む男がいた。
勇者パーティーの一員、荷物持ちの男である。
近くに他のメンバーの姿はない。
最終決戦において、戦闘能力のない荷物持ちの男は足手まといにしかならない。
そんな判断で、男は少し離れた場所で待機することになった。
男の視線の先には、古びた砦のようなものが建っている。
前人未到のはずの魔境にあからさまな人工物が存在するのは奇妙なことだった。
魔王が魔物を使って建てることができたとしても、随分と古びて見えた。
おそらくは、この地が魔境となる以前に栄えた古代文明の遺跡であろうと思われたが、確かなことは何も分からない。
しかし、魔王も人間である。住居とするならば人間用に作られた建物にしたいと思うだろう。
そう、あたりをつけて、仮に『魔王城』と名付けたその建物をしばらく監視した。
その結果、魔王の支配下にあると思われる魔物が定期的に出入りしていること、魔物に襲われた町や村から持ち出されたと思われる家財道具らしきもの――魔物には不要な品々――を持ち込む魔物がいたことなどから、魔王がいることは確実だろうと判断された。
魔王城に向かった勇者たちと別れ、一人残された男に与えられた任務は二つ。
一つは、戦闘に必要ないとしてこの場に残された荷物の番をすること。
そしてもう一つは、聖女がこの場に張った魔物除けの結界の効果が切れるまで――一昼夜の内に彼らが戻らなければ、単独で魔境を脱出してこのことを国に伝えること。
一つ目はともかく、二つ目の任務を実行する時は勇者たちが全滅したと言うことであり、戦闘能力のない荷物持ちの男が一人で魔境を踏破して帰らなければならないということである。
そんな事態になってほしくはないが、自分を拾ってくれた勇者に恩義を感じていた男は、いざとなったら命に代えてでも遂行する覚悟を決めていた。
それからしばし時は流れ、日がだいぶ高くなってきた。
勇者たちが魔王城に向かったのは朝早くだったから、そろそろ魔王を討伐したころだろうか?
そんなことを考えていた男が、突然頭を押さえて苦しみだし、そのまま倒れてしまった。
そしてしばらく後、再び起き上がった。
「うわぁー! って、ここはどこだ? 俺は死んだんじゃないのか!?」
寡黙な男としては珍しく、声を荒げての大慌てだった。
だが、その言っている内容がどうにも奇妙だった。
「ここは魔王城を監視していた拠点じゃないか。いつの間に……って、何だこの手は? それに、声もなんかおかしい! どうなっちまったんだ、俺!?」
ひとしきりあたふたした後、男はようやく納得したような顔になった。
「そうか、そういうことか。」
そう言って、男が胸元をまさぐって取り出したのが、月を模った小さなアクセサリーだった。
紐を通して首から下げられ、服の下にしまわれていた。
男が肌身離さず持ち歩いていた品である。
「こいつに本当に効果が……しかもこんな形で現れるとは思わなかったぜ。」
それは、『身代わりの護符』と呼ばれる二つ一組のアイテムだった。
対となるもう一つは、太陽を模ったデザインで、勇者が所持していた。
パーティーを率いることになった勇者が、訓練のために各地を巡っていた時に偶然に手に入れた物だった。
その効果は、太陽を模った護符の所持者が死んだ時に、月を模った方を持つ者を身代わりにして蘇ることができるという、何とも怪しげなものだった。
勇者自身も本気で信じていたわけではない。
万が一の時の保険にでもなればよい。そんな気持ちで荷物持ちの男に持たせたものだった。
単なるお守りだと偽って。
「そうか、……やっぱり俺は死んだのか。」
魔王城を眺めて呟く。
そう、この男の身体は荷物持ちのものだが、中身は勇者だった。
「まさか、魔王が支配した魔物の能力を使えるとは予想外だったぜ。」
勇者達の作戦は途中までは順調だった。
強い魔物の出払った魔王城に乗り込み、魔王との直接対決に持ち込むことに成功した。
だが、ここで一つ誤算があった。
本人の戦闘能力は一般人並みと考えられていた魔王が、複数の魔物の能力を使用して反撃してきたのだ。
人間相手の戦闘と思っていたら、最強クラスの魔物と同じ攻撃を受けて非常に苦戦することになる勇者パーティー。
しかし、能力は高くても相手は一人だけであり、はやり魔王自身も直接的な戦闘経験が浅かったためにどうにか勝利することができた。
そして、魔王に止めを刺した時にもう一つの誤算が生じた。
魔王城から強い魔物は出払っていたが、魔王の身の回りの世話や魔王城の維持管理を行うための魔物が多数存在していた。
そうした、戦闘に参加していなかった魔物たちが、魔王の死をきっかけに暴れだしたのである。
魔王の支配が突然亡くなったことで、魔物たちがパニックに陥ったのだ。
勇者パーティーが万全の状態ならば凌ぐこともできただろう。
だが、魔王と戦ったばかりの勇者パーティーは消耗し疲弊していた。
「あいつらも……助からなかったろうな。」
勇者の仲間の四人も実力者ではあったが、同じく疲弊していた。
そして、魔物特効の勇者が倒れた後はさらに厳しくなるだろう。
勇者亡き後も運良く生き延びていた仲間がいたとしても、生きて魔王城を脱出することは絶望的だった。
「だが、魔王は倒したんだ。後はこの知らせを持ちかえれば、俺たちは英雄だ。」
勇者パーティーは戦力外の荷物持ちを除いて全滅してしまったが、魔王を倒したという栄誉は末代まで語り継がれることになる。
王侯貴族にとって、名声とは命をかけて求める価値のあるものだった。
死んでいった仲間のためにも、この事実を伝える必要があった。
荷物持ちの男改め勇者は、手にした身代わりの護符を投げ捨てると、手早く荷物をまとめてこの場を後にした。
数日後、勇者は魔境を抜けていた。
だが、その姿はボロボロだった。
行きは六人、帰りは一人。
魔境を単独で進むことは、とても大変なことだった。
けれども、それだけではなかった。
「くっそー、まさか勇者の力が使えないとは思わなかったぜ。」
この男、精神は勇者でも肉体は荷物持ちの男のものなのである。
全ての攻撃が魔物特効になる勇者の能力は使えなかった。
それ以前に、勇者が鍛えていた剣技も、習い覚えた魔法も、男の肉体では扱うことができなかった。
剣技の動作は憶えていても、鍛えられていない体では無理やり再現してもキレも威力もまるでなかった。
魔法の方も同様で、荷物持ちの男の身体では魔力を上手く練ることができず、魔力そのものも少ないのでまともな攻撃魔法を使うことができなかった。
これでは魔物と出会っても戦うことができない。
その代わりに、荷物持ちの男の身体は体力だけはあったので、必死になって逃げまわっていたのである。
魔境を抜けてもまだ安心はできない。
魔境の外にも魔物はいるし、魔物ではないただの猛獣でも今の勇者に戦うすべはない。
そして、危険なのは魔物だけではなかった。
魔物の襲撃によって放棄された村等から金目の物、まだ使えそうなものを拾い集める火事場泥棒のような賊もいた。
こうした賊は、いかにも強そうな武装集団からは逃げるが、少数の弱そうな相手に対しては襲い掛かることがある。
見るからに非戦闘員な荷物持ちの男の姿をした勇者が大きな荷物を背負って単身進む様は、賊にとっては絶好のカモであった。
ひたすら逃げ回った勇者がどうにか落ち着けたのは、大きな街にたどり着いてからだった。
魔王の攻撃を防ぐ防衛線の外側は人類が支配を放棄した無法地帯。
そこでは人も魔物も関係なく、力だけがすべてを支配する世界。
内側に入っても、防衛線の近くはいつ戦場になるか分からない危険地帯。
戦場が近いために物流は滞り、人手や物資が度々徴用され、疲弊した小さな集落ではそのまま廃村になることもある。
戦場からある程度離れて、余裕のある大きな都市にまで来ると、ようやく法や権力が通用するようになる。
勇者は一国の王子である。権力が通用するのであれば、とれる手段は多くあった。
もちろん、今の勇者は荷物持ちの男の姿であり、王子としての権力を使うことはできない。
しかし、荷物持ちの男には勇者パーティーが全滅した場合にそのことを報告する役割を与えていたのだ。
そのために、勇者の指示で報告に向かっていることを証明する書状を持たせてあった。
逃げ回りながらも手放さなかったその書状を活用し、勇者は帰郷手段を確保した。
説明が困難なため、あくまで勇者の指示で荷物持ちの男が報告に行くという形で、勇者は無事王都へと帰り着いた。
だが、帰り着いた先でも一つ、勇者の計算違いが発生した。
「報告、ご苦労だった。これが報酬だ。」
どさりと置かれた袋を見て、勇者は固まった。
勇者は、ここまで自分が勇者であることを明かしていなかった。
説明が面倒だったということもあったが、もう一つ重大な問題があった。
今の勇者が「自分は勇者だ」と主張した場合、荷物持ちの男が自分のことを勇者だと言っているようにしか見えないのである。
その肉体は確かに荷物持ちの男のものなのである。その精神が勇者のものであることを証明することは難しい。
荷物持ちの男の気が触れて、自分のことを勇者だと思い込んでしまった、と思われるだけだろう。
だがそれは、荷物持ちの男の頭が可哀想なことになった、だけでは済まない問題を含んでいた。
勇者は一国の王子である。
そして、王族の詐称は重罪である。
どのくらいの重罪かと言うと、相手が平民だったらその場で手打ちにしても問題ないくらいに重罪である。
後から気が付いた勇者が、面倒を避けるためだったとはいえ、英雄の凱旋を諦めて勇者のメッセンジャーとして帰国した判断を自画自賛したくらいに危険な状態だったのだ。
このままでは帰国しても勇者や王子として認められないことになるのだが、その点勇者には策があった。
王家には、王家の者だけが知る合言葉のようなものがあった。
王族は次の世代の王を確実に確保するために子沢山になることが多い。
また、公務が忙しかったりその他の理由で親兄弟といえども数年間顔を合わせる機会がないこともある。
このため、普段目立たない王族や、国外など遠地に長期滞在していた王族を狙って別人とのすり替えが画策される恐れがある。
そこで考えられたのが、王家のみに伝わる秘密の合言葉である。
王家に生まれた者は、幼少期からこの長くて複雑な合言葉を徹底的に憶え込まされる。
王家の者ならば必ず知っている合言葉を言えなければ偽物、言えれば本物。
勇者は、荷物持ちの男の身体になった後も、しっかりとその合言葉を憶えていた。これが勇者であることの証明となる。
ただし、そのためには王族に対して直接自分が勇者であると主張しなければならない。そうでなければ証明する前に処刑されかねない。
元は難民でしなかった荷物持ちの男の立場では王族の前に出て言葉を交わす機会はまずないが、その点についても勇者には勝算があった。
今の自分は、勇者の命令で魔王討伐の結果を報告しに来た荷物持ちの男、ということになっている。
そこで、魔王を倒したものの勇者パーティーは全滅したと報告すれば、より詳しい説明が求められるはずだ。
実の息子の死に様となれば、国王が直接報告を聞こうとするだろう。
国王に直接発言できる機会を得たら、そこで自分が勇者であると名乗り出ればよい。
国王――自分の父親ならば姿が変わっても自分のことを認めてくれるだろう、認めさせる自信がある。
勇者はそれですべてがうまくいくと考えていた。
今、この時までは。
「これで……終わり……だと……」
だが、国王との謁見もないままに、報酬の支払いが行われてしまった。
報酬を受け取れば仕事は完了したことになり、国や王家とも縁が切れる。
重要な報告だけに国王自ら確認するだろうと踏んだ勇者の読みが外れた形だ。
魔王討伐の成功。勇者パーティーの全滅。それらは確かに重要な情報である。
しかし、最新の情報ではなかった。
勇者パーティーが魔王を倒した直後から、防衛線を攻撃していた魔物の軍勢も明らかに統制を失い、無秩序に散っていった。
この時点で魔王に何かあったことは多くの者が感付いていた。
また、勇者の書状を使用した時点で、その情報は本人よりも先に伝わっていた。
勇者パーティーに雇われた荷物持ちが一人で帰国するという時点で、勇者パーティーの全滅は予想できたことである。
魔王が倒されてもすべてが元通りではない。
統制を失ってもまだ付近をうろついている魔物への対応、被害に遭った各所の復旧復興、数多くいる難民問題、魔王対策で無理やり団結した国際関係の調整等々。
戦後の課題は山積みなのである。
国王は、自分の息子の最期という私事よりも、公的で重要な諸問題を優先したのだ。
ちょうど国王の最も忙しい時期に返ってきた勇者は、間が悪かった。
呆然とする勇者に対して、報酬を持ってきた役人はその心中を誤解する。
「なんだ、不服か? ごねてもこれ以上は出ないぞ。魔王を倒したのは勇者パーティーで、お前はそれを報告しただけだ。情報料としては多いんだぞ、それ。魔王討伐の賞金は桁違いだが、そっちは勇者様達の遺族に支払われることが決まっている。さあ、分かったらそれを持って帰りな。」
この場はおとなしく帰るほか、勇者にできることはなかった。
「チクショウー、俺は英雄なんだぞー!」
数日後、勇者は場末の酒屋で飲んだくれていた。
あの後も、勇者はどうにか王族と会うことができないかと画策していた。
だが、その試みはことごとく失敗していた。
本来、平民が直接王族に会う機会はほとんどない。
王家と直接取引のある大商会か、医師や服飾師などの特別な技能を持つ限られた者か、特別に大きな功績をあげた者か。
荷物持ちの男の立場では、勇者パーティーの結末を伝えに行ったあの時がほぼ唯一の機会であった。
今から王族に謁見できるほどの功績をあげることは現実的ではない。
残る手段は、伝手のある人間に頼んで王族に引き合わせてもらうことくらいだろう。
だが、王家に伝手がある者とは、力ある貴族か王家に認められた特別な人間である。
面識のない平民がいきなり押しかけて行って会える相手ではないし、会えたからと言って頼みを聞言えもらえる義理もない。
幸い、受け取った報酬で活動資金には余裕があった。
しかし、本来の荷物持ちの男にとっては見たこともない大金であっても、王族と顔を繋ぐには不十分だった。
金だけでなく、信用も足りていない。
それでも諦めきれずに知り合いを訪ねて協力を求めたが、相手にされなかった。
この場合の知り合いは、勇者にとっての知り合いである。
荷物持ちの男の交友関係を勇者は知らないし、そもそも難民である荷物持ちの男には王都に親しい者はいない。
一方で、王子でもある勇者の交友範囲は広く、その中には有力者も含まれる。
当然勇者の知り合いを頼ることになるのだが、今の勇者は荷物持ちの男として行動しなければならない。
荷物持ちの男の頼みでは積極的な協力は期待できないだろうが、そこは「勇者の遺志」とでも言って押し切るつもりだった。
だが、実際にはまともに話を聞いてもらうことすらできなかった。
ただの平民としてではなく、勇者パーティーの一員という触れ込みで会いに行ったのにもかかわらず、ほとんど門前払いにされてしまっていた。
これには理由がある。
元々勇者は、荷物持ちの男を仲間とは思っていなかった。
あくまで金で雇った使用人。そんな認識であった。
それでも、魔王を倒した勇者たちとともに帰還すれば一躍時の人である。
世界を救った英雄の活躍を間近で見届けた人間としてもてはやされることだろう。
下々の間で人気者になるだけならばかまわない。
しかし、調子に乗って勇者の権威を振り回して悪さをされては困る。
名も無き庶民が勇者詐欺に引っかかるくらいならば「騙される方が悪い」と切り捨てることもできるだろう。
だが、貴族や平民の中でも有力者が被害に遭うと問題だ。場合によっては勇者にまで責任が波及する可能性があった。
だから、勇者は魔境に向かう前にきっちりと根回しをしておいたのだ。
もしも荷物持ちの男が勇者の名を出して何か言ってきたとしても、取り合う必要は一切ない、と。
その根回しはきっちりと功を奏して、荷物持ちの姿をした勇者が何を言っても取り合ってもらえなくなっているのだ。
ここで勇者の言葉を無視して荷物持ちの男の頼みを聞くような者、ちょっと金を積まれたくらいで簡単に引き受ける者は信用できない。
信用できない者の紹介で王族に会うことなどできない。王宮の警備はそこまで甘くはない。
手詰まりである。
八方塞がりである。
しかも、自業自得である。
そのことに気付いてしまった勇者は、だから飲んだくれていたのである。
やけ酒だった。
しかし、勇者の不運はそれで終わらない。
翌日、目を覚ました勇者は自分が身ぐるみ剥がされて一文無しになっていることを知った。
治安の悪い場所で泥酔してしまったのだから、まあ当然の結果だった。
「クッソー、なんで俺がこんなことを……」
勇者は働いていた。
金がないのだから、働かないことには食っていけない。
当面の生活費を稼ぐために慌てて働くことにしたのだが、まず、職探しの時点から苦労することになった。
今の勇者には、勇者としてのコネを使うことはできない。
それが使えるならそもそもこんなところで働く必要はないのだが、それはともかく、コネが無ければ堅気の仕事に就くことは難しい。
勇者としての戦闘能力が残っていれば話は簡単だったのだ。冒険者をやればよい。
魔物特効の能力がなくとも、剣と魔法だけで一流の冒険者としてやっていけるだけの強さが勇者にはあった。
一流の冒険者になれば、短い時間で効率よく稼ぐこともできる。空いた時間で他の活動を行うこともできるだろう。
だが、荷物持ちの男の身体になったことで勇者は戦闘能力を失った。
戦えない冒険者は長続きしない。食っていけなくて廃業するか、死んでしまう。
魔物に散々追い回された勇者は冒険者になる気にもなれず、仕方なく日雇いの仕事を手当たり次第に行うことにした。
王都にはそれなりに仕事がある。
元々人が多く経済が活発ないうえに、魔王との戦争が終結したことで復興に向けて様々な動きがあり、人手は常に足りていない。
だが、その職を求めて出稼ぎにやってくる者や、そのまま故郷を捨てて王都に居ついてしまう者も多くいる。
仕事はたくさんあるが、その中でも楽で実入りの良い仕事は奪い合いになる。
ここでも重要になってくるのはコネだ。
良い仕事はコネを持つ王都の住民が持っていく。
次は、経験者だ。過去に同じような仕事をして評判が良ければ、それが実績となり信用となりコネとなる。
実績も信用も持たない者は、何でもいいから受けられた仕事を必死になってこなすしかない。
そうした者に回ってくる仕事は、低賃金できつい仕事ばかりだ。
そこで高額な報酬を提示されたら、とんでもなく危険だったり非合法な仕事だったりを覚悟する必要がある。
荷物持ちの男は元々難民であり、王都にはコネも信用も実績もない。
荷物持ちの男として活動するしかなかった勇者は、だから、人の嫌がるような仕事をするしかなかった。
幸い、荷物持ちの男の身体は戦闘力はないが体力だけはあり、魔境から生還できるほどに頑丈だった。
他の者が音を上げるきつい仕事を、勇者は淡々とこなしていった。
だが、所詮は低賃金の割に合わない仕事である。
どれほど働いても暮らしは楽にならず、日々の生活で手いっぱいだった。
勇者は王子である。
生まれとしては最上、何不自由なく暮らしていける身分である。
しかし、自分はそこいらの世間知らずの貴族の子弟とは一線を画している、と勇者は思っていた。
魔物特効の勇者の力を持って生まれた以上は、たとえ王子であっても、いや王子だからこそ、その力を国のために活用することが求められた。
だから、厳しい戦闘訓練を受けてきた。
安全な王宮内での型稽古だけでなく、軍の遠征に同行することもあれば、冒険者とともに魔物退治を行ったこともあった。
一兵卒と同じ扱いで野営することも、犯罪者と変わらないような粗暴な冒険者と場末の酒場で宴会をすることだって経験済みだった。
だから魔王討伐の危険な旅でも、戦闘以外のあれこれも問題なく行うことができた。
勇者パーティーの仲間からは、旅慣れしすぎていると呆れられたくらいだ。
たとえ庶民の暮らしを強いられたとしても、人並み以上にやっていく自信はあった。
だが、勇者は本当の最底辺の暮らしを知らなかった。そのことを思い知らされた。
底辺冒険者と一緒に場末の酒場に行こうが、犯罪組織が支配するスラム街に行こうが、勇者にちょっかいを出す者はまずいない。
犯罪組織ならば王族に手を出して国ともめることを嫌がるし、個人の犯罪者ならば勇者としての武勇を恐れる。
王子としても勇者としても信用があるから何をするにしても無下には扱われない。
それが当たり前で、王子でなくても勇者でなくても同じようにやっていける。
そう思い込んでしまったことが勇者の失敗だった。
今の勇者の身分は、王都にやってきた避難民に過ぎない。
勇者パーティーの荷物持ちを行っていた過去は、職歴の一つではあるが、本人の武勇や信用を保障するものでも、ましてや後ろ盾の存在を示すものでもない。
そうなるように、勇者自身がお膳立てした。
武勇も後ろ盾もないから隙を見せれば犯罪者に狙われる。
信用がないから実入りの良い仕事は回ってこない。
本当の底辺の生活というものを、勇者は初めて知ることになった。
王都の最底辺で苦労することになった勇者だが、それでもまじめに働き続ければ信用が得られる。
最初は王都に潜り込んだ得体のしれない難民の一人であっても、まじめに仕事を続けていれば仕事関係で見知った者が増えていく。
難民の中には辛い仕事が続けられずに王都を去る者や裏社会にドロップアウトする者も多くいた。
そんな中、勇者は頑張った。
再び王族として返り咲くため、それが無理でも上流階級の生活に戻るため。
諦めることなく、必死になって働き続けた。
働き続けることで信用を得れば、任せられる仕事の幅も増える。
こうして、勇者は少しずつ最底辺から這い上がり始めた。
「ハハハハハ、さすがは俺様だ。どんなどん底からだって這い上がって見せる!」
少し生活に余裕ができたところで、勇者はこっそりと自画自賛した。
あらゆる逆境を乗り越えると言えば勇者っぽい行動だが、ここまで這い上がってこれたのは荷物持ちの男の肉体の性能によるところが大きい。
荷物持ちの男は、戦闘こそできなかったが、勇者パーティーの旅に最後までついて行けるだけの体力と頑強な肉体を持っていた。
最底辺に下りてくる仕事は、どれもきつくて辛い肉体労働ばかりだ。
多くの者が音を上げる重労働を続けられた理由は、勇者の執念だけではなく荷物持ちの男の頑丈で体力溢れる肉体にあったことは間違いない。
どれだけ根性があろうと、体を壊しては仕事にならない。
無茶な働き方をしても壊れない頑丈な肉体を持つ荷物持ちの男は、中身が勇者にならなくても同じことができただろう。
勇者に連れられて魔境までついて行った男である。辛い仕事でも黙々と取り組んだはずだった。
だが、勇者はそれだけで終わるつもりはない。
ここから先は、荷物持ちの男にはできない方法でさらに上を目指す。
ある程度の信用を得た勇者は、代筆業の仕事を得たのだ。
この国では、平民の識字率は低い。
平民の多くは自分の名前が書ければよい方で、特に農村などでは誰も読み書きができないなどと言うことも珍しくない。
多くの者はそれでも特に不自由はしないのだが、王都ともなると平民でも手紙を出したり書類を提出したりする必要が稀に発生する。
そんな時に活躍するのが代筆屋だった。
文字の読み書きできない者に代わって文書を書き、あるいは読み上げる。それが代筆屋の仕事である。
しかし、だれでも代筆屋になれるわけではない。
まず、信用できない者に代筆の仕事を任せることはできない。
どうせ読めないのだからといいかげんなことを書かれても困るし、重要な書面の中には不用意に他人に漏らすと問題になるものも多い。
そもそも、文字の読み書きが必要なのだからほとんどの平民には無理な仕事だった。
だが、勇者は王族として高度な教育を受けている。文字の読み書きができるだけでなく、公的な文書の書き方だって知っていた。
信用さえ得られれば、優秀な代筆屋になることができた。
最底辺の単純労働で得られた信用ではあまり重要な仕事を任せられることはないが、与えられた仕事を全うして行けばそれは実績となる。
代筆業としての実績は代筆業としての信用を生み、次第により重要な、つまり実入りの良い仕事を受けることができるようになった。
最初は他の仕事の合間に副業的に行っていた代筆業も、次第にその比率が増して行き、ついには他の仕事をすべて辞めて代筆業一本に絞ることになった。
こうして勇者は肉体労働者から頭脳労働者へとクラスチェンジした。
しかし、勇者の快進撃もそこまでだった。
今の勇者は比較的裕福な平民だと言えるだろう。
王都に潜り込んだ難民が最底辺からここまで這い上がることは並大抵のことではない。大出世である。
しかし、勇者にとってこれはただの通過点。活動するための足場を固めたに過ぎない。
勇者の目指すところは裕福な平民ではなく、貴族社会への復帰である。
だが、貴族と平民の間には越えられない壁が存在していた。
平民がいくら真面目に働いても貴族には成れない。
特に代筆屋は貴族との接点がなかった。
平民でも、大きな商家ならば貴族と取引を行うこともある。
他の者にまねのできない一流の技術を持っていれば、専属として貴族のお抱えになることもある。
だが、代筆業に関してはそれが当てはまらない。貴族は基本的に文字の読み書きができるからだ。
事情があって代筆が必要な場合でも、貴族は貴族のコネを使って人を雇う。
家督を継げずに働き口を探す貴族の三男四男、身分は平民でも代々貴族家に仕える家臣の家系の者など、貴族の周辺には代筆のできる者に不自由しない。
民間の代筆屋にまで仕事が回ってくることはないのだ。
だから勇者は、次の一手を考える。
「よし、俺の自伝を書こう!」
勇者が思いついたのは、本を書いて出版することだった。
世界を救った勇者の物語ならば誰もが興味を持つだろう。
勇者直筆と言えないところが残念だが、それでも勇者の旅に最後まで随行した荷物持ちの男の著作と言う扱いになる。
誰も知らない勇者の冒険が書かれているのだ、売れるだろう。
識字率の低さから民衆が読む機会は少ないだろうが、その分書籍は高価であり、貴族の間で流行れば高額の印税が入ってくる。
貴族の間で話題になれば、吟遊詩人が語ることで本の読めない庶民にも広がるだろう。
そうなれば、作者は一躍時の人である。
優秀な代筆屋には見向きもしない貴族も、今話題の本の作者ならば関心を寄せる。
もしかしたら、父上――国王だって読むかもしれない。
そこで国王が作者に興味を持ったら、一介の平民であろうと国王への謁見が認められることは十分にあり得た。
そうなれば、いきなり王族に復帰だ! 次回作は、死んだと思われていた勇者と国王が感動の親子の再会を果たす物語だな。
などと捕らぬ狸の皮算用をしながらも、勇者は渾身の一冊を書き上げた。
こうして、勇者の自伝本が発売された。
そして――
「何故だ! 何故売れない!!」
全く見向きもされなかった。
理由はいくつかあるだろう。
勇者には読者を魅了するだけの文才が無かった。
勇者に対する自画自賛が鼻についてうっとうしい箇所が目立つ。
荷物持ちの男が作者なのに、勇者目線の記述が多くて疑わしい。
タイトルの『勇者伝』と言うのがセンスが悪いと思われた。
様々な要因があるだろうが、最大の理由は次のものだろう。
「なんで俺の魔王討伐の話が既に出回っているんだよ!」
勇者が最底辺の生活でその日ぐらしをしていたころ、勇者が魔王を討伐した物語は作られ、すでに庶民にまで広がっていた。
その内容は、一応勇者が荷物持ちの男として報告した事柄は加味されているが、ほとんどが空想と脚色で埋め尽くされていて原形を留めていなかった。
魔境の奥深くに分け入ったことのある人ならば絶対に嘘だと分かるシーンが随所に織り込まれているが、それが分かる人はめったにいない。
プロの作家が書いたらしく、とても盛り上がる展開がテンポよく組み合わされ、読み応えのある物語になっている。
国は勇者の活躍を知らしめるために、その物語を積極的に広めた。
その結果、多くの人はその物語こそが真実だと信じた。いや、真実などどうでもよかった。
物語で創作された面白いエピソードがごっそりと抜け落ちた勇者直筆の伝記は、できの悪い二番煎じとしか思われなかった。
「俺の方が正しいのに~!」
その正しさを証明する方法はない。
勇者と共に旅をした男と言う触れ込みはあまり意味を持たなかった。
勇者の冒険において活躍の場のない荷物持ちの男は物語にも登場せず、名前も顔もほとんど知れていなかったからだ。
せっかく書いた『勇者伝』の価値が評価されるのは、ずっとずっと後になったからのことである。
勇者の苦難は、まだまだ続く。
◇◇◇
近年、かつて魔境と呼ばれた場所の調査が進むにつれ、勇者と魔王の戦い関する新たな事実が次々に発見されている。
私たちの良く知る勇者の物語は、当時の人々が想像で作り上げた創作物であり、有名ないくつかのエピソードはあり得ないことが判明している。
そんな中、脚光を浴びているのが『勇者伝』と呼ばれる古文書である。
勇者の冒険譚にはほとんど姿を現さないが、勇者一行には勇者の従者として六人目の仲間が存在し、魔境からの唯一の生存者として帰還したことは今では疑いようのない事実であると考えられている。
魔王討伐の旅の生き証人である従者の記した『勇者伝』は、特に魔境に入った後の勇者の足取りを知る数少ない手がかりである。
だが、この古文書は長い間偽書である疑いをもたれていた。
死んだ勇者の視点で書かれた記述が多いことに加えて、従者は非戦闘員として最後の戦いには参加しなかったはずなのに魔王城での戦いについて詳しい記述があることがその理由であった。
しかし、相次ぐ新発見は『勇者伝』の記述の正しさを物語っていた。
一般に流布されているが『勇者伝』に記載のない話の幾つかが事実ではないことが判明し、逆に『勇者伝』でのみ見られる一部のエピソードが実際の出来事である傍証が見つかった。
これらのことから、『勇者伝』に対する研究者の評価は大きく変化した。
現在有力な説は、勇者が語った内容をほぼそのまま文章にしたのではないかと言う考えである。
一般的に、勇者達は魔王の本拠地である魔王城に乗り込んで魔王と戦い、相打ちになって果てたと考えられている。
しかし、勇者は戦いで致命傷を負いながらも魔王城を抜け出し、従者と合流したのではないだろうか?
そして、戦いの顛末を語り、魔王が亡びたことを世界に伝える役割を従者に託したのだろう。
勇者が死の間際に語ったこと、それ以前に旅の中で語ったこと。
それらを従者が書き記し、後に一冊にまとめた物が『勇者伝』だったのではないだろうか。
現時点ではこの仮説を裏付ける証拠は見つかっていないが、魔王城跡地が発見されればその真偽を特定する証拠が見つかると期待されている。
今後の研究の進展に注目したいところである。
さて、学術的な興味とは別に最近注目を集めている説がある。
それは、実は勇者が生き延びていたというものである。
魔王の討伐に成功した勇者は無事生還を果たしたのだが、死んだことにして姿を隠した、とする説はかなり荒唐無稽に思える。
そもそも、世界を救って英雄となった勇者が姿を隠す理由があるのか?
この疑問に対して、しかし、専門家の中にも「可能性はある」と言う者もいる。
勇者は一国の王子であった。
ただし、魔王討伐以前から次期国王となる王太子は別に存在し、それ故に勇者は危険な魔王討伐の任務に専念することができた。
もしも、勇者が世界を救った英雄となって帰国したらどうなるだろう?
勇者こそが王位を継ぐべきと考える者が出るだろう。
順当に王太子が王位を継ぐべきと考える者もいるだろう。
両者の勢力が拮抗すれば、最悪国を二分する内戦に発展する恐れすらある。
魔王の脅威は去ったとはいえまだまだ戦乱の傷跡の癒えぬこの時期に、新たな戦乱の火種を持ち込むことは避けたい。
だから、不要な混乱を避けるために勇者はあえて戦死したことにした、と考えたのだ。
勇者の仲間にしても、国に帰ればそれなりの身分と地位を持った者達だった。誰かが英雄として担ぎ上げれば、本人の意思にかかわらず、無用の混乱と騒動を引き起こす恐れがある。
身分が低いためそのような心配のない従者だけが唯一人、勇者たちの活躍を伝えるために帰った。
そんな考えである。
この仮説に対して、学術的に有意な根拠は何一つ存在しない。
学説ではなく、こうであって欲しいと言う願望に近いものがある。
勇者の物語は、世界を救った英雄が故郷に帰りつくことなく倒れる悲劇である。
数多の困難を乗り越えて世界を救った英雄が、何一つ報われることなく生涯を終えるのはとても悲しい。
そう思った多くの人々が生み出した幻想が、勇者生存説なのだろう。
勇者は単なる過去の偉人ではない。
絶望の運命を打ち破り、現代に至る未来を切り拓いた全人類の恩人である。
その恩を受けた一人として、勇者にはどのような形でもよいから生き延びて、自ら救った世界で平穏に生きて欲しい。
そう、願わずにはいられないのだ。
この物語の勇者はどちらかと言うと悪役です。
平民を見下しているし、荷物持ちの男が犠牲になっても気にしていないし、魔王もある意味被害者です。
けれども、勇者が人々を救ったことも間違いありません。
それに、勇者は積極的に悪事を働いてはいません。
荷物持ちの男に対してはアイテムの効果を信じていなかったし、その後はまじめに働いて成り上がっています。
さて、皆さんの評価はいかがでしょう?




