死神の手引き
私達は死神、なんて呼ばれている。
本当は全然違うし撤回してもらいたいところではあるが、世に大々的に発信する術などあるわけもない。
それにもし仮にできたとしても、こんな胡散臭い小娘なんかを信じてもらえることなどないだろう。
静かな病室の一角、私に気づいた男が倦怠な動きで起き上がる。
「君はもしかして死神さん?」
だから目の前にいる死にかけの男が失礼なことを言ってきたとしても、異議を唱えるような心の狭いことはしない。
「はい、あなたはもうじき死ぬと思います。魂の回収のため、本当に死にそうになった時にまた迎えに来ますね」
「あ、ちょっと待って」
必要なことだけ喋ってその場から退散しようとすると、その男から待ったがかかった。
人の良さそうな笑みを浮かべて男は語る。
「君みたいな子に会ったのは初めてなんだ。君がもしよければなんだけど僕が死ぬまでの間、話相手になってもらえたりはしないかな」
私が最初に思ったことは「面倒くさい」だった。
しかし私達は良質な魂の確保のため、死にゆく人間が最も安らかに眠りにつけるよう、サポートする義務がある。
それが彼にとっての救いになるのであれば。
「……いいでしょう。なんでも話すといいですよ。でもつまらなかったらすぐに殺しますから」
「ははっ、それは手厳しいね」
看護師さんに会話の本でも持ってきてもらおうかな、と男は楽しげに笑った。
あの男の元へ訪れてから3日。
私達は死期を大まかに予想できるが、完全な日数までは把握できない。
だからこうして死の間際に、対象の近くで監視を続けなければいけないのだ。
目の前に現れた私を見て、男は嬉しそうな表情に変わる。
「今日も来てくれてありがとう」
「本当に感謝の気持ちがあるなら早く死んでください」
軽口で返すとそこは多めに見てよ、と男は笑う。
不思議な人間だな、と思う。
こんなに死が近づいているのに、彼は何故こうも穏やかに生きていられるのだろう。
男からはいろいろな話を聞いた。
家族のこと、趣味のこと、そしてこれから訪れるはずだった未来のこと。
「そんな頃には僕はもうおじいちゃんになっているだろうね」
まぁ、その未来は訪れないけれど、と男は冗談を口にする。
私は何も言葉を返さず、男が続きを話してくれるのを静かに聞いていた。
もう1週間経った。
彼は死ぬ素振りを見せない。
時が経つにつれて、私は彼の話を楽しみにしている事に気づいた。
私の仕事は彼の死を見届けること。
だからそこに感情は必要ない。
「どうしてあなたは、いつもそんな風に笑っていられるんですか?」
気づいたらそんな言葉が口をついて出た。
柄にもない。
いつもなら、こんな無駄な質問はしないのに。
「うーん、なんでだろうね」
少し考えるように俯いたのち、私を視界に入れた。
「せっかく話し相手になってもらえてるんだから、なるべく楽しませたかったんだ。元は空元気だったのかもしれないけど、今は心の底から今の日々を楽しいと思えるよ」
ありがとう、という彼の言葉。
一泊遅れて私に対しての言葉だったのだと理解した。
「そう、ですか」
顔を、見ることができない。
振り向かないまま病室の扉まで歩く。
「あなたの助けになっているのであれば何よりです。病は気から、なんて言葉もありますし」
当たり障りない捨て台詞と共に扉を閉めた私は気づく。
彼の命が尽きるその日が、少しだけ遠くなって欲しいと願っていることに。
話をしていたあるときだった。
彼の容態が急変した。
大きく咳き込み、口元を抑えた手から血が滴り落ちる。
「大丈夫ですか!」
ナースコールを聞きつけた看護師が、血相を変えた様子で容態を確認する。
火急の事態にもかかわらず、私は体が硬直していた。
もしかしたら、彼は死なないかもしれない。
そんな儚い希望を、真っ向から打ち砕かれたような感覚だ。
私に大丈夫だと安心させるような、彼の苦しそうな笑顔だけが頭にこびりついた。
日も変わった頃、ようやく容態が落ち着いたらしい。
寝台に横たわる彼の寝顔は、時折苦しく歪められている。
呼吸は浅く、何より汗ばむ額が彼の疲弊を表していた。
「た、すけ......」
掠れた声で呟かれたその言葉に私はたまらず近づく。
きっと悪夢を見ているに違いない。
冷えた指先を温めるように彼の手を包み込んだ。
どうか、今この瞬間だけでも安らぎを。
力を入れた先から光が溢れ、彼の体を包み込む。
苦しそうにしていた呼吸が徐々に落ち着いていく。
顔の強張りも解け、安心したかのように静かな眠りに入った。
よかった、ちゃんと効いたようだ。
力を行使したせいかドッと疲労感が押し寄せる。
「今日の話、まだ最後まで聞かせてもらってませんから」
だから、もう少しだけ......。
その先の言葉は口にしないことにした。
私の仕事は彼の死を見届けること。
きっと、もし、願ってしまえば、私が私じゃなくなってしまいそうだから。
彼の魂のブレにより私は飛び起きた。
柄にもなく、ぐっすりと寝てしまっていたのだ。
昨日直前に見た景色と同じ場所。
ベッドに彼はいなかった。
心臓が嫌な鼓動を打つ。
彼がいない代わりに一枚の封筒がポツンと置かれている。
窓は全開に開け放たれており、朝の涼しく気持ちのいい風が私の頬を撫でた。
震える手で封筒を取り上げ、封を開ける。
宛名のない一枚の手紙。
しかし、その手紙が私に向けて書かれたものだとすぐにわかった。
___
今まで話相手になってくれてありがとう。
きっと君のことだから、「これでようやくですね、清々しました。」なんて言うかもしれないね。
昨晩容態が悪化したとき、かすかに君の声が聞こえたような気がしたんだ。
起きたら君が隣で眠っていて、すっかり身体も軽くなっていた。
これはきっと君が痛みを取り除いてくれたからなんだろう?
僕がこの病気を宣告されてからずっと、ずっと死にたくて死にたくてたまらなかった。
けれど、痛みが怖くてできなかったんだ。
でも君がいてくれたから、僕はこの絶望の中でも少しだけ楽しく過ごせた。
君にとっては、もしかしたら何の価値もない日々だったかもしれない。
それでも話相手になってくれて、本当にありがとう。
___
自立していることができず、その場に崩れ落ちた。
手紙が手から溢れ、視界の端にその白い紙だけが残る。
胸が締めつけられ、息ができなかった。
違う……違う……違う……!
私は彼に生きていてほしかった。
少しでも楽に、少しでも痛みを和らげたかった。
彼のためにできることはそれだけだったのに……それが、彼を死へと追いやったなんて……。
彼の中で、痛みこそが唯一の「生」を繋ぎとめる鎖だったなんて、私は全く気づかなかった。
外から人々のざわめきや、叫び声が聞こえてくる。
窓の外、地上で何が起こっているかを知るのは簡単だった。
男が命を絶ってから、まだそれほど時間は経っていない。
震える足で、私はなんとか立ち上がる。
心が張り裂けそうだ。けれど、それでも私は役割を果たさなければならない。
彼の魂を回収しなければならない。
これが私の仕事だから。
私たちは死神と呼ばれている。
私は彼に最善を尽くしてあげられただろうか。
彼にとっては、私の行動は最悪だったのかもしれない。
私は彼の痛みを消し去ることで、彼の命の最後の繋がりを断ち切ってしまったのだ。
死とは何なのだろう? そして痛みとは何なのだろう? 生きるために、痛みは本当に必要なのだろうか?
それとも、私が見てきた多くの死者たちがそうであったように、死という安らぎこそが彼にとっての救いだったのだろうか?
私には、もうわからなかった。
彼を安らかに送り出せたのか、それとも私は彼を深い絶望の中で見送ってしまったのか——その答えはどこにも見つからない。
冷たい朝の風が、私の体を貫いていく。
私は窓の外を見つめ、彼の魂が漂う先を追いながら、ただ静かに歩き出した。




