為替の向こうで、私は悪役令嬢だった
今朝の夢が、妙に現実的だったので、書き留めておきます。
円安が進んでいる、というニュースを最後に見たのは、寝る直前だったと思う。
為替の数字が赤くなったり青くなったりするのを眺めながら、スマートフォンを伏せ、そのまま眠った。
だからだろう。
夢の始まりに、為替表が出てきたのは。
白い石造りの広間。高い天井。玉座。
そこに掲げられていたのは、王国通貨と各国通貨の交換比率を示す、大きな黒板だった。
「このレートでは、もう無理です」
宰相らしき老人が、ため息まじりに言う。
隣に立つ王は、魔王よりも厄介な顔をしていた。
「勇者召喚は?」
「コストが合いません。装備、育成、補助金……円安の影響が大きすぎる」
円、という単位が当然のように使われていることに、誰も疑問を持たない。
それが夢だと気づけなかった理由の一つだった。
私はその場に立たされていた。
ドレス姿で、背筋を伸ばして。
名前はアデルフィーネ。
いわゆる、悪役令嬢という立場らしい。
婚約者の王子は、すでに別の令嬢と並んでいる。
だが、断罪はなかった。
「君には……財政的に、いてもらう余裕がない」
それが、追放理由だった。
悪役令嬢はコスパが悪い。
その一言で、私の立場は決まった。
向かった先は、王都郊外の回復院。
戦争帰りの兵士や、高齢の魔導師を受け入れる施設だ。
「介護報酬は出ます」
院長はそう言ったあと、小さく付け足した。
「一応ですが」
一応、という言葉は、どこの世界でも危険だ。
仕事はきつかった。
回復魔法は高位の者しか使えず、現場はほぼ肉体労働。
ポーションは輸入品で、円安の影響を受けて高騰していた。
食事は芋が中心だった。
保存がきくからだという。
ときどき配られる嗜好品が、異世界産のポテトチップスだった。
薄味で、油も少ない。
袋を開けると、やけに大きな音がする。
噛むたびに、現実が主張してくるようだった。
力仕事が多いからと、支給されたのはプロテイン。
「魔力循環補助食品」と書かれているが、どう考えても栄養補助食品だ。
水で溶かすと、きな粉の味がした。
私は黙って飲んだ。
悪役令嬢だった頃より、文句を言う余裕はない。
回復院では、定期的に会議がある。
内容はだいたい同じだった。
「報酬の見直しについて」
見直し、という言葉は、だいたい下方修正を意味する。
「為替の影響で、介護報酬を下げざるを得ません」
皆が黙る。
怒る者はいない。
もう、慣れている。
誰かが冗談めかして言った。
「魔王討伐より、こっちのほうが難しいですね」
笑いは起きなかった。
夜、宿舎でポテトチップスをかじりながら、私は考える。
断罪されなかった悪役令嬢の末路としては、悪くない。
誰にも責められない。
誰にも期待されない。
ただ、必要な分だけ働く。
世界は救われない。
けれど、帳尻だけは合わせ続ける。
ある日、回復院に新しい掲示が貼られた。
来年度の予算案だ。
魔王討伐費用は、先送り。
介護報酬は、微減。
プロテインの配合が少し変わるらしい。
甘味が増える、と書いてあった。
私はその紙を見て、なぜか安心した。
理由はわからない。
そして――。
スマートフォンのアラーム音で、目が覚めた。
見慣れた天井。
見慣れた部屋。
ドレスも、回復院も、為替表もない。
キッチンに行くと、現実のポテトチップスが一袋置いてあった。
値札を見て、少しだけ眉をひそめる。
円安だな、と思う。
プロテインを溶かしながら、介護報酬改定の資料を思い出す。
今日中に仕上げなければならない。
悪役令嬢という言葉が、なぜか頭に残っていた。
夢だったはずなのに。
世界は救えない。
でも、帳尻は合わせる。
そんな夢を、確かに見た。
目が覚めたあとも、しばらく数字の感触が残っていました。
夢の中では異世界でも、やっていることは現実と大して変わらなかった気がします。
断罪も救済も起きないまま、帳尻だけが静かに合わされていく。
そんな夢でした。
読んでくださって、ありがとうございます。




