第六話 共犯者のハミング
《――というわけで、今日はちょっと夜更かし配信! 付き合ってね、みんな!》
『888888!』 『アリスちゃん今日テンション高め?』 『声がちょっとハスキーで好き』
配信開始から1時間が経過した。 同接数は2万人をキープ。2号の死体が足元で冷たくなっているこのブースで、僕は奇跡的な集中力を発揮していた。
社長のオーダーは「2号のキャラ(ガラの悪さ)を引き継げ」だったが、僕はそれを無視した。 急にキャラが変わればファンは違和感を持つ。 だから僕は、「少し風邪気味で、情緒不安定なアリス」を演じた。 時折、言葉に棘を含ませ、アンニュイな空気を出す。それが逆に「儚げでエモい」と評価され、スパチャが飛び交っている。
(……チョロいな。人間も、システムも)
僕はFPSの待機画面で、キャラを放置したまま口を開いた。 ここからが本番だ。 ブースの外では、マネージャーが腕組みをして監視している。 「アリス」としての体裁を崩さずに、彼女(亡霊)にだけ届く信号を送る。
《ねえ、みんな。昔話してもいい?》
僕は、台本にはないフリートークを始めた。
《私がまだ小さかった頃、よく迷子になった「灰色の迷路」の話》
『迷路?』 『アリスちゃんの過去編!?』
コメントが食いつく。僕は続ける。 「灰色の迷路」とは、あの子役時代に通っていたテレビ局の地下通路のことだ。 彼女なら、分かるはずだ。
《そこにはね、いつも泣いてる男の子がいたの。……その子は弱虫で、自分の力じゃ外に出られなくて。ある日、悪い魔法使いに連れ去られちゃったんだ》
それは、あの日僕が彼女の前から消えた理由。 自分の意思で逃げたんじゃない。親と事務所の人間に、無理やり車に押し込まれて引き剥がされたんだ。 「助けて」と叫んだけれど、防音ガラスの向こうの彼女には届かなかった。
《男の子はずっと後悔してた。「ごめんね」って言えなかったことを。……だから、もし魔法が解けて、またその迷路に戻れたら、今度は絶対に手を離さないって》
これはファンタジーじゃない。懺悔だ。 僕はマイク越しに、モニターの奥に潜む「彼女」へ向けて、震える声で語りかけた。
《……なんてね! ちょっと暗い話になっちゃった!》
僕はわざとらしく明るく笑い、話を切った。 ブースの外でマネージャーが「余計な話をするな」とジェスチャーをしている。
反応は、あるか? 僕は固唾を飲んでモニターを見つめた。 もし彼女がこれを「嘘」と断じれば、また脳を焼かれて終わりだ。
その時。 ゲーム内の天候が、急に変わった。 快晴だったマップに、ポツポツと雨が降り始めたのだ。 FPSの設定上、ランダムな天候変化はある。だが、今は「屋内」のステージだ。 天井があるはずの廊下に、静かな雨が降り注ぐ。
『あれ? バグ?』 『屋内で雨降ってね?』 『演出?』
そして、僕のヘッドセットだけに、微かな音が届いた。
『……ラ、ララ……』
ハミングだ。 ノイズ混じりの、拙い旋律。 それは、あの日テレビ局の片隅で、二人で震えながら口ずさんでいた、古いアニメのエンディング曲。
彼女は、覚えている。 僕が「逃げた」のではなく、「連れ去られた」という言い訳を、聞いてくれたのだ。
『……湊くん……』
声が聞こえた瞬間、ゲーム画面の敵プレイヤーの位置が、壁越しに**「赤く」**透けて見えた。 ウォールハック(壁透けチート)。 不正プログラム? 違う。 アリスが、システムを書き換えて僕に敵の位置を教えているんだ。
『……右。そこにいるよ』
彼女の囁きに従い、僕はマウスを右に振って発砲した。 壁抜きのヘッドショット。 完璧なキルだ。
『……ふふっ。上手』
褒められた。 死体(2号)の横で、亡霊にアシストされて、虚構で勝利する。 狂っている。倫理観なんて欠片もない。 でも、僕の胸には、10年ぶりに彼女と「遊べた」という、歪んだ高揚感が広がっていた。
《――よし、勝利(GG)!》
試合終了の文字と共に、僕は配信を終えた。 エンドロールが流れ、接続を切った瞬間、全身の力が抜けて椅子に崩れ落ちる。
「おい! なんだ最後のバグは!?」
ドアが開き、マネージャーが怒鳴り込んでくる。 僕は汗だくの顔を上げ、ニヤリと笑ってみせた。
「ただの演出ですよ。……ファンも喜んでる。文句ないでしょ?」
マネージャーは舌打ちをして出て行った。 一人になったブースで、僕はモニターに触れる。 アリスの気配はもう消えている。 だが、デスクトップの隅に、見慣れないテキストファイルが生成されていた。
ファイル名は**『10月31日.txt』**。
10月31日。 世間ではハロウィン。そして――アリスが飛び降り自殺をした日だ。 僕は震える手でそのファイルを開いた。 そこには、一行だけ、文字化けしたテキストが記されていた。
『犯人は わタしを 推し ていタ 人』
心臓が跳ねる。 犯人は、私を推していた人。 ファン? ストーカー? いや、わざわざ「内部」にいる僕に伝えてきたということは、この事務所の中にいる人間だ。
アリスを殺したのは、彼女を憎んでいた人間じゃない。 彼女を「愛していた」人間だ。
「……歪んでるな、どいつもこいつも」
僕はそのファイルをUSBメモリに移し、完全に削除した。 共犯関係は成立した。 僕の手には「演技力」。彼女の手には「ハッキング能力」。 この二つがあれば、どんなに分厚い嘘の壁も壊せる。
僕は2号の死体に「おやすみ」と告げ、深夜の事務所を後にした。 外の空気は冷たかったが、不思議と寒くはなかった。 ヘッドセットを外しても、耳の奥にはまだ、あの雨音とハミングが優しく残っていたからだ。
(第六話 完)




