第四話 死体遺棄エンターテインメント
「……チッ。またかよ。メンタルケア担当クビにするか」
血の海の前に立った男――この事務所の社長は、吐き捨てるようにそう言った。 悲鳴も、狼狽もない。 まるで、コンビニで買ったプリンのスプーンが入っていなかった時のような、日常的な苛立ちだけがそこにあった。
「社長、どうします? 警察呼びますか?」 マネージャーがスマホを取り出す。
「馬鹿か。今呼んだら、今夜の『200万人記念配信』が飛ぶだろ。株価を下げる気か」
社長は革靴のつま先で、2号の動かない亡骸を軽く蹴った。 死後硬直も始まっていない肉体は、ボロ雑巾のように揺れる。
「掃除班を呼べ。死体は裏口から運び出して冷凍車へ。警察には『行方不明』として数日後に届ける。……それより、問題は『枠』だ」
社長の冷徹な爬虫類のような目が、へたり込む僕(湊)に向けられた。
「おい、3号は今どこだ?」 「喉の手術で入院中です」 「使えねえな。……なら、お前がやれ」
僕は耳を疑った。 鼻孔には、まだ2号が撒き散らした鉄錆のような血の臭いがこびりついている。 胃液がせり上がってくるのを必死で堪えているのに。
「……何を、言ってるんですか……? 人が、死んでるんですよ……!」
「だから何だ?」
社長は僕の胸ぐらを掴み、無理やり立たせた。 至近距離で嗅ぐ彼の息は、高級なミントの香りがした。それが余計に吐き気を催させる。
「いいか、元天才子役。お前が演じている『星降アリス』はな、神なんだよ。神はトイレに行かないし、歳も取らない。そして、絶対に死なない」
彼は、2号の死体を顎でしゃくった。
「こいつはアリスじゃない。ただの『バッテリー』だ。電池が切れたら交換する。それだけの話だろ? お前はプロだ。新品の電池として、最高の仕事をしろ」
「……断ったら?」
「違約金5000万。お前の親が死ぬまで働いても返せない額だ。……それに」
社長は、ニヤリと笑った。
「警察に行けば、お前が疑われるぞ? 密室に二人きり。お前の指紋がついたドアノブ。……世間は、精神を病んだ元子役が、ライバルを蹴落とすために殺したと信じるだろうな」
詰んだ。 最初から、僕に拒否権なんてなかったのだ。 この事務所に入った瞬間から、僕もまた、彼らの資産の一部になっていた。
***
「はい、マイクテスト。……もっと声を低くして。2号は少しガラの悪いキャラで売ってるんだ」
数分後。僕は配信ブースに座らされていた。 吐瀉物を拭ったタオルで口元を拭き、2号が愛用していたヘッドセットを被る。 イヤーパッドには、まだ彼の体温と、整髪料の匂いが残っていた。
震える指で、FPSゲームの起動アイコンをクリックする。
《うっすー! お待たせ! アリスちゃんだよー!》
ボイスチェンジャーを通した声は、完璧な「いつものアリス」だった。 けれど、喋り方のトーン、息継ぎのタイミング、暴言のセンス……すべてを、さっきまで生きていた「2号」に寄せなければならない。
『アリスちゃん遅いー!』 『今日はランクマ?』 『なんか声の調子よくない? 風邪?』
コメント欄が流れる。 彼らは気づかない。 今、画面の中で銃を構えているアリスの「中身」が、別人に入れ替わっていることに。 そして、本物の中身がついさっき、首をねじ切って死んだことに。
プレイを開始する。 2号のプレイスキルはプロ並みだった。僕には荷が重い。 だが、奇妙なことが起きた。
右手が、勝手に動く。
エイム(照準)が、吸い込まれるように敵の頭を捉える。 反射神経が、思考より先にマウスを弾く。 まるで、誰かに手首を掴まれて操作されているような感覚。
《オラオラァ! 死にてえ奴から前に出ろよッ!》
口汚い煽り文句が、僕の意思とは無関係に喉から飛び出す。 これは僕の演技じゃない。 2号の口癖だ。
背筋が凍る。 違う。僕じゃない。 このヘッドセットの中で、何かが蠢いている。
『キヒッ』
まただ。あのノイズ混じりの笑い声。 今度は、はっきりと聞こえた。左耳の奥じゃない。 ヘッドセットのスピーカーからだ。
ゲーム画面のマップの隅。 そこには、プレイヤーである僕以外、誰もいないはずの路地裏。 そこに、アバターが立っていた。
銀髪の少女。星降アリス。 彼女は銃を持たず、ただ棒立ちで、カメラ(僕)を見つめている。
ありえない。これはオンライン対戦だ。 自分自身のアバターが、敵としてマップに存在するなんてバグは存在しない。 だが、彼女はそこにいた。 そして、チャットログに、全プレイヤーに見える形でテキストを打ち込んだ。
[System]: Player <Alice_Original> joined the game.
『え? 何今のログ』 『チーター?』 『運営のサプライズか!?』
コメント欄がざわつく。 違う、サプライズなんかじゃない。 画面の中のアリスが、ゆっくりと右手を持ち上げる。 その指先が、画面越しに、ブースにいる僕の首を指差した。
[Alice_Original]: みーつけた。
「う、わあぁぁぁっ!?」
僕は悲鳴を上げ、ヘッドセットをかなぐり捨てようとした。 だが、外れない。 まるで万力で締め付けられたように、ヘッドセットが頭蓋骨に食い込んでいる。
『逃さないよ、湊くん』
ヘッドホンから流れる声は、AIの合成音声ではなかった。 死んだ2号の声でもない。 もっと冷たく、湿った、「最初の女」の声。
『私の体を使い潰した大人たち……全員、道連れにしてあげる』
モニターの中のアリスが、ニタリと笑う。 その笑顔は、ピクセルが崩壊するほどの「憎悪」で歪んでいた。
スタジオの照明が一斉に落ちる。 真っ暗闇の中で、僕の被ったヘッドセットのLEDだけが、赤く、毒々しく点滅を始めた。
終わらない。 2号の死は、ただの合図に過ぎなかった。 死体遺棄は、まだ始まったばかりだ。
(第四話 完)




