第二話 ゴースト・イン・ザ・シェル
「お疲れ。今日も同接(同時接続)よかったぞ」
マネージャーの言葉と同時に、僕はヘッドセットを乱暴に引き剥がした。 汗で濡れた髪が額に張り付く。スタジオの冷房が、熱った体に突き刺さるようだ。 目の前に広がっていたパステルカラーの夢の世界は消え、無機質な吸音材に囲まれた、四畳半の現実だけが残る。
「……見たろ、さっきの」
僕はペットボトルの水を一気に煽りながら、マネージャーを睨みつけた。
「あ? なんだっけ、アンチコメか? あんなのいちいち気にするなよ。有名税だろ」
マネージャーはモニターから目を離さず、アクビ混じりに答える。 その反応を見て、僕は一つ確信した。 ――こいつは、「見ていない」。
僕は冷静に思考を巡らせる。 あのコメント、『ねえ、湊くん』という文字が表示されたのは、僕の視界にあるVRヘッドセット内のオーバーレイ(配信者用コメント表示枠)だけだった。
通常、配信のコメント欄は、YouTube側のサーバーを経由して、視聴者全員に共有される。 だが、マネージャーの管理画面にも映らず、アーカイブのログにも残っていないとしたら?
「……『ゴースト・インジェクション』か」
「は? なんだそれ」
「ハッキングの一種だよ。配信サーバーを経由せず、演者のHMDに直接テキストデータを割り込ませる手口だ。……つまり、犯人は外部の視聴者じゃない」
僕はスタジオの機材を見渡した。 ケーブルの束、高性能なレンダリングサーバー、そして防音扉の向こうの編集室。
「犯人は、このスタジオのローカルネットワークに侵入できる人間……つまり、『内部関係者』だ」
僕の指摘に、ようやくマネージャーの手が止まった。 「おいおい、冗談だろ? ここに出入りできるのは、俺たち社員と、お前ら演者だけだぞ」
「そう、そこだ」
僕は立ち上がり、ホワイトボードにマジックで図を書き始めた。 子役時代、ミステリードラマの現場で覚えた「相関図」の作り方だ。感情を排除し、事実だけを並べる。
【事実1:犯人は僕の本名(相沢湊)を知っている】 ここでのバイト契約は極秘だ。僕が元子役であることを知っているのは、採用担当と現場マネージャーのみ。
【事実2:犯人は『アリスが死んでいる』ことを知っている】 世間ではアリスは「活動休止からの復帰」として処理されている。死亡の事実を知るのは、遺体の第一発見者である社長と、隠蔽工作に加担した一部社員。そして――。
「……僕と同じ、**『アリス役』**の連中だ」
僕はホワイトボードに大きく**『GHOST』**と書き殴った。
星降アリスという巨大な虚構を維持するために、事務所は僕を含めて**3人の「中の人」**を雇っている。
1号(僕): 雑談・朗読配信担当。演技力特化。
2号: ゲーム実況担当。プレイスキル特化の元プロゲーマー。
3号: 歌枠担当。絶対音感を持つ元インディーズ歌手。
シフト制で回される僕たちは、互いの顔も本名も知らされていない。 スタジオですれ違う時も、情報の漏洩を防ぐために顔を隠すことが義務付けられている徹底ぶりだ。
「おい、まさか他のキャストを疑ってるのか? 2号も3号も、生活かかってるんだぞ。こんな脅しをかけるメリットがない」
「メリットならあるよ」
僕は冷ややかに言い放った。
「**『椅子取りゲーム』**だ」
星降アリスの収益は莫大だ。もし、自分以外の「中の人」を精神的に追い詰めて辞めさせれば? 残った人間のシフトは増え、報酬は跳ね上がる。 あるいは――もっと個人的な、ドロドロとした怨恨か。
「マネージャー。今日、この前のシフトに入っていたのは誰だ?」
「えっと……昼のゲーム枠だから、2号だな」
「2号が使った機材、まだログ残ってる?」
マネージャーは渋々といった様子で、サブマシンのキーボードを叩いた。 数秒後、彼の顔色が青ざめる。
「……おい。2号のアカウント、ログアウトされてねえぞ」
通常、シフトが終わればセキュリティのために必ずログアウトする決まりだ。 だが、画面には『Admin Access: Alive』の文字が点滅している。
犯人は、2号のアカウント権限を使って、スタジオのネットワーク内にバックドア(裏口)を仕掛けていたのだ。 そして、僕が配信を始めたタイミングを見計らって、直接僕の脳内にあのメッセージを送りつけた。
『地獄の底は綺麗に見える?』
あれは単なる脅しじゃない。 **「お前の正体も、居場所も、全て把握している」**という、マウント取り(宣言)だ。
「……楽しくなってきたな」
恐怖ですくみ上りそうになる足を、無理やり笑いでねじ伏せる。 僕はスマホを取り出し、2号のアカウントが残したアクセスログを写真に収めた。
「マネージャー、この件は社長には黙っておいてくれ。騒ぎになれば、僕ら全員クビだ」
「お、おい! 何する気だ湊!」
僕はスタジオの出口へと向かいながら、背越しに手を振った。
「犯人探し(ロールプレイ)の続きだよ。……2号だか3号だか知らないが、死人のフリして人を呪うなら、やり方を間違えてる」
ドアノブに手をかけた瞬間、指先に冷たい感触が走った。 ドアの隙間に、何かが挟まっている。
それは、一枚のメモ用紙だった。 可愛らしい丸文字で、こう書かれている。
『次は、嘘がつけない場所で遊ぼうね』
インクはまだ、湿っていた。 犯人はついさっきまで、このドアの向こうに立って、僕が配信で怯える様を笑いながら聞いていたのだ。
廊下の暗闇が、急に濃くなった気がした。 この事務所という「箱」そのものが、巨大な棺桶のように僕を圧迫してくる。
僕はメモを握りつぶし、誰もいない廊下へ足を踏み出す。 演技の時間はおしまいだ。ここからは、命がけの推理が始まる。
(第二話 完)




