第一話 死体とダンス
「3、2、1……キュー」
スタッフの無機質な合図と共に、僕は死体の皮を被る。 重たいVRヘッドセットが視界を塞ぎ、全身に張り巡らされたトラッキングスーツが、僕の肉体の動きをデジタル信号へと変換していく。
暗いスタジオの空気は一瞬で消え去り、目の前には、パステルカラーで彩られた「夢のお城」が広がっていた。
《こんアリス〜! 星降アリスだよっ! みんな、いい子にして待ってたかな?》
僕の喉から出た低い地声は、高性能なAIボイスチェンジャーによって、糖度120%の可憐な少女の声へと変換される。 モニターに映っているのは、銀髪にオッドアイの美少女。 チャンネル登録者数500万人。現代のインターネットが生んだ、電子の女神。
そして――3ヶ月前にマンションの屋上から飛び降りて死んだ、ただの肉塊だ。
今の僕は、相沢湊。17歳の高校生であり、かつて「天才」ともてはやされた元子役。 そして現在は、死んだ彼女の代わりにガワを動かす、時給1500円の「ゴースト(幽霊)」だ。
《うわあ! 開始早々スパチャありがとう! 『アリスちゃん待ってた』? えへへ、私も会いたかったよ〜!》
右手のコントローラーを振る。 画面の中のアリスが、愛らしく手を振り返す。 それだけで、滝のように流れるコメント欄。
『かわいい!』 『今日も生きててくれてありがとう』 『俺の命、アリスにあげる』
……皮肉なもんだ。 お前たちが投げているその金は、もうこの世にいない少女への香典代わりにもなりやしない。 それは、彼女の死を隠蔽し、搾り取れるだけ搾り取ろうとする大人たちの懐に入り、ほんの一部が、僕のコンビニ弁当代に変わるだけ。
「生」と「死」の境界線なんて、この配信部屋には存在しない。 あるのは、「バズるか」と「燃えるか」。ただそれだけだ。
僕がこのバイトに採用された理由はシンプルだ。 『感情を殺して、他人になりきるのが上手いから』。 子役時代に大人たちの顔色を伺いすぎて壊れてしまった僕の心は、皮肉にも、死者を演じるにはうってつけの素材だったらしい。
今日の企画は「マシュマロ(匿名質問)読み」。 無難な質問を選んで、当たり障りのない、けれどファンが喜ぶ「聖女」のような回答を返す。簡単な仕事だ。
《えーっと、次はこれ! 『最近、悲しいことがあって眠れません。アリスちゃんは、辛い時どうしてるの?』》
僕は、台本通りに微笑もうとした。 けれど、ふと脳裏に、このアリスの「中身」だった少女の、ニュースで見た最期がよぎる。 彼女は、辛い時どうしたんだっけ。 ……ああ、飛んだのか。
《……辛い時はね、》
僕はマイクに向かって、あえて明るく、そして残酷なほど無邪気に囁いた。
《逃げちゃえばいいんだよ。全部忘れて、深い深い夢の中へ……私みたいにねっ!》
『さすがアリスちゃん!』 『深い言葉だ……』 『一生ついていく』
画面の向こうの信者たちが、僕の適当なアドリブを勝手に解釈して感動している。 チョロいもんだ。僕は鼻で笑いながら、次の質問をクリックした。
その時だ。
コメント欄の流れが、不自然に止まった気がした。 高速で流れる賞賛の言葉の中に、一つだけ、異質な色が混ざり込んだ。
『ねえ、アリスちゃん』
それは、スパチャの色付きコメントでもないのに、なぜか僕の網膜に焼き付いた。
『そこからだと、地獄の底は綺麗に見える?』
心臓が跳ねた。 背筋に、冷たい氷水を流し込まれたような悪寒が走る。 ただのアンチコメント? いや、違う。 「地獄」という単語。それは、生前の彼女が裏垢で、最後に呟いていた言葉と同じだ。 その裏垢の存在を知っているのは、警察と、事務所の一部の上層部、そして――。
動揺で、アリスの表情が一瞬フリーズする。 今の、誰だ? 誰が書き込んだ?
『私の声を使って、私のファンを騙して、楽しい? ねえ、湊くん』
「ッ……!?」
僕は思わず息を飲み、ヘッドセットの中で目を見開いた。 湊くん。 僕の本名だ。 この仕事は極秘だ。バレたら多額の違約金が発生するし、何より「アリスは生きている」という幻想が崩壊する。 僕がゴーストをやっていることを知っている人間なんて、ここにいるスタッフ数名しかいないはずだ。
《あ、あれぇ〜? 回線ちょっと重いかな? ごめんね、みんな!》
とっさに「回線トラブル」の演技をして誤魔化す。 けれど、冷や汗が止まらない。 トラッキングスーツの内側が、嫌な湿り気を帯びていく。
コメントはすぐに他のファンの声に流されて消えた。 だが、確かに見たのだ。 死んだはずの少女が、画面の向こう側から、僕の喉元にナイフを突きつけてきたのを。
「……おい、今のコメント」
マイクをミュートにして、ブースの外にいるマネージャーを見る。 大人は、スマホをいじりながら気だるげに首を振っただけだった。 「あ? 何も見てねえよ。進行続けろ、同接(同時接続数)落ちてきてるぞ」
誰も気づいていない。 いや、気づかないふりをしているのか?
僕は再びマイクをオンにする。 吐き気がするほどの恐怖を、完璧なアイドルの笑顔で塗りつぶして。
《ごめんねっ! 気を取り直して、次の質問いくよー!》
そうだ。これは仕事だ。 僕は湊じゃない。死体だ。 死体は怯えない。死体は動揺しない。 死体は、ただ求められるままに、美しく笑っていればいい。
けれど、僕は理解してしまった。 この華やかな配信部屋のどこかに――あるいは、この無限に広がるネットワークの海のどこかに。 「本物」の幽霊が潜んでいることを。
神様のいないこの部屋で、僕と死体との、終わらないダンスが幕を開けた。
(第一話 完)




