表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/12

第3話 削られていく日常


 黒い音住が消えたあと、しばらく俺は動けなかった。

 ベッドの端に座ったまま、ひざに両手を置き、震えが収まるのをただ待っていた。


(……本当に、見たんだよな)


 あの、笑った影。

 父の書記にあった“奴ら”。

 そして、俺の声が途中で欠けた現象。


 全部が綺麗に一列に並びはじめて、背中がじわりと冷たくなる。


「……寝よ」


 そう呟いた俺の声は、かろうじて全部聞こえた。

 それだけで妙に安心して、ようやく布団をかぶった。


 しかし、その夜は眠りが浅かった。

 夢と現実の境界が曖昧で、布団の外の暗がりがいつもより濃く見えた。



---


 翌朝。

 キッチンから漂う匂いはいつも通りだったけれど——


「おはよう、【俺の名前】。早く食べちゃいなさい」


 母の声は普通なのに、テーブルに皿が置かれる“コトッ”が聞こえない。

 昨日より、消えている音が増えている。


 歯を磨くときの“シャッ”も、

 ローファーを履くときの“ギュッ”も、

 玄関のドアを閉める“バタン”も。


 聞こえない。


(……本当に、父さんと同じ道を辿ってるのか?)


 胸の奥がざわつく。

 落ち着かないまま学校へ向かった。



---


 教室に入ると、クラスメイトの話し声は普通に聞こえる。

 笑い声も、雑談も、机を叩く手拍子も全部。


(俺の周りだけ、音が消えてる……?)


 そう考えた瞬間、首の後ろがゾワッとした。

 昨日見た黒い音住の笑顔が脳裏に蘇る。


 まるで、俺の“音”を味わっているみたいな、あの不気味な笑み。


 そのとき、横から声がした。


「【俺の名前】? なんか今日ぼーっとしてね?」


 友達の声はしっかり聞こえる。

 でも、その友達がイスを引く“ガタン”だけ聞こえない。


 音が、選ばれて消えているようだった。


「いや……なんでもない」


 そう誤魔化したが、心臓の鼓動が妙に早い。

 この“変化”が、昨日の黒い影と関係していることは間違いないのに。

 俺自身がその事実を受け入れたくなかった。



---


 昼休み。

 ふいに、スマホの通知音が鳴らないのに気づいた。


(設定ミスか?)


 そう思って画面を見るが、バイブの振動すら感じない。

 試しに机を指でトントンと叩いてみても——


「……音、しない」


 胸がギュッと縮む。


 音が消えていく。

 確実に、昨日より早いペースで。


 父が書記に残した“虚空の段階”。

 何も聞こえなくなる、その入口に、俺はもう立っているのかもしれない。


(——いやだ)


 その瞬間、教室の窓の外が“カタ”と揺れたように見えた。

 音はしなかった。

 だが揺れた。

 異様にゆっくりとした動き。


 そして、窓の外の廊下の奥。

 昨日、俺に似た誰かを見た場所。


 そこに——誰かが立っていた。


 制服姿。

 背丈は俺とほぼ同じ。

 顔は影になって見えない。


(……また、いる)


 その“誰か”は、昨日よりもはっきりと形を持っていた。

 なのに、廊下には何の足音も反響もない。


 世界に溶け込んだ影のように、ただ、立っていた。


 瞬きをしたらそいつは消えていた。

 まるで幻のように。



---


(これって……前兆なんじゃないか?)


 父が“音が消えるほど奴らが近くなる”と書いていた。

 俺の音は確実に奪われている。

 そして昨日は黒い音住が現れた。


(じゃあ今日は……)


 俺の背筋を冷たいものが駆け下りた。


 ——これは、まだ序章だ。


 この先、もっと深い異常が来る。

 その予感だけが、やけに確かな重さを持って胸に沈んでいた。



---


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ