騎士剣士セレス
アークスを出発してから五日後。
地平線の先に、天を衝くかのような巨大な城壁が見えてきた。
始まりの街アークスとは比べ物にならない規模を誇る、商業都市ゼノンだ。
「わぁ…! すごい…!」
リリィが子供のようにはしゃぎながら感嘆の声を上げる。
城門をくぐると、そこは活気と富の匂いで満ち溢れていた。
スパイスの香り、焼きたてのパンの香り、そして人々の熱気が混じり合い、むせ返るような喧騒が二人を迎える。
石畳の道は磨き上げられ、行き交う人々の服装もアークスとは明らかに違う。
豪華な装飾が施された馬車が走り、道の両脇には異国の珍しい品々を並べた露店がどこまでも続いている。
天を突くようにそびえ立つ時計塔が、この街の富と技術力の高さを象徴していた。
「まずは宿を確保して、それからギルドに行ってみよう」
カズマは人の流れを巧みにかわしながら、リリィをリードする。
二人は大通りから少し入った、「風見鶏の宿」という看板を掲げた清潔そうな宿屋に入った。
「いらっしゃい! 部屋は空いてるぜ。どうするい? 兄さんと嬢ちゃん、一部屋かい?」
恰幅のいい宿屋の主人が、人の良さそうな笑顔で尋ねてきた。
「いや、部屋は二つで頼む」
カズマが当然のように答えようとした、その時。
くいっ、と服の袖を弱々しく引かれた。
振り返ると、リリィが顔を真っ赤にして俯きながら、もじもじとカズマの服を掴んでいる。
「あの…その…私、カズマさんと一緒の部屋がいい、です…。一人だと、まだ少し、不安で…」
蚊の鳴くような声だったが、カズマの耳にははっきりと届いた。
アークスでの出来事や、慣れない大都市での緊張。彼女の不安と、そしてそれ以上にカズマへ寄せる絶対的な信頼を感じ取り、カズマは優しく微笑んだ。
「…わかった。じゃあ、一番良い部屋を一部屋頼む」
「へい、毎度あり! 兄ちゃん、わかってるねぇ!」
主人のからかうような声に、リリィの顔がさらに赤く染まった。
一息ついた後、二人はゼノンの冒険者ギルドを訪れた。
アークスのギルドが地元の公民館だとすれば、ここはまるで巨大な証券取引所だ。
吹き抜けの高い天井。慌ただしく情報を交換し合う冒険者たち。
飛び交うのは高ランク依頼の成否や、高額な報酬の話ばかり。
「北の鉱山に出たリザードマンの群れ、俺たちのパーティで片付けてやったぜ」
「迷宮都市から新しい地図が届いたらしい。一攫千金のチャンスだ」
誰もが自分の実力に自信を持ち、野心を隠そうともしない。
カズマはそんな空気を楽しみながら、奥にある高ランク者向けのクエストボードへと向かった。
Bランク、Aランクの依頼書が並ぶその場所は、空気が一段と張り詰めている。
周囲の冒険者たちの装備も、カズマがこれまで見てきたものとは一線を画していた。魔法の文字が刻まれた鎧、魔獣の素材で作られたであろう大剣。誰もが歴戦の強者であることを物語っていた。
「ワイバーンの亜種討伐…報酬は金貨五十枚か」
「迷宮の未踏破領域マッピング…面白そうだな」
カズマが興味深そうに依頼書を眺めていると、ふと、周囲のざわめきが静まり、一本の道ができた。
まるでモーゼの十戒のように、冒険者たちが壁際に寄り、一人の人物に道を譲っている。
その視線の先から、冷たい声が背後からかけられた。
「そこは、お前のような新人が来る場所ではない」
振り返ると、そこに一人の女剣士が立っていた。
腰まで届く流れるような銀髪。氷のように澄んだ青い瞳。
磨き上げられた銀の鎧は彼女の美しい身体のラインを際立たせ、腰に下げた長剣は鞘に収まっていても業物だと分かる。
何より目を引くのは、その胸に輝くBランクを示すミスリルのプレートだった。
彼女の立ち姿には一切の無駄がなく、ただそこにいるだけで周囲を圧倒するような気品と威圧感を放っていた。
彼女の名はセレス。
ゼノンでも指折りの実力を持つ、孤高の剣士。
彼女の視線は、カズマの胸にある青銅のプレートに向けられていた。
侮蔑。その一言に尽きる、絶対的な強者から弱者へ向けられる冷たい視線だった。
「Eランクの冒険者が冷やかしで立ち入る場所ではないと言っている。身の程を知れ」
周囲の冒険者たちが固唾を呑んで見守っている。
「おい、あの新人、”氷刃のセレス”に目をつけられたぞ」
「命知らずな奴だ…」
リリィが彼女の威圧感に怯え、カズマの後ろに隠れる。
だが、カズマは全く動じていなかった。
彼女の立ち姿、呼吸、筋肉の動き。その全てから、彼女が積み上げてきた鍛錬の質が見て取れた。
「忠告ありがとう。でも、少し興味があったもので」
カズマは穏やかに、しかし堂々とした態度で答えた。
「……何?」
セレスの眉がぴくりと動く。
侮られて当然のEランクでありながら、全く臆することのないその態度。セレスは初めて見るタイプの人間を前に、わずかに困惑した。
「俺はカズマ。こっちはリリィ。君の名前は?」
「……貴様に名乗る名はない」
「そうか。残念だ。君のような強い人の剣には、少し興味があったんだが」
カズマが純粋な好奇心からそう言うと、セレスの纏う空気がさらに冷たくなった。
ギルド内の温度が数度下がったかのような錯覚さえ覚える。
「…戯言を」
「ここは実力だけが全ての世界。お前のような弱者が馴れ合いで生き残れるほど甘くはない。その青銅プレートが、お前の価値の全てだ。勘違いするな」
セレスはそれだけ吐き捨てると、カズマを汚物でも見るかのような目で見下し、踵を返して去っていった。
その背中は、絶対的な自信と、他者を寄せ付けない孤高に満ちていた。
「感じの悪い人でしたね…」
リリィがカズマの袖を掴みながら心配そうに言う。
「大丈夫ですよ、カズマさん。あの人が言ったことなんて…」
「そうかな? 俺は、あの人の言っていることは正しいと思うよ」
カズマは穏やかに笑った。
「それに、彼女の言ったことは正しい。ここは実力だけが全ての世界だ。だからこそ、面白いんじゃないか」
カズマは再びクエストボードに目を戻した。
その横顔には、強者との出会いに対する純粋な喜びと、これから始まるであろう新しい展開への期待が浮かんでいた。




