英雄の誕生
領主の体は黒いオーラと共にみるみる膨れ上がっていく。
肉が裂け、骨が軋む。
もはや人の声とは思えぬおぞましい絶叫と共に、その姿は巨大な異形の魔物へと変貌を遂げた。
館の床や壁を巻き込みながら巨大化し、天井を突き破るほどの巨躯となる。
鋭く伸びた爪。背から生えた無数の触手。そして全身を覆う禍々しい魔力の鎧。
かつての領主の面影はどこにもなく、そこにあるのは純粋な破壊衝動の塊だった。
「グオオオオオッ!」
魔物は咆哮と共に、その触手を嵐のように薙ぎ払う。
大理石の柱が、まるで小枝のようにへし折れた。
「させん!」
セレスが即座に反応し、剣で受け止めるが、そのあまりの衝撃に壁際まで弾き飛ばされる。
「セレス!」
「くっ…! なんという重さだ…!」
かろうじて受け身を取ったセレスの横を、ティナが疾風のごとく駆け抜ける。
「オラァッ!」
ティナが死角から高速の連撃を叩き込むが、分厚い魔力の鎧に阻まれ、ガギン、と硬い音を立てるばかりで有効なダメージを与えられない。それどころか、魔物はティナの動きに反応し、カウンターで薙ぎ払ってきた。
「危ない!」
俺はティナを突き飛ばし、その場から回避させる。
ティナがいた場所を、巨大な爪が抉り取っていた。
「ちっ、攻撃が全然通らねえ!」
「援護するわ! 喰らいなさい、『フレイム・ランス』!」
ルーナの放つ上級攻撃魔術、炎の槍が魔物の巨体に次々と着弾する。だが、魔力の鎧に触れた瞬間、すべての炎が吸収され、霧散してしまう。
「ダメだわ! あの魔力の鎧、こちらの攻撃をすべて吸収してる!」
ルーナが焦りの声を上げる。
魔物はアヴァロンの土地そのものから生命力を吸い上げ、わずかな傷すら瞬時に再生していく。
まさに絶望的な状況。仲間たちの顔に焦りの色が浮かぶ。
だが、俺だけは冷静だった。
この絶望的な状況こそが、『完全学習』の真価を発揮する舞台だからだ。
俺は魔物の動き、魔力の流れ、再生のプロセス、そのすべてを視界に収め、瞬時に解析する。
攻撃パターン。魔力循環の経路。鎧の構造。そしてエネルギー供給源。
全ての情報が俺の頭脳に流れ込み、再構築されていく。
(このままではジリ貧だ。だが、必ず突破口はあるはずだ。どんな複雑な魔術にも、必ず核となる理論と構造が存在する。それを見つけ出す…!)
―――見えた。
魔力の鎧の中心。心臓部に当たる位置に、ひときわ濃密な魔力の核が存在する。
あれが、領地の生命力を吸い上げるポンプであり、この魔物の弱点だ。
だが、それは分厚い魔力鎧のさらに奥深く。生半可な攻撃では届かない。
「みんな、落ち着いて聞け!」
俺は仲間たちに指示を飛ばす。
「セレスとティナは、奴の足止めに集中しろ! 奴の注意を俺から逸らすんだ! 攻撃はしなくていい、回避に専念しろ!」
「ルーナは俺の合図で、奴の心臓部の魔力鎧を一点集中で撃ち抜いてくれ! 魔力は最大まで溜めておけ!」
「リリィは全員の回復と強化を! 特に前衛の二人から目を離すな!」
「イリスは俺の合図に合わせて聖魔法の詠唱を! 奴の核の力を一時的にでもいい、封じてほしい!」
俺の迷いのない声に、焦りに染まっていた仲間たちの瞳に再び光が宿る。
彼女たちは即座に動き出した。
「承知した!」
「おうさ!」
セレスとティナが陽動と牽制を繰り返し、巨大な魔物の注意を完璧に引きつける。
セレスの華麗な剣舞が魔物の視線を釘付けにする。
ティナがその死角を縦横無尽に駆け回り、攪乱する。
二人は背中を預け合い、互いの死角を完璧にカバーしながら嵐のような猛攻を凌ぎ続けていた。
「ルーナ、まだか!」
「もう少しよ! これほどの高密度な魔力制御、時間がかかるわ!」
ルーナの額に汗が浮かぶ。彼女の杖の先に、空間が歪むほどの魔力が収束していく。
「今だ、ルーナ!」
セレスとティナが魔物の両腕を同時に攻撃し、一瞬だけその動きを止めた。
その刹那の好機を、俺は見逃さない。
「今だ、ルーナ!」
「いっけえええええっ!」
ルーナの放った最大威力の収束魔術が、光の槍となって魔物の胸部に寸分の狂いなく着弾し、魔力の鎧にわずかな亀裂を入れた。
ほんの一瞬だけ。黒く脈打つおぞましい魔力の核が剥き出しになる。
「イリス!」
「はいっ! 悪しき力を浄化する聖なる光よ!」
イリスが両手を突き出すと、彼女の民を想う祈りが形となったかのような、清らかな光の槍が放たれ、剥き出しの魔力の核を直撃した。
聖なる力に触れた核は激しく明滅する。
魔物の再生能力が著しく低下し、苦悶の叫びが上がった。
「終わりだ!」
俺は自らの剣に、無限の魔力炉心から汲み上げた全魔力を注ぎ込む。
遺跡で習得した『高密度魔力制御』と、ルーナから学んだ『超精密魔術理論』を応用する。
魔力を極限まで圧縮し、光り輝く刃へと練り上げた。
俺の剣が、太陽のように眩い光を放ち始めた。
「喰らえ、『完全学習』のすべてを込めた一撃を!」
俺の放った一閃は、光の奔流となって魔物の核を貫いた。
「ギ…アアアアアアアアアッ!」
断末魔の叫びと共に、魔物は内側から光に包まれ、塵となって消滅していく。
その巨体を支えていた邪悪な魔力は霧散し、後に残ったのは半壊した館の残骸だけだった。
静寂が戻った館に、夜明けの光が差し込み始めた。
破壊された天井から差し込む光が、俺たちを祝福するように照らし出す。
外で固唾を飲んで見守っていた民衆は、一瞬、何が起こったのか理解できずに静まり返っていた。
やがて、一人の子供が俺たちを指差して叫んだ。
「あ…! 立ってる…!」
その声が引き金だった。
誰からともなく上がった歓声は、堰を切ったように広がり、すぐに絶叫にも似た熱狂的な大歓声へと変わっていく。
それは単なる喜びの声ではなかった。
これまでの圧政に耐え、絶望に沈んでいた人々の、魂からの解放の叫びだった。
人々は泣き、抱き合い、口々に「英雄だ!」と何度も何度も叫んだ。
イリスが民衆の前に進み出て、高らかに宣言した。
その声は、涙で震えながらも、領地の隅々まで響き渡るほど力強かった。
「アヴァロンは、今、解放されました! 私たちの土地は、私たちの手に戻ったのです!」
彼女は振り返り、俺たちをまっすぐに見つめる。
そして再び民衆に向かって叫んだ。
「そして、この者たちこそ、我らを絶望の淵から救い出してくれた、真の英雄です!」
民衆の熱狂的な喝采を浴びながら、俺はボロボロになった仲間たちと顔を見合わせ、静かに、しかし確かな達成感と共に笑った。
英雄、か。なんだか、とんでもないことになってしまった。
これから始まるであろう領地の復興を思うと、むしろこっちの方が大変かもしれないな、と俺は一人、遠い目をするのだった。




