領地解放戦
作戦はシンプルだ。
夜陰に乗じて、俺が隠密スキルを駆使して領主の館に単独潜入する。禁断の魔術に関する情報を探り、儀式を阻止する。
その間に、イリスが父の代から仕える旧家臣たちと連携し、民衆を蜂起させる。
セレスとティナ、リリィは、その蜂起軍の中核として彼女たちを支援する。
ルーナは街を見下ろせる高台で待機し、俺からの合図で館全体を覆う魔術的防御結界を無力化する。
「本当に大丈夫か、イリス? 家臣の人たちは信用できるんだな?」
作戦開始前、俺はイリスに最終確認を取った。
「はい。父の代からの騎士団長だったバルガス卿や、文官だった者たちです。彼らは叔父の圧政に耐えかねて下野しましたが、今も水面下で連絡を取り合い、機会を窺っていました。貴方たちという希望が現れた今こそ、決起の時です」
彼女は自らの恐怖を押し殺し、気丈にそう答えた。その隣でリリィが「私もイリス様と、民の皆さんをお守りします」と強く頷く。
「ま、万が一の時はあたしたちが派手に暴れて、無理やり門をこじ開けるだけだ!」
ティナが頼もしく笑い、セレスも静かに剣の柄を握りしめる。
「案ずるな。我らがついている」
最高の仲間たちだ。
「それじゃ、行ってくる」
夜の闇に紛れ、俺は一人、領主の館へと向かった。
月明かりすらない新月の夜。
俺は『気配遮断』と『隠密』スキルを多重に発動させ、闇に溶け込む。
丘の上にそびえる領主の館は、まるで巨大な墓標のように静まり返っていた。
だが、その内側には悪意が渦巻いている。
警備兵の巡回ルート、視線の動き、息遣い、交わされる雑談の内容。
そのすべてから最適な侵入経路を瞬時に割り出し、俺は影そのものとなって音もなく館の敷地に侵入する。
「おい、聞いたか? また村の一つがモンスターに襲われたらしいぜ」
「領主様は儀式にご執心で、俺たちには見回りすら許可されんからな。見捨てられたもんだ」
兵士たちの諦めに満ちた声が、この領地の腐敗を物語っていた。
向かうは、イリスから聞いていた領主の書斎。
そこには、禍々しい魔力の残滓が色濃く残っていた。
俺は建物の壁を蜘蛛のように駆け上がり、書斎の窓から音もなく侵入した。
部屋の中は豪奢だ。だが、どこか空虚で、そして淀んだ魔力が満ちていた。
俺の目は、部屋の奥にある巨大な本棚に引き寄せられた。
他の家具と比べて、そこだけ魔力の残滓が濃い。
本棚に近づき、無数に並ぶ背表紙をなぞるように視線を走らせる。
ほとんどの本には埃が積もっている。
だが、一冊だけ。
『王家の帝王学』と題された分厚い革張りの本。
その本だけが、不自然なほどに人の手に触れられた跡があった。
俺はその本をゆっくりと引き抜く。
ゴクリと重い音がした。
本棚そのものが静かに横にスライドしていく。
現れた螺旋階段を、俺は音も立てずに下りていった。
「これは……」
螺旋階段を下った先には、吐き気を催すほどのおぞましい空間が広がっていた。
鼻を突くのは、血と腐臭が混じったような甘い匂い。
壁には常人には解読不能な古代文字がびっしりと刻まれている。
床には血で描かれたかのような複雑な魔術陣が、心臓の鼓動のように不気味な光を明滅させていた。
俺はそれらを一瞥しただけで『完全学習』し、儀式の全容を理解した。
領主は、アヴァロンの土地に宿る生命力そのものを贄として、古代の悪魔を召喚し、不老不死と尽きることのない富を得ようとしている。
魔術陣の中心に置かれた黒い水晶が、領地全体から吸い上げた生命力で満たされ、異界への門が開きかけている。
儀式はすでに最終段階。もはや一刻の猶愈もなかった。
俺は魔術通信でルーナに合図を送る。
『ルーナ、やれ!』
その瞬間、館全体を覆っていた防御結界がガラスのように砕け散った。
「な、何事だ!?」
「敵襲だ! 敵襲ー!」
館内が騒然となる。
それと同時に、館の外から地鳴りのような鬨の声が上がった。
広場に集まった民衆の前で、イリスが声を張り上げていた。
「アヴァロンの民よ! いつまで、この圧政に耐え続けるのですか! 私たちの父祖が築いたこの豊かな土地が、今、死にかけています! 立ち上がりなさい! 誇りを取り戻すのです!」
最初は遠巻きに見ていた民衆だったが、彼女の魂の叫びに、一人、また一人と顔を上げる。その瞳に、諦めではない、怒りの炎が灯り始める。
そのタイミングを見計らったかのように、群衆の中から屈強な老人――元騎士団長のバルガスが雄叫びを上げた。
「聞いたか、諸君! イリス様が、我らと共に立ってくださったぞ! 武器を取れ! 我らの土地は、我らの手で取り戻すのだ!」
バルガスの声に呼応し、彼の仲間である元家臣たちが鍛冶場から持ち出した剣や、農具などを民衆に配り始める。
「そうだ、俺たちの土地だ!」「イリス様と共に戦うぞ!」
民衆の怒りが一つのうねりとなり、領主の館へと向かう。
イリスの気高い声と、旧家臣たちの周到な準備が、圧政に耐えかねた民の怒りに火をつけたのだ。
「さて、仕事を始めますか」
俺は静かに呟くと、書斎を飛び出し、混乱の渦中へと身を投じる。
「敵は一人だ! 囲んで殺せ!」
集まってきた兵士たちの剣筋、連携、癖、死角。そのすべてを瞬時に見切る。
その動きは、俺の目にはスローモーションのように映っていた。
俺はまるで未来を予知しているかのように兵士たちの攻撃を紙一重でいなし、峰打ちで的確に意識を刈り取っていく。
「化け物め…!」
兵士たちが恐怖に後ずさる。
その背後から、閃光と突風が駆け抜けた。
「道を開けろ、雑魚ども!」
「カズマの邪魔すんじゃねえ!」
セレスの剣が兵士たちの鎧をバターのように切り裂き、ティナの蹴りが衝撃波となって彼らをまとめて吹き飛ばす。
二人は民衆を導き、館の正門を突破してきたのだ。
「カズマさん、ご無事で!」
リリィの補助魔法が俺たちの身体能力をさらに引き上げる。
その頃、秘密の部屋では。
一人の兵士が血相を変えて螺旋階段を駆け下りてきた。
「領主様! 大変です!」
儀式の最終段階に入っていた領主は、邪魔されたことに苛立ち、顔をしかめる。
「騒がしいぞ! 何事だ!」
「はっ! 館が、館が何者かに襲撃されております! 防御結界は破られ、兵士たちが次々と…! さらには、イリスを先頭にした民衆が館に押し寄せてきております!ここまで到達するのも時間の問題かと!」
「ちくしょう、ちくしょう!」
兵士の報告を聞き、領主は怒りに顔を歪ませ、魔術陣の中心にある黒い水晶を睨みつけた。
儀式の完成を邪魔された怒り。
そして、見下していた民衆に反旗を翻された屈辱。
その顔は醜く歪んでいる。
「あの小娘…! 愚民どもが…! 我が永遠の命と富が、目前であったというのに…!」
彼は憎々しげにそう吐き捨てると、魔術陣の中心にある黒い水晶を掴み取った。
「だが、もはやこれまでか…! よかろう、不老不死も財宝もくれてやる! 代わりに、奴らを鏖殺する力をよこせ!」
彼は水晶を自らの胸に突き立てる。
ゴゴゴゴゴ…!
領主の体がおぞましい黒いオーラに包まれ、人ならざるものへと変貌していく。
肉が裂け、骨が軋むおぞましい音と共に、その体はみるみる膨れ上がっていく。
館全体が、まるで大地の悲鳴のように激しく揺れた。
領地解放の戦いは、最悪の形で最終決戦へと突入しようとしていた。




