王女の理想と決意
俺たちはイリスを伴って宿屋の一室に戻っていた。
街で一番良い宿とはいえ、華美な装飾はない。
だが、清潔に保たれた部屋には暖炉の火が穏やかに揺れる。
張り詰めていた空気を少しずつ和らげていた。
リリィが淹れた温かいハーブティーを一口飲み、イリスは強張っていた表情をようやく和らげた。
リリィが先ほどからかけ続けている回復魔法も効いているようだ。
死人のように青白かった彼女の顔に、わずかな血の気が戻っていた。
「ありがとうございます。生き返るようですわ…」
か細いながらも凛とした声で礼を言うイリスに、リリィは「とんでもないです!」とぶんぶんと首を横に振る。
「貴女様のなさっていたことこそ、私にはとても…」
リリィの言葉に、イリスは自嘲するように小さく微笑んだ。
そして、彼女は静かに、しかし力強い意志を込めて語り始めた。
「私の名はイリス・フォン・アヴァロン。この領地を治めていた先代領主の娘です」
やはり、ただ者ではなかった。その気品は本物だったのだ。
彼女の話によると、父である先代領主は、民と共に畑を耕し、祭りでは誰よりも楽しそうに酒を酌み交わすような心優しい人物だったという。
民から深く慕われていた父が病で急逝した後、その弟である叔父が強引に領主の座を奪い取ったのだ。
「叔父は力を妄信し、民から法外な重税を搾り取り、その富で私兵を雇い、自らの権威を飾り立てることしか考えていません。領地の防衛すら放棄し、モンスターの被害は増え、民は疲弊していくばかり…。私は父のやり方を継ぐべきだと訴えましたが、聞き入れられるどころか、反逆の意思ありとして領主の館から追放されました。父に仕えていた者たちの中には、今も私を案じ、機会を窺ってくれている者もいますが、彼らを巻き込むわけにもいかず…。私一人では、この地で民を癒し続けることしかできなかったのです」
だから、彼女は自らの命を削ってでも、人々を癒し続けていたのか。
リリィはイリスの自己犠牲的な献身に、まるで自分のことのように胸を痛め、唇を強く噛みしめている。
同じ治癒師として、その行為がどれほどの覚悟を要するものか、痛いほど理解できるのだろう。
「仲間や家族を踏みにじるようなやり方は、あたしが一番許せねえ…!」
ティナもまた、かつて仲間を罠にはめた悪徳商会の姿を重ねているのか、その拳を固く握りしめていた。
「民を見捨てて私腹を肥やすか。力を持つ者として、あまりに醜悪だな」
セレスは、領主の卑劣なやり方に、静かな怒りを燃やしていた。強さを求める以前の、力を持つ者としての誇りを汚す存在が許せなかった。
「ええ、それだけではないわ。あの領主の館から感じる魔力…あれは尋常ではないわね」
ルーナが鋭く指摘すると、イリスは顔を曇らせた。
その表情は、これまでの話の時よりもさらに暗い。
「ええ。叔父は、不老不死と尽きることのない富を求め、禁断とされている古代の召喚魔術に手を出しているようなのです。領地の生命力そのものを贄として、強大な悪魔を呼び出し、その願いを叶えさせようと…。このままでは、アヴァロンは贄として喰らい尽くされ、滅びます」
「領地の生命力を…?」
ルーナの表情が険しくなる。
「それは、土地に根差す自然の魔力循環を破壊し、根こそぎエネルギーとして収奪する外道の術よ。そんなことをすれば、土地は完全に死に、二度と草木も生えない不毛の地と化す。そこに住む人々も、緩やかに命を蝕まれていく…。貴女にかけられた呪いも、その影響ね」
ルーナの言葉に、イリスは悲痛な表情で頷いた。
そこまで話すと、イリスは顔を上げ、俺たちの目をまっすぐに見つめた。
その瞳には、深い絶望の色がありながらも、決して消えることのない、まるで祈りのような確かな希望の光が宿っていた。
「私には夢があります。このアヴァロンを、誰もが笑顔で、平和に暮らせる『理想郷』にすること。父が目指した、本当の豊かさがある場所にすることです」
民が幸福に暮らせる理想郷。
その言葉は、俺の心に深く響いた。
俺が求めていた「安住の地」とは、まさにそういう場所ではないのか。
チート能力を駆使して、仲間たちと何の心配もなく、のんびりと暮らせる場所。
それは、そこに住む人々が笑顔でいられる場所でなければ、決して手に入らない。
リリィ、セレス、ティナ、ルーナ…。
仲間たちの夢を応援し、実現することが、いつしか俺自身の喜びになっていた。
彼女たちがそれぞれの夢に向かって輝く姿を見るのが、何よりも心地よかった。
ならば、この気高い元王女の夢、俺たちで叶えよう。
このアヴァロンを、俺たちの手で、本当の安住の地に創り変えるんだ。
それはもはや、他人事ではない。俺自身の目標であり、俺の仲間たちの願いでもある。
「カズマさん…」
リリィが、俺の決意を察したように、祈るような瞳で俺の名前を呼ぶ。
「おう、決まりだな、カズマ!」
「承知した。悪政は正さねばな」
「禁断の魔術…解析のしがいがありそうね」
仲間たちの力強い言葉に、俺は頷き返した。
俺はイリスに向き直り、はっきりと告げた。
「あんたの夢、俺たちが叶えてやる。その腐った領主を追い出して、この領地を解放する」
「……!」
イリスは信じられないというように目を見開き、そして、その美しい瞳から大粒の涙をこぼした。
それは絶望の涙ではない。
たった一人で戦い続けてきた暗闇の中で、ようやく見つけた、あまりにも力強く、眩しい希望の光に対する涙だった。
彼女は深く頭を下げる。
その震える肩を、リリィがそっと支えた。
「ありがとうございます…! ありがとうございます…! 私の…アヴァロンのすべてを、貴方たちに託します」
「よし、じゃあ作戦会議だ。まずは、あの領主がどんな魔術を使おうとしてるか、探りを入れるぞ」
俺の言葉に、四人の仲間たち、そして涙を拭い、新たな決意をその瞳に宿したイリスが、力強く頷いた。
理想郷アヴァロンの創造に向けた戦いが、静かに幕を開けた。




