本能の信頼
黒蛇商会のアジトだった倉庫に、静寂が戻っていた。
床に転がる用心棒たちと、気絶したマルコム。
ティナは、その光景をただ呆然と見つめていた。
長年の宿敵が、あまりにもあっけなく壊滅した。復讐という、ずっと自分を突き動かしてきた重りが、不意に消え去ってしまった。喜びよりも先に、大きな空虚感が彼女を襲う。
「ティナ、怪我はないか?」
カズマが声をかけると、ティナはハッと我に返った。
「カズマさん…。みんな…」
「どうして…来たんだよ…! あたしの問題だったのに…!」
涙声で叫ぶティナに、セレスが近づき、その頭をゴツンと殴った。
「この馬鹿猫! どれだけ心配したと思っている!」
セレスは悪態をつきながらも、その手つきはどこか優しかった。
「だが…まあ、よくやった」
「ティナさん、もう大丈夫ですよ」
リリィが駆け寄り、彼女の手に優しい治癒の光を灯す。
温かい光が、体の傷だけでなく、ささくれだったティナの心まで解きほぐしていくようだった。
カズマは気絶したマルコムと帳簿を街の衛兵に突き出し、黒蛇商会の悪事を全て報告した。
帳簿には、彼らの計画の全てが記されていた。人間と獣人の対立を煽って獣人たちを街から追い出し、価値が暴落した獣人街の土地を二束三文で買い占める。そして、その広大な土地を再開発し、莫大な利益を得る。それが黒蛇商会の目的だったのだ。
衛兵たちは、政治的な影響力から手を出せずにいた悪徳商会の悪事が暴かれたことに驚きながらも、カズマたちに丁重な感謝を述べた。
人間と獣人の対立の裏にあった醜い陰謀は、瞬く間に街中を駆け巡った。
翌日、「しっぽ亭」は祝賀ムードに包まれていた。
獣人たちはカズマたちを英雄と称え、次々と感謝の言葉を伝えに来る。
「いやー、兄ちゃんたち、本当にありがとよ!」
「ティナ! お前もよくやったな!」
店のオーナーである恰幅のいい犬獣人は、涙ながらにティナを抱きしめた。
祝宴のために用意された料理と酒が、客たちに無料で振る舞われる。
リリィは獣人の子供たちに囲まれて笑顔を振りまき、セレスも最初は戸惑いながらも、ティナに促されて獣人たちの輪に加わっていた。
仲間たちと笑い合うティナの顔には、もう以前のような悲しみの影はなかった。
その夜。
店の片付けを終えたティナは、宿屋に戻ったカズマの部屋の扉を、少しだけためらってからノックした。
「あんたさ」
彼女はいつもの呼び方で、しかし、これまでとは違う真剣な眼差しでカズマを真っ直ぐに見つめた。
「あたし、ずっと探してたんだ。最強の傭兵団を作るって言ってたけど、本当は、ただ強くて頼れるリーダーを探してただけなのかもしれない」
彼女は語る。
かつての仲間「赤猫団」のこと。血は繋がっていなくても、本当の家族だったこと。リーダーが誰よりも優しく、誰よりも強かったこと。
そして、黒蛇商会の罠によってリーダーを失い、仲間を守れなかった悔しさ。
「あんたを見てて、思い出したんだ。あの人のことを。あんたは、あの人よりもずっと強くて、ずっと頼りになる。あんたの指揮は完璧だった。セレスもリリィも、あんたがいるから、自分の力を120%出せる。あたしも…あんたの指示があったから、あんなに戦えた」
ティナは一度言葉を切り、そして深々と頭を下げた。
「あたしを、あんたのパーティに入れてくれ! 今度は、傭兵団のスカウトじゃない。あたしが、あんたの仲間になりたいんだ。あんたの隣で、あんたの見る景色を、一緒に見たい!」
それは、彼女の魂からの叫びだった。
過去を乗り越え、未来へと歩き出すための、決意表明。
カズマは、そんな彼女の頭に、優しく手を置いた。
「顔を上げて、ティナ。君はもう、とっくに俺たちの大切な仲間だよ」
その言葉に、ティナの顔がパッと輝く。
「本当か…? へへっ…なあ、これからは、あんたのこと『カズマ』って呼んでもいいか? 仲間なんだからさ」
ティナは少し照れくさそうに、しかし嬉しそうに言った。
「もちろん。その方が嬉しいよ」
カズマが微笑むと、ティナは満面の笑みを浮かべた。
「ああ。よろしくな、ティナ」
「おう! よろしくな、カズマ!」
ティナは満面の笑みを浮かべ、カズマに力強く抱きついた。
その体温は、まるで新しい家族を見つけた子供のような、温かさに満ちていた。
カズマは少し驚きながらも、その背中を優しく叩いてやった。
こうして、カズマのパーティに三人目の仲間が加わった。
献身の治癒師リリィ。
孤高の剣士セレス。
そして、野性の格闘家ティナ。
個性豊かな仲間たちに囲まれ、カズマは自分のスローライフ計画が、当初の予定とは少しずつ、しかし確実に違う方向へ進んでいることを感じていた。
(まあ、これも悪くないか)
宿屋の窓から、和解した人間と獣人たちが共に笑い合う街の夜景を見下ろす。
その隣には、リリィとセレス、そしてティナの笑顔があった。
カズマは、この温かい光景を守れたことに、静かな満足感を覚えていた。
一行はミコトの街で数日間の休息を取った後、さらなる知識と冒険を求め、東の「学園都市ライブラリア」を目指して、再び旅立つのだった。




