深まる対立と陰謀の影
「しっぽ亭」での食事は、カズマたちの新たな定位置となった。
ティナは仕事の合間を見つけてはカズマたちのテーブルにやってきて、「やっぱりあんた、あたしの傭兵団に入れ!」と飽きもせずスカウトを繰り返す。
そのたびにカズマが苦笑しながら断り、リリィがオロオロし、セレスが呆れたようにため息をつく。
それは、彼らにとって新しい日常になりつつあった。
街の空気は、日を追うごとに悪化していた。
人間と獣人の間のいさかいは絶えず、些細な口論が殴り合いの喧嘩に発展することも珍しくない。
その度にティナが飛び出していっては、両者を叩きのめして仲裁していた。
「まったく、どいつもこいつも短気なんだから!」
腕っぷしで騒ぎを収めたティナが、息を切らしながら店に戻ってくる。
「最近、特にひどいんだ。誰かが裏で煽ってるんじゃないかって、もっぱらの噂さ」
そんなある日の昼下がり。
店の扉が乱暴に開けられ、一団の男たちが入ってきた。
身なりの良い小太りの男と、その周りを固める屈強な用心棒たち。
その胸には、蛇が剣に巻き付いた意匠の紋章が刻まれている。
店内の陽気な空気が、一瞬にして凍りついた。
「オーナーはいるかな? 我々は『黒蛇商会』の者だ。この辺りの土地の権利を買い取ることになったのでね。立ち退きの話をしに来た」
小太りの男――商会の幹部であるマルコムが、見下すような目で店内を見回し、高圧的に告げた。
その紋章を見た瞬間、ティナの顔から血の気が引いた。
彼女の瞳に、怒りと、そして深い悲しみの色が浮かぶ。
「黒蛇商会…!」
ティナは拳を握りしめ、震える声で呟いた。
「なんだ、話が早くて助かるよ。さっさと荷物をまとめて出ていってもらおうか。もちろん、立ち退き料など出すつもりはないがね。ククク…」
マルコムが下卑た笑みを浮かべる。
「ふざけるな! ここは、みんなの憩いの場だ! あんたたちなんかに、絶対に渡さない!」
ティナがマルコムに掴みかかろうとするが、屈強な用心棒たちに阻まれる。
「おっと、乱暴はいけないな。お嬢ちゃん」
用心棒の一人がティナの腕を掴む。
その時、カズマが静かに立ち上がった。
「その子から手を離せ。商売の邪魔だ」
カズマの穏やかだが有無を言わせぬ迫力に、用心棒たちが一瞬たじろぐ。
マルコムはカズマを一瞥すると、鼻で笑った。
「ほう、ただの冒険者か。正義の味方ごっこはよしな。おい、そいつに現実を教えてやれ」
マルコムが顎でしゃくると、用心棒の中でも一際体格のいい男が、指の骨を鳴らしながらカズマに近づいてきた。
「ボスに逆らうとどうなるか、その体で教えてやるよ」
男がカズマの胸ぐらを掴もうと、巨大な手を伸ばした、その瞬間。
カズマは、ただ一歩、半身を引いただけだった。
男は勢い余って前のめりになり、カズマの肩にぶつかる。だが、次の瞬間、男はまるで巨大な壁に衝突したかのような衝撃を受け、悲鳴を上げる間もなく店の壁まで吹き飛んでいった。
「なっ…!?」
マルコムと残りの用心棒たちが、何が起こったのか理解できずに目を見開く。
カズマは、まるで何もなかったかのように、静かにマルコムを見つめた。
「で、話の続きは?」
その底知れない瞳に、マルコムは本能的な恐怖を感じた。
「お、覚えていろよ…!」
マルコムは壁にめり込んで気絶している仲間を置き去りにし、慌てて店から逃げ出していった。
店の営業が終わり、後片付けをするティナの背中は、いつもよりずっと小さく見えた。
カズマたちが声をかけると、彼女はぽつりぽつりと語り始めた。
「あたし…昔、傭兵団にいたんだ。血は繋がってなかったけど、みんな家族みたいな、最高の仲間たちだった」
彼女が所属していた傭兵団「赤猫団」。リーダーは、孤児だったティナを拾ってくれた、ライオン獣人の大きな男だった。
腕は立つが、それ以上に情に厚く、困っている者を見過ごせない。そんなリーダーの人柄に惹かれて集まった仲間たちと、ティナは本当の家族のように暮らしていた。
だが、弱者を守る彼らの存在は、街の利権を独占しようとする黒蛇商会にとって邪魔だった。
ある日、商会が仕組んだ偽の討伐依頼に誘い出され、赤猫団は待ち伏せに遭う。数で圧倒的に上回る敵を前に、仲間たちは次々と倒れていった。
リーダーは、ティナを逃がすために、その身を盾にして敵の刃を受けた。
「ティナ…生きろ…そして、二度と誰も失わねえくらい…強くなれ…」
それが、彼女が聞いたリーダーの最期の言葉だった。
「あたしが『最強の傭兵団』を作りたいのは、金や名声のためじゃない。もう二度と…大切な仲間を、家族を失わないためなんだ…!」
ティナの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
いつも快活な彼女が見せた、初めての涙だった。
リリィはそっと彼女の背中をさすり、セレスは黙って拳を握りしめている。
カズマは、ティナの震える肩に、そっと手を置いた。
「ティナ。君の過去は俺にはどうすることもできない。でも、未来なら変えられるかもしれない」
カズマは静かに、しかし力強く言った。
「俺たちも手伝う。君の大切な場所と、その夢を、一緒に守ろう」
「カズマさん…」
ティナが顔を上げる。
「黒蛇商会とか言ったか。気に食わない奴らだ。少し、痛い目を見せてやらないとな」
カズマの瞳に、静かな闘志の炎が宿っていた。
こうして、カズマたちは、ティナの因縁と、この街を覆う巨大な悪意に立ち向かうことを決意した。
それはもはや、他人事ではない。
仲間であるティナの、そして自分たちの戦いが始まろうとしていた。




