彼は職務を全うした
「ふう。」
今日も問題なく仕事は終わった。この会社は大企業で、比較的役割は分担されている。私は経理関係の部署で仕事をしている。月末はいつも忙しいのだが、だいたい決まった内容の業務をこなしていれば問題はない。どうも私はこの仕事が性に合っているらしい。
「浜村さん!今日は、お時間開いていますかあ!?」
「あ、ああ。今日はちょっと用事があるんだ・・・。」
「そうですかあー。残念ですねえ。じゃあいつが、ご都合が良いのですかあ?」
「え・・・、それはまたの機会に・・・。」
「んーーー。」
若手の女子社員は不満そうな顔をして、更衣室の方に向かって行った。そんな私たちのやり取りを見て、周りは笑いをこらえている様子だった。全く迷惑な話である。
この私の後輩の女子社員は、いつもズケズケとプライベートに入り込んで来ようとする。本当に苦手だ・・・。
正直に言うと、この私に用事などない。独身彼女無し一人住まいの身分に、冠婚葬祭意外に必須の予定はないのである。つまり特に趣味を持たないつまらない男なのだ。この私は・・・。
この週末もアパートで一人プロ野球を見ながら、ひとり酒をするのであった。
===== とある日の午後 =====
「浜村君。」
「はっ、はい部長。」
「人事部に行ってくれたまえ。」
「えっ、人事部?」
「この私も用件は聞いていない。とにかく人事部に。」
「わ、わかりました。」
急な部長からの要請に私は戸惑った。こんな中途半端な時期に人事部から呼び出しがあるとは・・・・。やはり異動であろうか・・・。
いつも私に言い寄ってくる若手女子社員は、何だか不安そうな表情で私の方を見ていた。そんなに彼女は、私の事が気になるのであろうか。そんな風に思われても、この私には答える気持ちも無い。残酷なようであるが、下手に愛想を振りまくのは彼女に対しても良くない。
===== トントン =====
「入ってきてください。」
「失礼いたします。」
人事部に入室した。
「君が浜村君だね。こちらへきたまえ。」
「はっ。はい・・・。」
この人は人事部長だ。どうやら部長の方は、この私の顔を知らなかったらしい。私は個室に連れられて行った。
「掛けたまえ。」
「はい。」
深々としたソファに座り、私と部長は向かい合った。緊張が高まる。
「では単刀直入に言おう。浜村君。」
「は、はい・・・。」
どちらかと言えば、悪い事を想像してしまう。
「特命係に移動お願いいたします。」
「と、特命係・・・?」
私は動揺した。何故なら、この会社に特命係という存在自体聞いたことが無いからだ。勿論、即座に質問した。
「あの、具体的にどのような業務にあたるのでしょうか?」
「うん。深く考えなくていい。」
「・・・え?」
「しかし重要な仕事だ。」
「・・・・そうですか。」
「君に真面目さは噂で聞いているよ。もし君がその評判通りの人ならば、これは天職である、と思うよ。」
「そうなんですか。」
良く分からないが、そう言われて悪い気分では無かった。
「では早速、明日から頼むよ。」
「分かりました。」
私はサラリーマンだ。自分の能力の許す限りの仕事を果たすのが、その務めである、と思うであった。
スマホを渡された。
命じられた事は、電話に出て対応する事であった。
それはいつ来るのか分からない。
土日祝日以外の勤務日の朝9時から17時まで、人事部のある個室で電話を待ち続けた。
何日待っても来ない。
私は堪り兼ねて、人事部長に問いただした。
しかし人事部長は言った。
「何日、何年後でも、電話を待つのが君に課せられた業務だ。君はどんな内容の仕事でも勤めてくれると信じているよ。」
その言葉に彼は感化された。そうだ。仕事の内容などは関係ない。与えられた業務を粛々とこなす。それが自分に期待された仕事なのだ。
それからというものの、何か月も私はスマホの電話を待ち続けた。
ある日の出勤日。
「先輩!!」
「うん?」
経理部の時の後輩に声を掛けられた。
「大丈夫ですか!?先輩!?」
「は?何をいってるんだ?」
彼女の言っている事は意味不明だった。
「ちょっと・・・。」
私は彼女にカフェに連れ込まれた。まだ朝早いので遅刻の心配は無いのであるが・・・。
「どうしたんだい?」
「だって浜村さん。追い出し部屋に入れられたんでしょ・・・。毎日個室で何もせずに一人いるんでしょ・・・。」
「は?何なんだ君は?私は上層部から特命を受けているんだ。」
「それは何なんですか?どうゆう内容なんですか?」
「言えるわけがないだろう。守秘義務と言うものを知らないのか。」
「先輩・・・。」
「もう特に用が無いなら失礼するよ。」
「あの・・・、困ったらいつでも相談してくださいね・・・!」
彼女の言葉に応えずに、私は出社したのだった。その日以降、私とその後輩が言葉を交わすことは二度となかった。
===== それから数十年 =====
「いやあ、とても粘り強い人でしたね。浜村さん。」
「はあ。」
私は定年退職の日を迎えた。独身を通した私は経済的に余裕があり、再就職をして働き続けなくても生活に困らないだろう。とにかく私は職務を全うしたのだ。仕事の内容は関係ないのだ。それがたとえ電話を待ち続けるという事であったとしても・・・。そしてついに最後まで電話は無かったとしたも・・・。