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月夜の秘密

(ちょろいもんよね)


 その日の晩、フェリシテは無事屋敷を脱出することに成功していた。朝こっそりと準備した荷物は、リルが戻ってくる前にベッドの中に隠していたためしっかりと手元にある。部屋が一階にあることも幸いして、簡単に抜け出すことができた。


(本当は髪の毛も染め粉で黒くしたかったけど……さすがに時間が足りないし)


 平民の髪の色は黒や茶であることがほとんどだ。その中でフェリシテの銀髪は目立ってしまうだろう。後ろで一つにまとめ、マントのフードを深くかぶっているが完全に隠しきることはできなかった。

 硬貨を入れた巾着を胸のポケットに忍ばせ、ランタンの灯りを頼りに街の方まで歩いていく。簡素なブラウスにロングスカート、全身を覆うような長いマントといった簡素な出で立ちは彼女が公爵令嬢だということを忘れさせる。


(音が大きくなってきた……!)


 進めば進むほど、祭囃子や人々の喧騒が大きく聞こえ、フェリシテの胸もワクワクと高鳴っていった。路地から大通りにでれば、そこはまるで別世界だった。


「わぁ……!!!」


 多種多様なランタンが吊るされ、屋台の主人が張りきって呼び込みをしている。エールを片手に立ちながら談笑している人々や、楽器の演奏に合わせて踊っている人たちもいる。

様々な人たちがいて、その全てがフェリシテには新鮮でたまらない。初めての体験に心を躍らせて、そちらの世界に一歩足を踏み出した。


「さぁ寄っておいで!うちの串焼きはどこにも負けないよ!」

「お嬢さん暑いだろう?ジェラートでも食べて一休みしてったらどうだい!」

「恋が叶う腕輪さ!今回限りの限定品だ!早いもん勝ちだよ!」


 声を掛けられるたびにフェリシテの足は止まり、慣れないながらに屋台で買い食いをしたりアクセサリーを買ったりしていた。

夜の祭りに友人なんて概念はないに等しい。串焼きを食べていれば、「これはこうやって食べるもんだ」と、豪快な食べ方を教えてもらったり、買ったばかりの腕輪をつければ「それ可愛いね!」なんて話しかけられたりもする。


(楽しい……!お祭りってこんなに楽しいものなのね!)


 最初はどこか尻込みをしていたフェリシテも、お祭りの楽しみ方とやらに慣れてきたようだ。知らない人と手を取り合い、ルールも何もないダンスを自由に踊る。


「お嬢ちゃん可愛いね!俺とまわらない?」

「でしょ?でもお生憎様、約束してる人がいるの」


 軽く口説いてくるような男のあしらい方も慣れたもので、振られた男は惜しげに離れていった。そんなものだから、フェリシテもつい調子に乗っていってしまう。


「路地の奥の方に進むとな、怪しい連中が商売してるって噂だ。そっちの方には近づかんように、嬢ちゃんも気をつけてな」


 ふと、腕輪を買った店の店主に言われた言葉を思い出した。


(怪しいっていったいどんなものを売っているのかしら?気になるわ)


 自分なら大丈夫、と根拠のない地震がフェリシテの足を路地の方に向けさせる。怪しいって言ったって、価値のないものを法外な値段で吹っ掛けているだけだろう。お金は持っているんだから大丈夫、いざとなったら逃げればいい。

そんな安易な考えで、ランタンの灯りすら入り込まない暗い路地に顔を覗かせる。よくよく目を凝らすと、たしかに奥の方で怪しい影が行き来を繰り返しているようだった。

 彼らの手元で何やら取引をしているようだが、何を持っているのかまでは見えなかった。


(もうちょっと奥に行かないと……)


 フェリシテの好奇心はとどまるところを知らない。一歩、また一歩と暗闇に体が吸い込まれていくかのようだった。彼女の体が完全に闇に飲み込まれたところで、何者かがフェリシテの細い手首を強く捻り上げた。


「……!!!!!」


 痛みによる反射的な声を漏らす前に、背後から口元を抑えられそれも叶わなくなる。


「おい嬢ちゃん、ここに何の用事だい」


 フェリシテの耳元で、しゃがれた声が囁く。ここにいてはダメだと、フェリシテの本能が強く警鐘を鳴らした。しかし逃げようにも、体は震えてしまうし自分の手首を掴む力が強いしで、身じろぎ一つ立てることができなかった。


「お前、女一人できたわりにずいぶんと羽振りが良かったな?察するに、良いとこのお嬢様ってわけか。ひゃひゃ!こりゃあ運がいい。お前みてぇなバカなガキは金になるからよ」


 男が小さな笑い声をあげるが、祭りの喧騒に掻き消され、大通りの方には届かない。

こんなことになると知っていれば、あの店主の忠告をきちんと聞いておくんだった。そんな後悔も、今となってはもう遅い。

 

「そうだな、まずは身代金でも要求させてもらおうか。それがダメなら娼館にでもだしゃあいいよな。だがまずはその前に俺が……」

 

 ぶつぶつと独り言のようにつぶやく男の息が次第に荒くなっていく。無垢なフェリシテとてその意味が分からぬほど愚鈍ではなかった。


(助けて……!ノア、リル……ッ)


 今さら都合がいいのは分かっている。すべて自分の蒔いた種だ。それでも、もう祈ることしかできなかった。大切な人の顔を頭に思い浮かべ、「ごめんなさい」と何度も何度も心の中で叫ぶ。

 男は、「ここじゃ都合が悪いな。ついてこい」と呟くや否や、手慣れた様子でフェリシテの口に麻縄で猿轡を噛ませた。そのまま強引に彼女の手を引き、さらに闇が深い奥へと連れて行こうとする。

 もう家族にも、大切な人たちにも二度と会えないとフェリシテが覚悟したその時だった。


「エクレール」


 透き通った綺麗な低音の声が聞こえた。大ピンチともあろう状況ですら聞き入ってしまうような澄んだ声だった。

 刹那、稲光のような青白い光が落ちた。ビリビリと、空気を切り裂くような音が鳴り、フェリシテの手を掴んでいた男はいつの間にやら地面で伸びきっていた。


(今のは、たまたま……?いや……)


 驚いたフェリシテが後ろを振り向こうとすれば、後ろから優しく体を包み込まれる。先ほどの男のような、強引な嫌な抱き方ではなく、指先が触れるか触れないかの柔らかな抱き方だった。


「……た……。……く……」


 この距離でも聞き取れないほど、小さな小さな声で、その主は呟いた。


「あ、の……」


 フェリシテが声を発したことで、ようやくその人間は体を離す。そして、フェリシテの口に嵌められた麻縄を優しくほどいてやった。勢いよくフェリシテが振り向けば、そこに立っていたのは十八前後の若い男だった。暗いせいと、相手もフードを被っていることから顔はよく見えないが、彼が窮地を救ってくれたことは確かだ。


「っありがとうございます!急に連れ去られそうになって……それで……」


 言いながら、涙が溢れてくる。助かったという安心感が緊張の糸を解し、止まらなくなっていた。男はそんなフェリシテを見て、彼女の方に腕を伸ばす。

 そして、胸倉を掴んだ。


「なぜこんな場所に足を踏み入れた。愚か者が」


 助けられたかと思いきや、突然の罵倒。フェリシテは思わず目を瞬かせた。


「挙句被害者ヅラして泣くとは……呆れてものも言えん」  

 

 そこまで言われて黙っているフェリシテではない。カチン、ときては男を睨みつけ言い返す。


「は、はぁ?!そ、そりゃ忠告無視した私も悪いけど!初対面でその言い方はなくないですか?!助けてくれたことは感謝してますけど!」

「うるさい、また誘拐されたいのか。ここを出るまで黙ってろ」

「あなたが失礼なこと言うからでしょ?!ちょっとはむぐっ」


 収まらないフェリシテの口を急に男が手で押さえ、黙らせた。そこまで強く押さえられたわけではなかったため、両手でそれを剥がそうとすれば、簡単に手を離させることに成功する。


「ちょっと!急に何なのよ」

「しっ、静かにしろ」


 周囲を睨みつける男の鋭い視線に、フェリシテもたじろいで口を噤んだ。


(いったいなんだってのよ。こいつもお金目的?でもそうは見えないし……)


「他の奴らに気づかれた。逃げるぞ」


 フェリシテが、目の前の男のことに思考をめぐらせていれば、突如そう言われヒョイと軽く抱えあげられた。そして周囲を見渡せば、大型のサバイバルナイフやら鉄製のスパイク付き棍棒やら、どうみても危険な武器を持った男たちにいつの間にやら囲まれてしまっていた。


「こ、こんなのどうやって逃げるのよ!あなた何も武器なんて持ってないじゃない!」

「黙って任せておけ」


 そんなやり取りをしている間にも、奴らはじりじりとこちらに迫ってきている。一斉に襲い掛かってきて、


(もうダメ……!)


 フェリシテがぎゅっと目を瞑った瞬間だった。


「ウヴフラポルト」


 再びあの透き通った声が聞こえ、体がやわらかな風で包まれた。

 そしてフェリシテが目を開けば、そこはアンヌ公爵邸の敷地内だった。庭園の端に存在する温室の中で、フェリシテの体はゆっくりと男の手から下ろされる。何度か地面を踏みしめて、彼女は生と、それから今自分の身に起こったことを実感した。

 風が強く吹き、温室の窓がカタカタと音を立てる。雲の流れるスピードが速くなって、目の前の男の顔が月明かりに照らされて露わになった。


(き、れい……)


 フェリシテが思わず見惚れてしまうほど、男は端正な顔立ちをしていた。

 それだけで輝いて見えるほどの黄金の髪の毛、ルビーを嵌めたような瞳は涼しげで、目が離せなくなる。スッと通った鼻筋も、薄く不機嫌さを描いた唇も、この世のものとは思えないほどに美しい。

 どれだけの間そうしていただろうか。先に口を開いたのは、男の方だった。


「いつまで見ているつもりだ。助けてやったのに礼も言わないのか」


 嫌味たらしい言い草に、惚けていたフェリシテの意識も現実に引き戻される。


「ありがとうございましたー。ていうか、なんで私の家知ってるのよ」

「そのマントのボタン、アンヌ家の家紋だろ。それに気づいたやつらがお前のことを狙っていた」


 ハッとしてマントを脱ぎ確認すれば、公爵家の家紋である百合の花を咥える鷲の刻印が施されているボタンがつけられていた。


(さっきの、魔法、よね?急に助けてくれたり、意味わかんないくらいイケメンだったり……いったい何者なのよ)


  呆然とマントを見つめるフェリシテの頭を男が小突く。


「ったぁ!何するのよ!」

「ぼーっとしてないで、さっさと部屋に戻って寝ろ」

「はいはい、分かりました!でも小突く必要はないじゃない」


 男はぶつくさと文句を垂れるフェリシテの手からマントを奪い、そこから器用にボタンだけを取った。そして、相変わらず透き通った声で呪文を唱える。 男の足元に浮かび上がった魔方陣に、もしかしてこのまま去るつもりなのでは、とフェリシテは慌てて声をかけた。


「あっ、それ返しなさいよ!それから名前も教えなさい!」

「次会ったときに返してやる。名前もな」


 男は悪戯に微笑み、その場から跡形もなく姿を消した。男がいた場所には、ボタンがとられたフェリシテのマントだけが残っていた。

 

「……変な奴」


 呟いたフェリシテは、マントを拾い上げる。窓の外を見れば、月はもう、雲に隠れてしまっていた。

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