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負い目

 ローズマリーは、最初からあのような性格をしているわけではなかった。むしろ、幼いころはフェリシテのことも実の姉のように敬い、二人の仲は良好であった。

フェリシテやノアがローズマリーに強く出られない理由は、一言でいえばとある事件による罪悪感からだ。話は七年ほど前まで遡る。フェリシテが八歳、ノアが十歳、ローズマリーが七歳の時であった。


 ローズマリーには、年子の兄がいた。名はサイラスといった。皇太子と年齢が近く、爵位の高い家柄に生まれたサイラスはノアの従者に任命され、よく登城していた。従者に任命、とはいっても、幼い彼らからすればただの遊び相手であり友達に過ぎない。次第に、ノアの婚約者であるフェリシテと、サイラスの妹であるローズマリーとの四人で遊ぶようになった。彼らの仲睦まじい姿を目にかける機会は、皇城で働くものであれば往々にしてあっただろう。


「池の方まで競争しよう!」


 ある日の昼下がり、皇城の庭園で遊んでいたときに突然サイラスが言った。活発で競争好きな彼が、そう言ってくることはままあることだった。そんな兄とは正反対に、おとなしく気の弱かったローズマリーは隣にいたフェリシテのワンピースの裾をぎゅっと掴む。


「で、でも、池の方は危ないからダメって……」


 四人がよく遊ぶ庭園から少し離れた場所にある池は、底が深く池自体の面積が広いことから子供だけで近づくことを大人から禁止されていた。


「池に入らなければ大丈夫よ!ほら、ローズも走って!」


 その頃から勝気な性格だったフェリシテは、先に走り出したサイラスに負けるものかと言わんばかりに駆け出した。ノアは軽くため息を吐き、ローズマリーの小さな手を柔く握った。


「僕たちも行こうか。追いついて二人を叱ってやらないと」  


 最年長のノアに言われれば、ローズマリーも頷く他ない。なにより、置いてけぼりにされることは彼女が最も嫌なことだった。どんどんと遠ざかっていくサイラスとフェリシテの背中を、ノアと二人で追いかけていく。


「ったく、相変わらずローズはどんくさいなぁ」

「サイラスが速すぎるだけよ」


 先に池の方に着いたサイラスは、追いかけてくる妹の方を見ながら笑った。サイラスを追いかけてきたフェリシテが呆れたように言い返した。

 次の瞬間だった。

 強い風が吹いて、二人の軽い体は簡単によろけた。池をまっすぐに見ていたフェリシテは、前に数歩

足がもつれるだけで済んだが、池の方に背中を向けていたサイラスは、体が後ろに倒れ、それを支えきれなかった足は地面の草で滑ってしまった。


「サイラス……!!!!!」

 

 とっさに叫び、前に差し出したフェリシテの手を空ぶってサイラスの体は一瞬にして池に落ちた。貴族服の上質な布はすぐに水を吸収していき、どんどんとサイラスの体は重くなる。溺れているということを理解しないまま、苦しさから必死に水中で藻掻き、水を飲みこんでしまう。水面で美しく咲く水生植物が、サイラスの足に絡みついて彼を水底に誘っていく。

 フェリシテは聡かった。

 自分が飛び込んで助けようとしたところで心中になるだけだとすぐに理解した。ここは大人の力が必要だと、全速力でその場を離れた。

 しかし、後ろを走っていたローズマリーの目には、フェリシテの行動が全く別のものに映っていた。

 強風が吹いて、ほんの一瞬目を瞑る。再び目を開ければ、フェリシテが兄を突き飛ばしていた。ローズマリーの目に映ったのは、池に落ちた兄を助けず、罪から逃れるためか走って逃げるフェリシテの姿。それがローズマリーが彼女の目で見た事実だった。彼女がもう少し思慮深く、聡ければ、フェリシテが走った理由も理解できたはずだった。まだたったの七歳だったローズマリーには、視覚から得られる情報を処理するだけで精一杯だった。


「どう、して……?フェリーおねえ、さま……」


 小さなつぶやきは、再び吹いた風に掻き消された。ようやく駆け付けた騎士によってサイラスが引き上げられた時には、もう彼の小さな体は時を刻むことはなくなっていた。

(……こんな夢、何年ぶりかしら)


 パーティから戻り、侍女により強制的に眠らされていたフェリシテは翌朝早くに目を覚ましていた。


(あれからだっけ、ローズが私に冷たくなったのは)


 競争を止めていれば、自分がサイラスを助けられていれば、そう考えたことは数えきれないほどある。大切な友人であるサイラスを喪ったことはフェリシテにとっても大きなショックを抱える事件であった。しかし、それと同時にこうも思ってしまうのだ。

 仕方がなかった、と。

 あの時フェリシテはまだ八歳で、一人でサイラスを助けることなど不可能だった。そしてサイラスのことだ、競争を止めていたところで一人で勝手に駆け出していただろう。そんな中でもフェリシテは最善を尽くした。そこまでローズマリーに恨まれるようなことをしただろうかと、どうしたって思ってしまうのだ。


(こんなこと、口が裂けてもローズには言えないけどね)


 サイラスを助けられなかったという罪悪感はずっと胸の中に残っている。その罪悪感と、たった一人の兄を亡くしたローズマリーのことを憐れむ気持ちから、フェリシテは彼女に対してだけは強くは出られなかった。まぁ、心の中で悪態をつくくらいはしてしまうけれど。年々フェリシテへの当たりが強くなっていくローズマリーのことも、憎からず思っていた。

 だからこそ、昨晩の態度を受けて自分はそこまで恨まれていたのかと胸を深く抉られるかのようだった。

 ノアも同じような理由でローズマリーには強くは言えない。しかしローズマリーが彼を好いているままなのは、彼女がノアに一番懐いていたからだろうか。


(うじうじ考えても仕方ない、けど……やっぱり落ち込むわね)


 体を起こし、深くため息を吐く。いつもは愚痴りたいことがあれば、ノアに手紙を出すか、毎週末のお茶会で直接話すかとしていたが、さすがにこんなことはノアにも、他の誰にも話せない。


(気晴らしに街のお祭りに行こうかしら。最終日にちょこっと覗いてみるだけのつもりだったけど……いつ行っても変わらないわよね)


 一人でうんうんと頷いていれば、リルが部屋に入ってくる.


「フェリシテ様、もうお目覚めだったのですね。おはようございます、体調はいかがですか?」

「おはよう、リル。もうすっかり元気よ」


 大きな窓にかけられているカーテンを、リルはひとつずつ豪快に開けていく。差し込んできた眩しい朝陽に、フェリシテはきゅ、と目を細めた。


「今日はいつにも増していい天気じゃない。お出かけ日和ね」

「そうですね、お洗濯ものがすぐに乾きそうです」

「そこで相談なんだけど」

「ダメですよ」

「まだ何も言ってないじゃない!」


 せっかくだから街のお祭りに行ってみたい、と言う前に断られた。不貞腐れたように唇を尖らせるフェリシテの鼻先を、リルは人差し指の指先でちょんとつつく。


「何年フェリシテ様のお側にいると思っているのですか。お嬢様の考えることなんてお見通しですわ」

「うぅ……どうしてもダメ?」

「ダメに決まっているじゃないですか、昨晩倒れられたばかりですのに。数日はゆっくりされないと」

「そんなに待ってたらお祭りが終わっちゃうわ」


 リルとて、厳しいながらになんでもかんでもダメと言ってのけるわけではない。いつだってその言葉は主人であるフェリシテを思ってのものだった。


「欲しいものがあるんでしたら買ってまいりますから。お嬢様はお部屋でお待ちになっていてください」

「……はぁい」


 拗ねたままではあるが、フェリシテは素直に頷いた。それを確認して、リルは「すぐに朝食を持ってまいりますね」と、一度部屋を出ていく。


(なんてね。リルには悪いけど、今日の夜寝たふりしてこっそり行っちゃうわよ)


 ふふん、と鼻を鳴らして悪役令嬢よろしく邪悪な笑みを浮かべる。行くと決めたら何日も待ってはいられないたちだ。それに、実際には自分は倒れてはいないのだから体調が悪いも何もない。夜に出かけて、数時間楽しんだ後にこっそり戻ってくればバレることはないだろう。


(さ、今のうちに準備っと)


 大きな天蓋のベッドを抜け出し、フェリシテは意気揚々と夜の秘密の冒険に向けて支度をしていった。

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