第70話_【葵】葵のこと好きになった
「桜沢葵……葵かぁ。良い名前だね」
この世界の光一はあたしを部屋に呼びつけると、名前をまず尋ねた。
「葵。こっちにおいで」
光一が手招きする。
「葵」と呼ばれてドキッとした。
もとの世界の光一のことを思い出してしまう。
別人だと分かっているのに。
中見も、あの優しい光一なのかもしれない。
そんな密かな期待が胸の奥にわいてくる。
あたしは「こっちにおいで」と言われて、引き寄せられるように光一に近づいた。
光一は、ポケットに手を入れると
「これ、あげる」
といって、栄養剤をみせた。
「要らない」
やっぱり栄養剤だわ。
この世界の男は、栄養剤を渡せば、女は言いなりになると思ってるのかな。
あたしは下を向いた。
なるべく光一と目を合わせたくなかった。
「えっ、いらないの」
光一は意外そうに目を丸くした。
「だって、それ、人間でできてるんでしょう」
あたしがそう言うと
「そうだけど。そんなの気にしてる人、いないよ」
と答える。
「俺、葵のこと好きになった」
光一はストレートにそう言うと、あたしの髪に触れた。
「触らないで。あたしはあなたのこと好きじゃない」
そういって髪にふれる光一の手を乱暴に振りはらった。
「そんなふうに言う女、久しぶりだな」
光一はニヤッと笑うとあたしのほうに手を伸ばした。
あたしは、すんでのところで、後ずさりして、光一に腕をつかまれるのを避けた。
光一に腕をつかまれたら、逃げられないのは分かっていた。
彼は、怪力の持ち主だから。
この世界の光一もきっと、力が強いはず。
だから、軍のおえらいさんにまで、のぼりつめているに違いない。
光一は怪力だけど。
彼に捕まりさえしなければ、大丈夫。
光一は、後ずさりしたあたしのほうへ、ずんずんと間合いを詰めてくる。
あたしは右へ左へと避けて、光一につかまらないようにした。
「ハハハ。そんなに激しく動いたら、カロリーを消費してしまうよ?」
「あんたに捕まりたくないのよ!」
「俺のこと、そんなに嫌い?」
「嫌いだし、あたしには好きな人がいるの」
「ふぅん。でもきっと、俺のこと好きになると思う。そんな気がする」
光一は自信満々にそういった。
「だけど、俺はこれ以上、こんなふうに体力を消費したくない。
桜沢葵。どうしたら俺の言うことを聞いてくれるんだ?
栄養剤も要らないって言うし......。
お前は、どうしたら俺のものになる?」
そのときあたしの頭に中年兵士の言葉が頭に浮かんだ。
「うまく取り入れば、生き延びられるかもしれないぞ」
中年兵士はそう言っていた。
光一はこの世界で権力を持つ人間みたいだ。
「助けてほしいの。まだ10歳の子が......男の子が捕まってるの。
達治っていう子。お願い。助けてほしい......そしたら、言うことを聞くから」
あたしは光一の目をみて真剣に頼んだ。
光一は
「10歳の子?そんなに幼い子が?......わかった。すぐここに連れて来させよう」
光一は無線のようなものを取り出すと誰かと話し始めた。
ガガガという音がして、相手の言葉はあたしの耳には届かない。
「なに?よく聞こえなかった。もう一度」
光一が言う。
「......なんだと。もう手遅れ?処理済みだと?」




