第59話_絶望
立ち直れるはずがなかった。
はじめて心から好きになった女の子。
一緒に過ごせば過ごすほど、どんどん好きな気持が強くなった。
愛おしくてたまらない。
それなのに、彼女はまるで今まで存在しなかったかのように、この世からきれいに消えてしまった。
道場で、ニセ葵と葵が戦ったとき。
あのとき、俺がもっと素早くポータルに落ちればよかったんだ。
いや。
俺がもっと強ければ、優香をニセ葵に奪われることもなかった。
ちがう。
そもそも俺が、葵と出会わなければよかったんだ。
もし、ああしていたら。
こうしていれば。
そんな仮定の空想が頭の中でぐるぐる回る。
時間は戻ってこないのに。
後悔の念が波のように押し寄せてくる。
俺は葵が消えてしまったあと、何日もジムの自分の部屋から出ずに過ごした。
そこで待っていれば葵が戻ってきてくれるような気がして。
無精髭が生えてきて、腹は減ったけど、かまわなかった。
このまま俺も死んでしまいたい。
そう思った。
一日じゅう狭い部屋で寝て過ごした。
なにもしたくない。
ただ、眠り続けたかった。
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「......樫谷さん。樫谷さん」
「う.......ん......」
不意に名前を呼ばれて目を覚ました。
目を薄く開ける。
ベッドに寝ている俺を、松井さんがのぞきこんでいた。
「松井さん......でしたか......」
ジムの出入り口は開けっ放しだった。
勝手に入ってきたのだろう。
ゆっくりと身体を起こす。
俺は、ベッドに腰を掛けた状態で立ち上がる気力もなかった。
「松井さん......俺......葵が......俺のせいだ......」
「樫谷さん......。分かってます。言わなくていい」
松井さんが俺の肩に手をかける。
涙が出た。
たくさん泣いたのに、まだ出るのかよ。
そう思った。
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俺は松井さんに手を引かれて、ジムの応接室のソファに座らされた。
松井さんが、俺の正面のソファに座る。
「これを飲んでください。少し元気が出るはずです」
松井さんは、水筒から紙コップにお茶を注いだ。
漢方薬か何かだろう。
「樫谷さん、あなたの学費は桜沢家の方で大学に納入済みです
卒業まで学費の心配をすることは無い」
「......えっ」
唐突な話に驚いた。
「どうして......そんなこと」
「葵お嬢さまのご意志です。
あなたが単身、夜の道場へと行ったあと、
お嬢様が車の中で私に言ったんです」
「葵が?」
「お嬢さまはこう言いました。
これからニセ葵と戦ってくる。もしかしたら、あたしは消える可能性がある。
もしそうなったら、光一のことを頼む。
ニセ葵の始末をしろ......と松井に頼むのは、無理なのは分かってる。
頼みたいのは、金銭的なことだ。
光一の学費を支払うんだ。
彼がきちんと大学を出て幸せな人生を歩めるようにしてほしい」
「葵が......そんなことを?」
「そうです。お嬢さまは樫谷さんに幸せになって欲しいと。そう願っていました」
静かに首をふる。
「無理です。葵がいないと、俺は幸せになれない」
また涙がポタポタと足元に落ちた。
葵はあの夜......車の中でそんなことを言っていたんだ。
覚悟してたんだね。
俺はなにも覚悟できてなかった。
俺はいつも足を引っ張ってばかりだった。
「無理でも、なんでも。お嬢さまの最後の願いです。
まずは、きちんと身体を洗って、なにか食べてください」
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松井さんは毎日のようにジムに通ってきた。
漢方薬を飲ませてくれて、食べ物を持ってきた。
俺は少しずつ、食べ物を食べた。
少しずつまともになってきた。
やがて大学に戻った。
葵が言い残したこと。
俺にきちんと大学を出て欲しいっていう願い。
それは守らなければいけない。
それが彼女の願いだから。
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「蛭間さん......俺はもうポータルに関わりたくない」
ある日曜日の午後。
蛭間さんが
「お客さんの通過がまたはじまる」
そう言った。
もうポータルなんてうんざりだった。
ポータルに触りたくもない。
「光一......。様子が変だとは思っていたけど。
なにかあったのね」
蛭間さんが眉間にしわを寄せて俺を見た。
「......」
「言いたくないのね」
蛭間さんはため息を付いた。
「俺はここから出ていきます。
ポータルも返します」
ここから出て、どこで暮らすのか。
考えてなかったけど。
「待ちなさい。
とりあえず、お客さんの通過は中止するわ。
少しお休みしましょう?」
蛭間さんは俺の頭をポンポンと優しくたたいた。




