第47話_心は葵のもの
インフルエンザとか重い風邪のたぐいだったのかもしれない。
体力が回復するのに、数日かかってしまった。
その間、ずっと葵の家で世話になるのも気が引けるので、俺はいったんジムに戻った。
葵は引き止めてくれたけど。
俺の体力が戻ってから葵と一緒に「ホテル別世界」に再び行ってみた。
あの「野蛮な女たち」の巣窟であるラブホテルだ。
クロワッサンの野口さんの部屋、502号室はもぬけの殻だった。
「通過袋をもってトンズラしたな」
「野口さんは悪い人じゃないと思ったんだけどな」
俺がそう言うと、葵は呆れたような顔をした。
「光一は食べ物をくれるひとは皆、いい人だと思ってそうだな」
あっという間に、ニセ葵との約束の期日、「1週間後の深夜2時」が近づいてきた。
俺と葵は、「ホテル別世界」の前のファーストフードで、ホテルに出入りする人間をじっと見張っていた。
野口さんが戻ってくるかもしれない。
そう思って見張っていたのだ。
だが、彼らしき人物は見当たらない。
野蛮な女たちが、ときどき男漁りに出かけるだけだった。
「優香はだいじょうぶかな」
俺はホットティーを頼んで、ティーバッグを残して白湯だけを飲む。
葵は、珈琲を飲んでいた。
「ニセ葵は、暗黒の分岐を望まないと言っていた。
山口先輩を傷つければ暗黒の分岐への道がひらいてしまうかもしれない。
だから、今のところは丁寧に扱っているはずだ」
「......今のところは」
俺は葵の言葉を繰り返した。
「暗黒の分岐って一体何なんだ」
「それはだな......」
葵が珈琲をすすりながら、説明をし始めようとした。
「やっぱいい!!なんか、悪いことが起きる的な意味だろ。
理解できそうにないから、説明しなくていいや」
俺はため息を付いた。
俺の脳みそじゃ、ややこしい説明を聞いてもきっと理解できないし、すぐ忘れてしまう。
「俺はニセ葵の手下になる」
「光一。そんなことさせないよ?」
「とりあえず、手下のふりをするんだよ。
そのうちスキを見て、葵が俺を助け出してくれれば良い。
俺が傷ついたって、暗黒の分岐にはならないんだろ?」
「そうだけど.....」
葵は下を向いた。
「そうだけど。あたしが嫌なんだ」
小さな声で言った。
「えっ......」
「光一が、あのニセ葵に好きにされるかと思うと......嫌だよ」
葵は俺のことを上目づかいで見た。
少し顔が赤い。
......えっ。
めちゃくちゃかわいい。
「もしかして!?ニセ葵にヤキモチ焼いてる!?」
「くそっ!そんなことない!!」
「その、クソっていうの止めなさい。女の子なんだから」
俺は葵のおでこを軽くつついた。
「たとえニセ葵の手下になったとしても、俺の心は葵のものだから」
葵の目をじっと見つめて言う。
「やっべ!!また良いこと言っちゃった」
葵は俺のことを睨むと拳でパンチするふりをした。
長いこと葵に殴られたり首を絞められたりしてない。
部室の倉庫で二人きりで、じゃれ合っていたころがまるで遠い昔のように思えた。




