第42話_性欲がなくなり食欲に走る
502号室の男は野口と名乗った。
「チョコレートをはさんだクロワッサンもあるけど?」
「うわっ!甘いの好きなんです」
野口さんの部屋には大きなテーブルがあり、その上にパンを焼くオーブンやキッチン用品が所狭しと並べられていた。
「我々の故郷ではね。性欲が無くなった男の大半は、食欲にはしったんだ」
「食欲に......?」
「そう。だから故郷の男たちは皆、だいたい太ってるんだ。......コーヒー飲む?」
「白湯が飲みたいです」
野口さんがマグカップに熱々のお湯を注いでくれる。
俺はお湯がはやく冷めるように、フーフーと息を吹きかけた。
葵は部屋のドアによりかかって腕組みをして、男をにらんでいる。
「葵も食べればいいのに。外はサクサク。中はフワフワ。バターの香りがすごい」
「あたしは......いい。睡眠薬でも入っていたら困るからな」
「用心深いお嬢さんだね。でも悪いことじゃない」
野口さんはそう言ったあと、俺のほうを見た。
「君は少し人を信頼しすぎる。でもそれも悪いことじゃない。
二人は相性が良さそうだね。
それぞれの無い部分をお互いが持っている」
「でしょう!?俺と葵はめちゃくちゃ相性がいいんです」
俺はうれしくなって葵を見た。
「バカ言うな」
葵はしかめっつらだ。
「君を三日前にもここで見た。
だがきっと、彼女は君のドッペルゲンガー......?君とは別人だね?」
野口さんは急に真面目な顔になって葵にむかって言った。
「なにっ!?」
葵が野口さんに詰め寄る。
「本当に見たのか?」
「間違いないよ。彼女は君よりもっと目つきが悪かった。
育つ環境が違うと、いくら同じ人間でも表情や仕草が異なってくる」
「そいつがどこに行ったか分かるか」
「......通過袋Sサイズをもってるそうじゃないか。505号室の春川に聞いた」
「通過袋がほしいのか?ガセネタつかませたら、ただじゃおかないけど」
「ねぇっ。通過袋ってなんなの」
俺は白湯とチョコクロワッサンを楽しみながら二人の会話に割り込んだ。
「通過袋はレアアイテムだ。
この袋に入れたものは、ポータルを通過しても溶けること無く持ち運ぶことができる」
葵は小さな四角いビニール袋をつまんで見せた。
「服も溶けて素っ裸になっちゃうのに、そのビニール袋は溶けないんだ!」
俺は袋をまじまじと見る。
「ただのビニール袋に見えるけどなぁ」
「ポータル開発者、ゲリー・デ・ユルユルのつくったアイテムだ。
彼にしかつくれない」
「すげーな。ゲリー!名前はアレだけど」
「インド人の天才科学者だ。だがどの世界線のゲリーもすでに亡くなっている。
だからもう作成されることはない。
世界におおよそ数十しか無いと言われるアイテムだ」
「うへぇ~!野口さんはどうしてこれが欲しいんですか」
「故郷へ持って帰りたいんだ。
この世界でしか手に入らない貴重なコーヒー豆を......」
「葵!野口さんは美味しいパンをくれたんだし、通過袋の1枚や2枚、いいんじゃない?」
「バカ!話を聞いていたか。世界に数十枚しか無いレアアイテムだぞ」
葵は俺をにらみつけた。
「でもさっきの野蛮な女には、情報と引き換えにあげるつもりだったんだろ。
しかも俺のことまで差し出してさぁ」
「そうだが......。あたしには、野口。おまえが胡散くさく思えるんだ」




