第217話_【優香】恋のやり直し
その日。
まめくんと歩いたイチョウ並木をあたしは一人で歩いていた。
イチョウは、あの頃のように黄色い葉っぱを身にまとっていない。
寒々とした灰色の空に、裸の枝を広げていた。
(まめくん、どうしてるかなぁ)
あたしは、スマホケースに入れていた、黄色いイチョウの葉っぱを取り出して眺める。
まめくんの頭に落ちた葉っぱだった。
(まめくんと過ごした日々に、時間が戻るといいのに。
ううん......やっぱり戻りたくない。
だって、戻ればまた、別れを繰り返さなくちゃならなくなるし)
光一のジムで、大声を出して思い切り泣いたことで、あたしの気持ちは不思議と落ち着いていた。
頬を涙がつたう。
(でも、やっぱりときどき泣いちゃうな。
あ~ぁ、カフェでケーキでも食べて帰ろうかな)
あたしの前を男性がゆっくりと歩いているのが見えた。
(なにかに気を取られて歩いてる。
やだわ。
スマホでも見ながら歩いてるのかな)
男性は、足元の排水口のでっぱりに、見事につまずいた。
よろけて、車道側にふらっと飛び出した。
彼の持っていたものが地面に転がる。
分厚い本だった。
そのとき、車道に猛スピードの自転車がやって来るのが目に入った。
「危ない!」
あたしは思わず叫んだ。
自転車と男性がぶつかる。
自転車は出前を配達している途中だったようで
「すみませ~ん」
と軽く謝ったかと思うと、すぐに走り去ってしまった。
「......ってぇ」
「だ、大丈夫ですか?」
あたしは、道に倒れ込んだ男性の傍に駆け寄った。
彼の分厚い本を拾い上げた。
男性は眉間をおさえて、尻餅をついていた。
彼が掛けていた眼鏡が、道路に割れて落ちている。
カバンも少し離れたところに転がっていた。
「あぁ、眼鏡が割れてしまった。
どうしよう」
男性はそういいながら、割れたメガネを拾う。
「本は......」
キョロキョロとしている。
「本ならここに」
あたしは彼に本を渡そうとして、ハッと息を飲んだ。
思わず本を足元に落としてしまう。
(うそ......。うそでしょ......。そんな)
彼の顔をみたとき、時間が止まった。
体の中を電気が走る。
つまずいて、よろけて自転車にはねられた男性。
バツが悪そうに、あたしを見上げる彼の顔。
彼は「まめくん」
まめくんだった。
「ま、まめ......っ.....」
あたしは慌てて頭をブルブルと横にふる。
足元に落としてしまった本をいそいで拾う。
そして震える手で彼に手渡した。
「ありがとうございます」
彼は......まめくんは、あたしを見て微笑んだ。
まめくん。
あたしが、その冬。
運命の冬に出会ったのは、「この世界線のまめくん」だった。
あたしの運命の相手。
それは、まめくんのドッペルゲンガーだったんだ。
彼は立ち上がると、汚れた服を払った。
「歩きながら本を読むなんてバカなことしたな」
まめくんは独り言のようにつぶやいて、ため息を付いた。
彼はキョロキョロと自分のカバンを探している。
「あっ、カバンならここです」
あたしは、少し離れたところに落ちたカバンを彼に渡す。
「いや、ほんとすみません。
メガネが無いと、よく見えなくて」
「あの......。このメガネ......」
あたしはバッグから、まめくんにもらったメガネを取り出す。
「えっ?」
「かけてみてください。
そんな状態で歩いたりしたら、危険です......」
まめくんは、あたしからメガネを受け取ると、かけた。
「えっ?なんで?
すごくよく見える!
俺、目が悪いから、特殊な眼鏡なんです。
特注品で、つくるのに何週間もかかるような眼鏡なのに。
こんなによく見えるなんて。
これ、あなたのものですか?」
「いえ。私のではないんです......」
まめくんは、メガネを掛けた状態で、あらためてあたしの顔をじっと見た。
「あれ......なんだか......俺、あなたに会ったことがあるような気がします」
あたしは微笑んだ。
「あたしもそんな気がします」
まめくんは慌てて
「ナンパじゃないですよ?
なんだか、懐かしい感じがして」
「ふふふ」
あたしは嬉しくなって笑った。
この世界線のまめくんに、あたしは再び恋に落ちるんだ......。
姿かたちは同じだけれど。
もちろん、「あのまめくん」とこの彼は別人格。
だから、あたしはあらためて彼のことを好きになる。
恋のやり直しだ。
「けっきょく、お前は幸せになれる。
それは間違いない。
羅針盤の言うことを信じるのじゃ」
耳元で、津江さんの声が聞こえたような気がした。
「メガネのお礼をしたいな。
その......名前とか......教えてくれますか」
「山口優香っていいます」
「俺は石井豆次郎です。
はじめまして、山口優香さん」
「優香......って呼んで欲しい」
あたしがそう言うと、まめくんは上目づかいになった。
彼が上目づかいになったってことは、困ってるんだわ。
「そんな。出会ったばかりなのに呼び捨てなんて」
「あたしは、あなたのこと、まめくんって呼びたい」
「えっ?まめくん......?いいけど......」
「難しそうな本、読んでるんですね。
でもほんと、読みながら歩くなんて危ないです」
あたしたちはゆっくりと、イチョウ並木を歩き始めた。




