第215話_【葵】下心
(えっと......この細い道のさきを右に曲がるのか)
あたしは、スマホの地図をクルクルと回しながら歩いていた。
地図を読むのは苦手だ。
(この道沿いにあるはずなんだけど)
ケーキの入ったビニール袋がガサガサとゆれる。
道の先で、手を振る光一の姿が見えた。
「迷わなかった?
駅まで迎えに行ったのに」
「いいんだ。
どんな場所に住んでるのか、周辺を見ておきたかったし」
「来てくれて、嬉しい」
光一は、はじけるような笑顔をあたしに向けた。
光一の笑顔を見ると、なぜかあたしはツンとした表情になってしまう。
「ケーキだ」
ブスッとした顔で土産のビニール袋を光一におしつける。
「うそっ、ありがと。一緒に食べよう」
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「なんと、このアパートには浴槽がついてるんだ。
ずっとシャワー生活だったから、うれしくて」
「そうなのか」
光一のアパートをキョロキョロと眺め回す。
玄関から入るとすぐにキッチン。
それに6畳くらいの和室が奥のほうにあった。
「な、何も無いんだな」
和室に足を踏み入れて驚く。
部屋はガランとしてテレビもタンスも食器棚もない。
小さな折りたたみのテーブルがぽつんと部屋の中心に置いてあるだけだった。
「持ち物が少ないんだ。
......変かなぁ?」
光一は頭をかきながら、少ししょんぼりした声で言う。
「掃除が楽でいいんじゃないか」
あたしは、光一の背中を叩いた。
小さな折りたたみテーブルにケーキとペットボトルの水をならべて、二人で向かい合って座った。
「優香はどうしてる。元気出てきた?」
「まだボンヤリしてることが多いな。
でも大声で泣いたりとか......そう言うのはないし、我慢してる感じもない。
あのとき感情を吐き出したことで、かなりスッキリしたようだ」
「よかった。
ためこむのは、マジでよくないからなぁ」
光一はそういうと、ケーキをパクっと食べた。
「運命の相手はいつ現れるんだろう」
光一がケーキを頬張りながら、あたしにたずねる。
「今年の冬としか分からない」
「もうすぐ、来年になっちゃうけど」
「......そうだな。
今日、出会うのかもしれないし、来週かもしれない。
悠人には視えてるんだと思うけど」
光一は、ケーキを食べ終わると「ごちそうさま」と両手を合わせた。
「運命の相手と優香が出会ったら、葵の任務は終わるの?」
光一はミニテーブルに頬杖をついて、あたしの顔をのぞきこむ。
「終わりだと言って良いだろうな。
二人が自然な流れで出会い、恋に落ちれば、運命は暗黒の分岐からどんどん遠ざかる。
そうなれば、あたしの鍵の守り手としての役割も終わりだ」
「やった。じゃあ、いよいよ葵は俺だけのものになる」
光一がじっと目を見つめながら、テーブルに置かれたあたしの手を握った。
ドキン!と心臓が高鳴る。
分かってた。
光一の「部屋」に遊びに行くということは「そういうこと」になるってこと。
光一はあたしと二人きりになるたび、キスをしてきたり抱きついてきたりする。
この間はジムのテーブルに押し倒された。
あたしはドキドキしすぎてどうにかなりそうだった。
でも悠人がやってきて、それ以上はすすまなかった。
実はそのとき、あたしは少しガッカリした。
光一に触って欲しい......そんなふうに感じてる自分にびっくりした。
夏の間中、光一は落ち込んでいてあたしに触れたりしなかった。キスもしなかった。
光一の心の中が壊れていて、それどころじゃない......っていうのは、よく分かっていたけど。
あたしは寂しかった。
彼にキスしてほしかった。
だから、彼が元気を取り戻して、あたしにキスしてくれたとき、ものすごく嬉しかった。
もっとしてほしい......そう思った。
だから。
......だから......今日は「覚悟」してきた。
光一に、触れられても良い......。
触れられたい。
そう思って来た。
でも.......。
光一はあたしの手を離すと立ち上がった。
「テレビもなにも無いし、この部屋にいてもつまらないよね?
出かけない?面白そうな場所があってさ」
「えっ......」
あたしは戸惑う。
まさか、キスもしないつもりなのか。
「外は寒いし。こ......ここにいたい」
あたしは小声で答えた。
「そう?」
光一は首を傾げると、畳にふたたび座り込んだ。
「そうだ、悠人たちは、たびたびこの世界に来るつもりらしいよ~」
などと、ペラペラしゃべってるけど、あたしは彼の話が頭に入ってこない。
(なんか、あたしばっか、変な期待してるみたいで恥ずかしい)
「葵?どうしたの、だまりこんで」
「なんでもない......
その......、お父さんは元気だった?
こないだあったんだよね?」
「あぁ~。元気だったよ?
アメリカで働くんだって。
俺よくわかんないけど円安とかで、そっちのが稼げるとか......」
「学費......返してもらったけど、食べ物に困ってないか」
「ありがとう。バイトもしてるし大丈夫だよ」
光一は、きっぱりとあたしの援助を断った。
なんだか、それも寂しかった。
もっと甘えて欲しいのに。
「ねぇ、近所に卓球場があるんだよ?行かない......?」
光一がそんな事を言った瞬間だった。
あたしの体は勝手に動いていた。
ミニテーブルの向こう側、彼の両頬をつかんでキスをした。
光一みたいに上手にできないけど、あたしのくちびると、光一のくちびるが重なり合う。
パッと光一から離れる。
やわらかくて熱を帯びた彼のくちびるの感触が残る。
あたしの心臓はドキドキと鳴りっぱなし。
顔が真っ赤になる。
どうしてこんなこと、しちゃったんだろう。
光一が目を見開いてる。
「葵......」
「いつもキスしてくるくせに......してこないから。
だから、あたしからしてやった」
思わず変な言い訳が口から出る。
光一は自分のくちびるに指で触れている。
「だって、キスなんかしたら止められなくなる。
もう途中で止める自信がないんだ」
目をぱちくりしながら、あたしを見つめている。
光一はそんなことを考えて遠慮していたのか。
「あたし......光一に抱かれてやってもいいと思ってる」
ものすごい小声でぼそっと言った。
「えっ?なに、なに?」
光一は聞き取れなかったみたいで、首を傾げた。




