第203話_季節は秋に
母さんが亡くなって2か月が経ち、いつのまにか季節は秋になっていた。
地震で壊れた町並みも復興され、日常生活が戻ってきていた。
俺は母さんが亡くなった直後、しばらく食事ができなくなった。
衰弱が激しくジムに閉じこもっていた。
以前、軽井沢の展望台で
「過去に起きてしまったことを、あれこれ考えたって仕方ない」
と葵にエラそうに言ったのに。
軽井沢の別荘で、母さんを追い返したこと。
母さんに圭一を殺させてしまったこと。
自首するという母さんを、全力で引き止めなかったこと。
父さんに電話するのを忘れたせいで、拘置所へ面会に行くのが遅くなってしまったこと。
さまざまなことを後悔しては泣いていた。
夏の間じゅう葵は俺のそばにいてくれた。
ほぼ毎日ジムに来てくれた。
食べ物を持ってきてくれて、少しずつでも食べるようにとすすめてくれた。
俺は葵にうながされて、なんとか食べ物を口に入れはじめた。
葵とキスしたり、いちゃいちゃする元気も当然なかった。
食欲も性欲も失っていて、ただただ眠かった。
1日中寝ていた。
最低限の水と食べ物を無理やり食べて、寝る。
そんな毎日を繰り返していた。
葵は、ただじっとそばにいて、見守ってくれていた。
俺のことを励ますでもなく、慰めるでもなく、黙って付き添ってくれていた。
そのことがどんなに心の支えになったか分からない。
やがて夏が過ぎ、2か月という月日が経って。
葵がそばにいてくれたおかげで、気持ちがすこしずつ楽になってきた。
(思えば般若の言うとおりだな。
あいつは言ってた。
【俺は葵と出会うことで幸福な人生が送れる】
たしかそう言ってたよな。
あの言葉は本当だった。
葵と出会わなかったら俺の人生は悲惨そのものだ)
般若のあのときの言葉は印象的で、忘れっぽい俺でも覚えていた。
とにかく俺は、葵のお陰で立ち直りはじめた。
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「葵。すっかり忘れていたけど、優香と豆次郎は大丈夫なのかな。
もうすぐ、運命の冬ってやつがくるよな」
俺はジムのベンチに仰向けに横になっていた。
顔だけ葵の方に向ける。
葵は、最近ではうちのジムに来ると筋トレをしていた。
いまはレッグプレスをしている。
オモリは40キロくらいでやってるのかな。
「山口先輩は元気になった。
豆治郎くんと毎日イチャイチャしているようだ。
それでも暗黒の分岐は起きていない。節度を保っているんだろう」
「節度.....」
ぼんやりとジムの天井を見つめる。
かすかに上の階の足音がした。
ジムの上階の部屋には、なんかの会社が入っていたような気がする。
「節度を保って付き合うって。
そんな器用なこと、俺にはできないな」
葵をじっとみる。
葵は、運動用のスパッツを履いていて、ヒップの形がくっきりと分かる。
(かわいいな......)
「あっ、イタタタ」
俺はベンチから立ち上がると、腹を抑えて苦しそうな顔をした。
葵があわてて俺のほうに飛んでくる。
「どうした、光一。腹が痛いのか」
「うん......」
葵が不安そうに俺の腹に触る。
「どこ?どのへんが痛いの?」
その手を握ると、葵の肩を抱き寄せた。
「ごめん、うそついた」
「光一!」
葵が怒って、俺の腹をたたく。
「アハハ。そんなに叩かれたらほんとに痛くなるよ」
「心配したんだぞ」
怒った顔で、俺の顔を見上げる。
瞳がキラキラしてきれいだった。
「葵......。すごい好き」
葵をつよく抱きしめると、耳元でささやいた。
「......ありがとう。ずっとそばにいてくれて」
筋トレをしていたせいで、少し汗ばんでいる彼女の頬に触れる。
柔らかいくちびるを親指でそっとなぞった。
(葵にキスしたい。
こんな衝動を感じるのも久々だ)
葵はそっと目をつぶった。
彼女の顔に自分の顔を近づける。
もしかしたら、もう、止められなくなるかもしれない。
キスしようとしたとき、ジムの扉が開く音がした。
(蛭間さんかも!)
俺はあわてて、葵から離れた。
「光一......桜沢さんも。ひさしぶり」
そこに立っていたのは豆次郎だった。




