第190話_胸がキュンとした
首都圏でおきた大地震は、交通インフラやライフラインを麻痺させ、日本に甚大な被害をもたらしていた。
各国から救援物資がつぎつぎと届いたが、人々に配る手順が整っていない。
都内の治安は悪化し、あちこちで卑劣な犯罪が起きているとニュースで報道されていた。
「悠人。帰るぞ。きっと津江さんがお前のこと、心配してる」
「心配してるもんか、あのババァはすべてお見通しだ」
「それでも、悠人の顔を早く見たいと思ってるって」
悠人と俺はそれぞれの自転車にまたがった。
「まだ、ウチにいればいいのに。外は危険だ」
葵が不安そうに俺たちを見る。
「でもジムの様子も気になるしさ。
トレーニング器具とか、倒れてないかなぁ」
「そうか。光一、まめに連絡をするんだぞ。心配だ」
「葵......。俺も心配だ」
俺と葵は見つめ合った。
葵が少し恥ずかしそうにして、先に目をそらした。
その様子が可愛すぎて、胸がキュンとした。
悠人を、銀座の津江さんのマンションまで送り届けた。
悠人は中身はすでに大人だけど、見た目は5歳児だ。
一人で自転車でウロウロしていたら危ない目に合うかもしれない。
マンションの部屋の前。
悠人は別れ際、俺に言った。
「光一。お前、忘れているだろう。父親に電話するんだぞ」
「えっ......」
なんのことだっけ?
一瞬わからなかったけど、母さんに、言われたことを思い出した。
「そうだっ。父さんの電話番号」
ズボンの尻ポケットをさぐると、電話番号をかいた紙がシワシワになって出てきた。
「単純でバカで、なんでもすぐに忘れる。
お前のそんなところが好きなんだけど、ときどき心配になるな」
悠人は眉をひそめて俺を見た。
「物忘れが激しいのは、俺だって治したいんだけど」
ブツブツと言い訳する。
「それじゃ、悠人。羅針盤の修行、頑張るんだぞ」
俺はしゃがんみこんで、悠人と視線を合わせた。
そしてふわふわの髪の毛をそっと撫でた。
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(我が家だ......)
銀座からまた自転車を漕いで、ようやく我が家である「パーソナルトレーニングスタジオ・ヒルマ」にたどり着いた。
ジムの出入り口の鍵を開けて、中に入る。
キョロキョロと室内を見回した。
(とくに、何も倒れてないなぁ)
ジムの器具はかなりの重量のものばかりだ。
倒れたら元に戻すのに苦労するだろうな......と心配していたのだが、大丈夫そうだ。
ダンベルが床に散らばっていた。
(ダンベルのラックが倒れちゃっただけか)
俺は倒れたラックを元通りになおすと、ダンベルを拾いはじめた。
そのときふいに、背後に視線を感じた。
ジムの出入り口の曇ガラスのところに人影がうつっていた。
シルエットからいって男だろう。
「誰だ?」
俺はドア越しに男に声をかけた。
もしかしたら、強盗かもしれない。
ニュースでは、強盗や窃盗、暴力沙汰が街のあちこちで起きていると報じていた。
「あの.....。故郷に帰りたいんです。
羅針盤に聞いたら、ポータル管理者はここに住んでるって」
か細い男の声が聞こえてきた。




