第19話_【葵】山口先輩のまだ見ぬ婚約者
あたしは、自宅の道場で座禅をし、マインドフルネス瞑想を行っていた。
「いま.....よろしいですかな、葵お嬢さま」
うしろから松井の声がする。
「よい」
「お嬢さま。2週間ほど、樫谷光一をマークしました。
ですがワームを思わせるような怪しい動きはありませんでした」
「ありがとう。松井。さがっていいよ」
松井はあたしの脇に、雑魚......つまり樫谷光一に関する資料を置いていった。
「松井さんに樫谷くんを調べさせたの?
葵は本気で彼がワームだと疑っていたのね?」
道場の隅で寝そべって昼寝していた山口先輩があたしのほうに近づいてきた。
彼女は、よく家に遊びに来る。
「だって、あいつは山口先輩を誘惑した。
あの雰囲気はワーム特有のものに見えたんだ」
山口先輩はくすっと笑いながら首をかしげた。
「葵は心配性だから。過去にも何人かいたよね。
葵にワーム認定されて、逃げ出した男の子たちが......。
あっ、ねえ。あたしも資料、みてもいい?」
山口先輩が茶封筒に手を伸ばす。
「一緒に見よう。松井がなにか見落としてるかもしれない」
封筒の中には雑魚の写真が数枚。
そのひとつに、雑魚が石井豆治郎に笑顔を向けている写真があった。
あいつは優しそうな目で、歯を見せて笑っている。
その笑顔を見て、なぜかこの写真をずっと見ていたいような気分になる。
山口先輩と二人でじっくりと樫谷光一についての資料を読む。
「父親が5月に蒸発。
仕送りが途絶えて家賃滞納でアパートを追い出されてる。
学費はなんとか支払ったみたいだけど」
「あいつ、苦労してんだな。
たしかに金が無いって、あたしにも言ってた」
資料と、あいつの話は合致する。
ウソはなさそうだ。
「住んでるところは、このトレーニングジム......?」
「蛭間透子という34歳の女が経営してるようね。
樫谷くんと、この蛭間って女の関係はなんなのかしら」
「遠い親戚......みたいだよ。
ちょっと家系図がはっきりしないけど。
この資料にはそう書かれてる」
山口先輩に資料を渡す。
「ほんとだ。路頭に迷った可哀想な親戚の子を、この蛭間透子が自分の運営するジムに住まわせた。
別におかしな点はないわね」
「う~ん......。やっぱりこいつはワームじゃないのか?」
あたしは、頭を抱えた。
ワームじゃないとしたら、あいつに対してだいぶ失礼な態度を取ってしまった。
でもなぜか、あいつの顔をみるとあたしは、手を出したくなってしまう。
あいつの首を絞め、腹に軽くパンチを入れる。
そうするとあいつは、いつも嬉しそうに笑う。
「葵ちゃん、俺はワームじゃないよ?
そもそもワームが一体何なのか、よくわかんないんだけどさ」
「嘘をつくな。お前は怪しい」
今日も倉庫でそんなやりとりをして、あいつのひざ関節をかるく蹴飛ばしてやった。
.......そう言えば、あいつ。
腕の切り傷は大丈夫かな。
あいつは、お金も無いくせに一生懸命部活に通って部費を払って。
厳しい練習にもいっさい弱音や愚痴を吐かない。
切り傷も痛むはずなのに、平気な顔をしている。
「樫谷光一くん。カッコいいよね」
山口先輩が、雑魚の写真を眺めながら言った。
「彼がワームじゃないなら、あたし付き合っちゃおうかな。
告白されたんだし」
「......えっ」
びっくりして、山口先輩のほうを見る。
「先輩。婚約者のことはどうするんだよ」
「だって婚約者って言うけどさ。
まだ出会ってもいない。
誰だかわからない未来の結婚相手だよ。
婚約者が現れるのは2年後の冬っていうお告げじゃない。
それまで、恋愛したっていいよね」
「樫谷と、もし本気になって別れられなくなったらどうするんだよ?」
「あたしが生まれたときから背負っている運命。
あたしが21歳の冬に運命的に出会う男と結婚すること。
そのひとは将来、この国を背負うことになる。
あたしは妻として、その人を支えていかなければいけない。
そうしないとこの世界は、暗黒の分岐に入る」
「そうだよ......。暗黒の分岐に進むわけにはいかないんだ。
暗黒の分岐に入れば......この世界は......」
あたしは山口先輩の顔を見つめる。
「分かってる。ポータルが無限に開いてしまう。
別の世界線の野蛮人たちが、ここに押し寄せてくる」
山口先輩はため息を付いた。
「その教えは、幼い頃から叩き込まれてるから、承知してるわ。
運命の人と出会う前に、樫谷くんと恋愛ごっこがしてみたいだけよ」
山口先輩が雑魚と付き合う。
なぜだか、胸がザワザワした。
「山口先輩......。樫谷は、軽い男だよ。
あいつは、あたしのことが好きだ、
あたしに一目惚れしたって言うんだ。
つい最近、山口先輩に告白したばかりだと言うのに」
山口先輩は目を丸くした。
「そうなの?......ふうん。でも葵は別に、樫谷くんのこと好きじゃないんでしょ」
「好きじゃない!」
「あたし、樫谷くんの顔が大好きなんだよね。
ちょっと遊んでるくらいの人のほうが、あたしも本気にならなくて済む。
とにかく恋愛を経験したいの。
彼は経験豊富そうだし......」
山口先輩は本気だろうか。
いままで、こんなに男のことで夢中になっている先輩を見たことがなかった。
「葵。小さい頃からずっとあたしを守ってくれてありがとう。
あたしに変な虫がつかないようにと、いつも見張ってくれていたよね。
でもそろそろあたしも、恋愛をしてみたい。
絶対に、運命の道をそれたりしないから。安心して」
山口先輩はあたしの両肩に手をおいて微笑んだ。




