ホームソーイングからみる表現
Notoをつらつらと見ているとホームソーイングに挫折したって記事があった。
???
ホームソーイングで挫折することってあるか?
クライアントも納期もないしやりたい放題じゃん。
ステッチが乱れていようと着てる本人が分かるだけで、他人が着てる服のステッチの乱れなんてわからんわからん。
なんで挫折したんだ?
と記事を読んでいくと、その記事を書いたはとにかくできないことを他のせいにする。
ミシンの使い方、洋裁道具の使い方、パターンの展開の仕方、そんなの習わないとできるはずがない。
注目するのはその是非ではなく、なにかできないことがあってそれを自分以外のせいにする時、そこに上達も進歩もなく果てしなく時間の浪費があるだけってこと。
そのなのできる訳ないって決めつけて、もしくはできない理由を自分以外に求めるとすげえ差がつくんだなあと。
比較対象は俺。
俺とその記事主、同じくソーイング歴三年目なんだけど記事主ができないって言っていたテーラードジャケット縫ったり、既製品ばらしてパターン抜いて違う生地で縫い上げたりとか俺できるんだけど。
と自慢してみる。
なんでそんな差がついたか。
記事を読む限りではプライドかなんかしらんができないのを自分以外のせいにするか、できないのは全部自分のせいにするか。
なんだよなあ。
なので、できないことを自分以外にせいするなら、それはやるだけ時間の無駄だからやらない方がいいって教訓が出てくる。
これはソーイングだけでなく他の表現全般に通じるよな。
それともう一つ。
記事主にあったのは妙な既製品信仰。
自分が作ったものよりファストファッションのがましなんて書いてある。
いやいや、さすがにファストファッションには勝てるべよ。
GUとかユニクロ行ったら、デザイン見て生地を触ってめくって縫い目見て、勝ったなってなるだろ。
でもこれ多分、技術がどうこうではなく我の強さの話。
自分の好きな色柄で自分の好きなデザインで作った服で外に出る。
それがどう言うことかというと、自分の体に自分のセンスの塊の服を着る。つまり外部と接触するのは自分オンリー。
これが俺だ!文句あるか?ぶち殺すぞ!
ってぐらい我が強くないとへたれるよな。
自分と外部の間に自分以外のものをはさんで安心する人がいるじゃん。
美容整形とかさ。
ナチュラルな自分じゃないもので外部に接することで安心する人たちがさ。
そういう人がホームソーイングしたらそら挫折するし、他の表現でもあくまでも自分、どこまでいっても自分を突き通す我の強さがないと挫折するだろうなあ、というお話。