2 目覚めたらご令嬢だった
五年前の話だ。
俺は綾瀬香という日本人だった。十八歳で大学に受かって、春休みを満喫しようとしていたところだった。
終わりは突然やってきた。俺はトラックにひかれた。即死だったと思う。
だが、それは終わりではなくて、むしろ始まりだった。
目覚めると、そこは知らない部屋だった。中世の西洋風の作り。お嬢様の部屋?
「お目覚めになられましたか、セディール様」
セディール?誰だ?俺か!俺はなぜか、自分がセディールであったことを知っている。
セディールはタンドスピロン公爵家の令嬢。十歳。来年度からサイカトリー王立学園に通うことが決まっている。
セディールの記憶が俺に植え付けられた?いや…、この身体はセディールのものだ…。俺がセディールに乗り移ったってことか…。転生ってやつか?
だけど、俺は香だ。セディールの記憶を持っているだけの綾瀬香だ。今までセディールとして生きてきた記憶があるのに、今はセディールである自覚がない。
「どうなさいましたか?お嬢様…」
メイドが喋っているのは日本語じゃない。サイカトリー王国語だ。でも俺はサイカトリー語を知っている。サイカトリー語で考えることができる。
メイドは恐る恐る訪ねてきた。それもそのはず。セディールは傍若無人に振る舞ってきた。メイドは仕打ちに耐えられず、何度辞めていったか数え切れない。
俺はセディールになったのか…。悪名高い、傍若無人なお嬢様、セディール・タンドスピロン。いや、セディールになるのはいいけど、傍若無人なお嬢様になる必要は、別にないんじゃないか?
こういってはなんだが、俺、綾瀬香は好青年だった。学校で友達もたくさんいた。
俺がセディールの身体に乗り移ったのは間違いなさそうだが、単にセディールとして生きてきた記憶がコピーされただけで、俺の意識は綾瀬香のままだ。性格も綾瀬香のままで、セディールの傍若無人な性格まで受け継いでない。むしろ、傍若無人になれといわれても困るくらいだ。
「も、申し訳ございません…。お嬢様、ご気分がすぐれないのに起こしてしまい、本当に申し訳ございません…」
ああ、俺が黙ったまま神妙な顔をしていたから、メイドは俺の気分を害したと思ったのか。
「おはよう。黙ったままでいてごめんなさいね。起きたばかりでぼーっとしていただけだから、気にしないでいいわ」
「お嬢様が…、ごめんなさいだなんて……。メイドの私に…」
そうか、今の場合、セディールならメイドを首にしていただろう。そもそも、セディールはこのメイドの名前すら知らないのだ。メイドはいつも長くて二ヶ月くらいで交代するし、道具くらいにしか思ってないから、名前なんて要らなかったのだ。でも…
「本当に気にしないでいいのよ」
俺はセディールの言葉遣いを知っている。強い口調で上からものを言う。むしろそれしか知らない。日本語ではないから、日本語の丁寧な言葉遣いを知っていてもあまり意味がない。でもこの口調ではメイドが恐れおののいて固まってしまう。
「あ、あなたの名前を教えてくださいませんこと?」
お茶会でご令嬢に使っていた言葉遣いを思い出す。貴族同士の会話で使う言葉遣いだから、メイドに対する言葉遣いじゃなかったと思う。でも、それくらいしか丁寧な言葉遣いを知らないんだ…。
「み、ミスリーと申します…」
「そう、ミスリー、今まで辛く当たってごめんなさい。これからは…、もう少し優しくしますわ」
「……」
ミスリーと名乗ったメイドはまた固まってしまった。突然性格が変わったらそりゃ驚くか。いや、言葉遣いがおかしいか…。でもセディールの性格を演じるのは俺には無理だ…。
こんなやりとりを何日か続けた。突然性格の変わったセディールに慣れてもらうのには時間がかかった。それでもだんだん打ち解けてきて、かなり気安く話してくれるようになってきた。俺も、メイドと交わすような、あまりかしこまってないお嬢様言葉を、少しは喋れるようになったと思う。
「おはようございます、お嬢様」
「おはよう、ミスリー」
「本日のお召し物はどれになさいましょう」
「そうねえ、そろそろ新しいドレスがほしいわ!」
「ふふっ。お嬢様はお優しくなられて、我が儘も言わなくなりましたが、ドレスに関しては依然と我が儘ですね」
「あなた、言うようになったわね。でもそれくらい許してよ。自分を着飾るのが楽しいんだから」
「はい、お嬢様はお美しいですし、私もお嬢様を着飾るのが楽しいです」
セディールは十歳なのだけど、すでに身長が一五五センチもあるし、日本だったら高校生か大学生くらいに見えると思う。胸はCカップ、くびれもある、大人の体型をしている、絶世の美女だ。自分はセディールである自覚があまりないので、最初に裸を見たときは鼻血を噴きそうになった。着替えをするときは女の着替えを覗いているようで申し訳なかった…。でも、何度か繰り返すうちに慣れていった。
まあお茶会でご一緒するご令嬢は、セディールほどではないものの、みんな綺麗で大人っぽい子ばかりなので、そういう世界なのだろう。地球だって白人や黒人なら、体型はこんなものかもしれない。
と思ったら、そうでもなかった。ドレスの仕立屋の女性は成人はずだけど、セディールと同じくらいしか背がないし、ミスリーは十八歳の子爵令嬢でやっぱりセディールと背は同じくらいだ。つまり、上位貴族が美人で大人っぽいということなのだろう。まあ中世の貴族なんてそういうものか。
そういえば、貴族と平民の容姿の違いはもう一つあった。ほとんどの平民の髪の色はグレーなのだ。そして、上位貴族ほど原色系に近い濃い色の髪を持っている。ミスリーの髪は淡い水色だ。それに対して、セディールの腰まである長い髪は真っ黒だ。日本人でもこれほど黒くない。全ての光を吸収する闇のような黒…。
容姿以外の違いもある。それは魔法の適性の高さだ。
この世界には魔法がある。魔法には属性がある。聖、光、闇、火、雷、土、水、風。属性にはシンボルカラーがあって、それぞれ、金、白、黒、赤、黄、緑、青、紫だ。そうだ、家庭教師からそう習ったじゃないか。そして、人は持っているの魔法の属性の適性よって、髪の色が変わると。そして適性が高いほど髪の色が濃くなると。この世界の常識だ。
そして、セディールの真っ黒な髪…。これはセディールが闇属性に高い適性を持っていることを示している。でも…
「失礼ですがお嬢様の魔法の適性は何ですか?」
「えっ?そんなの髪を見れば明らかじゃないの…」
「えーっと…、申し訳ございません、わかりません…。もったいぶらずに教えてくださいよ」
などと、ミスリーに聞かれる始末。明らかに魔法のシンボルカラーと同じ真っ黒な髪を眺めて、分からないとはどういうこと?
「闇属性よ」
「闇属性でしたか!教えてくださってありがとうございます」
「そういうあなたは、水は確実よね。いつもコップに水を入れてくれるし」
「はい」
「あとは、土?光も少しあるのかしら?」
「……なぜ分かったんですか?お嬢様の前で披露したことは…」
「だって、あなたの髪が明るめの水色だから、青と緑と、あとは白も混ざっているかなと」
「すごい…。完璧です!お嬢様は人の魔法の適性を当てる力をお持ちなのですね!」
「はぁ?」
そういえば、家庭教師ともそんな会話を交わしたような…。
でも闇属性の魔法といったら、人の心を覗き見したり、好みを操作したりと、悪事を働くのにぴったりの内容のオンパレード。それなのに、髪の色を見られただけで悪いイメージを持たれたことは記憶にない。単に、セディール・タンドスピロン公爵令嬢といえば、傍若無人なお嬢様という噂があって恐れられているだけだ。
魔法の属性が髪の色に現れるというのは誰もが知っている常識なのに、髪の色から魔法の属性を特定できないってのはどういうことなのか。まあいいや。髪の色を見られただけで差別されるようなことはないってことなら。