1 日本に帰れる?
あるとき、頭の中に声が聞こえた。
『あなたは転生者ね。この世界で生きていくことに不安を感じているのなら、私たちのところに来ないかしら?』
日本語だ!
『えっ?どなたかしら?たしかに今死のうと思っていたところよ…』
『あら、それはいけない。それなら、一度お話をしましょう』
気がついたら、真っ黒な世界にいた。神の世界?この世界にいるのは自分以外に三人。世界は真っ黒なのに人はちゃんと見える。
「座って、セディール・タンドスピロンさん」
「は、はい」
日本人だ!懐かしい!そして、日本一の美女といっても過言ではない。女神とかではないのだろうか。でも服装は普通のワンピース。上等だけど、貴族が着るようなものではないし、まして女神の衣装でもない。
「今回あなたをここに呼び出したのは、あなたが異世界での生活を辛いと感じていることが分かったからよ。そこで最初に謝罪しておくけど、そのことが発覚したのは、あなたの心を読んだからなの」
「やっぱりわたくしの心を読んだのですね…」
「ええ、このケースは初めて見たけど、これもきっと神様が仕組んだことなのよね。ホントに腹立たしいわ」
俺は十八歳のときに交通事故で死んだと思う。名前は綾瀬香。男だったはずなんだが、気がついたらセディールという十歳の女の子だった。まさか、名前が女っぽいから神様が間違えて女に転生させたとかじゃないだろうなと勘ぐっている…。
このケースは初めて見たってことは、他にも転生者がいるってことか。そして性転換したのは俺だけってことか…。
「じゃあ、わたくしが元男だったということを知っているのですね」
「そうよ」
セディールはサイカトリー王国、タンドストロピン公爵家の令嬢。俺の魂みたいなものがセディールの身体に宿ったのだと思うのだけど、問題は俺という人格は、香の記憶を持ったセディールではなくて、セディールの記憶を持った香ということだ。つまり、女の身体を持っているのに、心が男のままだということだ。
セディールの経験や記憶は思い出せるが、自分のしてきたことという実感がない。セディールの好みは知っているが、俺の好みではない。自分がセディールだという自覚が全くない。
転生してから五年。心と体のアンバランスさに戸惑いながらも、ずっとセディールとして過ごしてきた。
俺が男だと知られているからには、容姿どおりのお嬢様を装った言葉を続ける必要はないな。
「つまり、お嬢様を繕っても意味はないんだな」
「ええ、そうよ。楽にしていいわ。あなたのことは、ずっと見張っていたはずなんだけど、あなたは今までこの世界で生きていくことに不満はなかった、それであってる?」
「ああ、そうだ」
「でも、ここ最近で不満を感じるようになったってことかしら?」
「そうだ。お察しの通り」
「それで、このタイミングになってAIの探索に引っかかったってわけね…」
話をしている日本人の美女以外には、ややピンクがかった銀髪をケモ耳に見える髪型にした、やはり神がかった白人系の美女。服装は髪の毛と同じ色の毛皮のチューブトップ…、いや、前面しか被われてない。肩にも背中にも紐がない。どうやって着ているんだ?そして、髪の毛と同じ色の毛皮のミニスカート。この世界のファッションじゃないな。
それから、もう一人は日本人のイケメン。コイツも日本一の美男子なんじゃないか?
この空間は真っ黒だ。まるで俺の髪のように。どこに壁があるかも分からない。設置してある物は、日本人の美女と俺が座っている二つの椅子だけ。
「なあ、あなたは神なのか?」
「いいえ。神には会ったこともないわ。存在しているとは思うけど、会えたらぶっ飛ばしてやりたいわ」
「えっ…」
「だってそうでしょう。あなた、遊ばれてるのよ。神とやらに。男の心のまま女の身体に転生させられて、男を口説けって無理な話じゃない。自分の身体を眺めて喜んでるあなたはまともよ、きっと」
「そんなところも覗いてたのか…」
「ごめんなさいね。あなたが邪悪じゃないか調べるためにね。でも、大丈夫だと思ったから呼んだのよ」
「それはどうも」
「さて私たちは、あなたみたいに転生したり召喚されたりして困っている人を集めてまともな暮らしができるようにしているの。すでに四十人以上の転生者と召喚者がいて、私の子孫や仲間も五十人以上いる。あなたにはここで生きていく糧を与えるわ。衣食住や仕事。あ、ちなみにここはヒスターニアよ」
「ヒスターニア…。たしか、サイカトリーから三つ離れた国…」
転生した人だけじゃなくて、召喚された人もいるのか。しかもそんなに…。
「それから結婚相手も見つかるかもね」
「結婚はしなくていいかな。なんせ…」
「ああ、結婚相手は男じゃなくてもいいのよ。女性同士で結婚して子供を作る方法も確立してるから。女のあなたを望んでくれる女性がいたらいいわね」
「それはすごいな!結婚なんてできないと思ってたのに!」
「で、話を元に戻して、仕事の内容を紹介するわね。まずはポーション作り。あっ、あなたの適性は闇属性オンリーよね…。ポーション作りにはお呼びじゃないわね、失礼。他には、農業に漁業に衣服作り。ここまでは、ヒスターニアでの仕事。あとは、旅館勤め。日本の旅館よ。あ、いしょ…」
「えっ?日本に帰れるのか?」
「ええ。でもあなたは一度死んで別の姿。元の場所には戻れないと思う。その代わり、新しい戸籍を作ってあげる。必要なら学歴と職歴も用意してあげる」
「そんなことまでできるのか…」
「なんなら、日本人っぽい顔も作ってあげるわ。あ、あなたは闇魔法使いだから、自分で外見変化の魔法が使えるわよ。あとで教えてあげるわ」
「そんな魔法があったなんて…」
「さくらが開発した魔法よ」
「魔法開発は授業で習ってるけど、そんな奇想天外な魔法を作れるはずが…」
「あ、さくらってのは、こっちのケモ耳女よ。あなたのことばっか聞いて、自己紹介をしてなかったわね。私はあいか。こっちはゆうき。私とゆうきは日本人。さくらは、こことも違う世界から来た生物よ。ヒスターニアでの生活基盤を作ったのは私のママだけど、今は私たちおよそ三人で管理してるわ」
生物って…。ケモ耳に見える髪型を作ってるのかと思ったけど、ケモ耳って言い切りやがった。ここは魔法のあるファンタジー世界だが、獣人なんてものがいるとは教わってない。
「よろしく。俺は前世では綾瀬香って名前だったんだ」
「これからよろしくね。ここではセディールって名乗ってもいいし、香でもいいし、全く違う名前でもいいのよ」
「その…、日本の旅館で働いてみたいから、香にしようかな。女の名前でも通るし」
「いいわよ。じゃあ話を通しておくわね。旅館はあと一人か二人しか受け入れられないし、接客だから、ちゃんと仕事をこなせるか試用期間で見定めてもらうわよ」
「ああ、それでいい」
「あなた、日本で接客するんなら、女の子らしくしなさいね。お嬢様として作法くらい学んだんでしょ?まあ、お嬢様が接客業をできるとは思わないけど…」
「今までは俺が男だったなんて知ってるやつはいなかったから開き直ってお嬢様を演じてたけど…。ばれてる相手には、なんだか女装してるみたいで、ちょっと恥ずかしいじゃないか」
「私は否定しないわ。どうどうとしていればいいじゃない。うらやましがってるやつもいるわよ」
「ちょっ、ここで俺を巻き込むなよ」
「誰もあんたなんて言ってないわ」
「ははは、ゆうき、完全に自爆だ!はははは」
ん…、そっちのイケメン、女装趣味か?
「神様に性別をかってに変えられちゃったのは気の毒だけど、ここは異世界よ。女同士で結婚するのも、男同士で結婚するのも自由よ。外見変化の魔法で男が女に変装するのも、女が男に変装するのも自由よ」
「その…、せっかくだから、俺はこの身体を満喫するよ」
「じゃあ、もう少し言葉遣いをなんとかしなさいね」
「は、はい…」
十八歳で死んで、異世界で十歳の美少女に転生した俺は、五年を経て日本に戻れることになった。