木下真紀子
「真紀子~~。そろそろ発酵ええんちゃう?」
と旦那の慎二がオーブンの前で叫んだ。
えっ、多分もうちょいだと思うけど。
慎ちゃんせっかちなんだよなぁ。
「あと5分見て~~。」と返事しといた。
去年の秋に、私は実家のパン屋を継いだ。
もともとパンが好きだったのと、両親の作ったこの店がおしゃれで可愛くて大好きだった。
だから高校を卒業して専門学校へ行くと決めたのも自然な事だった。
たが両親は「真紀子、店の事は気にせんでええさかいに、行きたい大学へ進みぃ。」と言ってくれていた。
でも店は経営がカツカツだったも知ってるし、他にやりたい事も無かった。
高校が進学校だったので進路担当の先生は煩かった。
「お店を継ぎたいのはわかるけど、大学卒業してからでも遅くは無いよ。」と説得して来たが、断固として専門学校で。と説き伏せた。
専門学校へ進み2年間みっちり製菓を学んだ。その後は流れるように調理へ進んだ。
何かの役に経つであろうかと、造形や色彩講座もネットで受講し、資格を取った。
当たり前だが調理師免許も取った。
全国的なホテルで血が滲むような厳しい修行を5年ほど積み、やっとお客様に出せる商品を作らせてもらえた。
初めて厨房でデザートを作らせてもらった時の感動はたぶん一生忘れないと思う。
そのホテルにいたのが慎二だった。
最初から意気投合し付き合い、深い仲になるのにそれほど時間は掛からなかった。
明るい慎二の事が大好きだった。慎二は自分の店を持ちたいと言う夢を持っていた。
そんな時、両親が車の事故に巻き込まれて帰らぬ人となった。
この時、ちょっと病んでしまった。
だが、慎二の励ましにより何とか立ち直り毎日では無いものの店の営業を再開した。
お世話になったホテルのシェフの先輩方にもたくさん慰めてもらった。
両親の店を守る。と決めて職場を惜しまれつつ去った。
最初の半年ほどはなかなかコツが掴めなかったが、1年を過ぎる頃には僅かながら利益が出始めた。
慎二もお休みを利用して手伝ってくれていた。そうして店が順調に回り出した頃、正式に籍を入れた。
お金が無いのでドレスとタキシードをレンタルで借りて、プロのカメラマンに写真を撮ってもらい、友人達にハガキで挨拶した。
新婚旅行は日帰りの旅行だった。
それでも充分楽しく、生活は貧しいながらも充実した日々を送っていた。
籍を入れて半年後、私が仕入れに行った最中に、慎ちゃんの火の不始末で店が燃えた。
最後まで火を消そうとして、煙に巻かれた慎ちゃんは逃げ遅れそのまま帰らぬ人になった。
「もうこれで何も無くなったな。」と呟いた。
もういいやー。もうがんばれん。勘弁して。
どこかへ行こう。もうどうせ帰るところはない。
そう決めて持ち金で行けるところまでの切符を買い、駅に降りた。
駅に降りてからは死に場所を探して彷徨った。徒歩で30分の所に海があった。
両親が亡くなった時に使ってた安定剤があったので、コンビニでビールを買い、安定剤を有りったけビールで飲んでそのまま近くの海へ飛び込んだ。
もう良い、悔いは無い。もう泣くのは嫌なの。




