表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

番(つがい)を見つけた勇者

【短編】どうせ逃げられないのなら ~逃げたい私と逃がさない勇者の逃亡劇~

作者: 瀬里

いつも誤字脱字報告ありがとうございます。感謝です!

 大陸の中央にある強国、ウェストラント王国の王族は「勇者」の一族である。

 その人並外れた強さはドラゴンにも匹敵し、勇者のドラゴン討伐に関する逸話は、今も畏敬の念を持って大陸各地で語りつがれている。


 今代の王族たちに関してもまた然り。

 高貴な身分でありながら先頭に立って戦う勇者一族の活躍は、大陸中をにぎわせる一大英雄譚として、人々の心を浮き立たせていた。


 そして数カ月前。

 人々はその噂に色めき立った。 

 ここ数百年で一番の強さを誇るといわれる第一王子が、王国としては数十年ぶりにドラゴン討伐に旅立ったのだ。


 そう、私には、全く関係ない話のはずだった。

 私が二か月前に拾った記憶喪失のこの男が、(くだん)の第一王子その人でさえなければ――。


 ◇◇◇◇◇◇


 森に佇むその男は、木漏れ日を浴びながら、金糸で美しく針が刺された紋章をしげしげと眺めていた。その紋章が、今は服に隠れた男の腕に刻まれた入れ墨と見事に一致しているのを私は知っている。

 額にかかる柔らかそうな黒髪に、きりっとした眉。切れ長の紫の瞳に通った鼻梁。

 筋肉が多すぎもせず少なすぎもしないすらりとした体躯で佇むその姿は一幅の絵画のようで。

 しかし、私はその美しさというよりは居たたまれなさに思わず目をそらした。


 その足元でもがく騎士のせいだ。

 迎えに来たという騎士を地面に這いつくばらせて踏みつけた男の表情は、今日も絶好調の悪人面だ。端正な美男子といってもいい造作なのに、傲慢に人を見下す目線と歪んだ口元が、全てを台無しにしている。


 ちなみに、なんでこの騎士が足蹴にされているのか私にはさっぱりわからない。

 私のような者にまで挨拶をしてくれる、友好的ないい人なのに。

 それとも、この国の王子と騎士の挨拶としては普通なのだろうか。

 いや、この男の事だ。単に虫の居所が悪かっただけに違いない。


 男は、ふうん、と興味なさげにつぶやくと、先ほど騎士からむしり取った紋章を背後の湖の中へ放り捨てた。

 ぽちゃん、と可愛らしい音を立てた紋章は、湖に落ちたもののかろうじて水面に浮いている。

 明らかにそれは捨てていいものではない。

 きっとこの男は何も考えていない。持っているのがめんどくさくて投げ捨てただけだ。


「あーっ、ちょっ、何するんですか、アーレント様! それは、俺がコカトリス討伐の際に陛下にいただいた王国一等栄誉勲章なのに!」


 案の定騎士は大騒ぎだ。


「それで、お前の話が本当だとすると、俺は、ウェストラントから旅に出たまま行方不明になっている、第一王子アーレントだと」


「もう相変わらず人の話聞かないっすね!! 何今さらなこと言ってるんですか!? 俺がこの三カ月どんだけ探したと思ってるんですか!? 近衛騎士団長のこの俺が捜索に駆り出されてんっすよ! 陛下はじめ皆様、どんだけ心配してらしたか!! あんたがどこぞで悪さをしてるんじゃないかと皆様、すっげえ気をもんでらして。そんでもって、あんたがどっかの国を滅ぼしてたら首を差し出して勘弁してもらってこいとか言われた新婚の俺の気持ちわかりますぅ!? っていうか放して下さいよ。勲章! 沈んじゃうからっ!! 拾わせて!!? 陛下の勲章よりもほんとは、裏に奥さんが縫いつけてくれたお守りの方が大事なの!!」


 金糸で織られた勲章は水を吸って沈みかけている。

 じたばたもがくも動けない騎士は半泣きだ。

 普段のこの二人の関係が透けて見える。

 そして、国王から心配されている内容は、本人が悪さをしていないかの心配だとは……。

 哀れな騎士と国王陛下に妙に共感してしまった私は、こっそりその勲章を拾っておくことにした。

 あとできれいに乾かして返してあげよう。


「王子か。なるほど。だとすると俺は、その国の最高の治癒魔導士の手を借りることができるということだな。――俺の記憶喪失は、その国に行けばすぐに完治するだろう」

「へ? 記憶喪失? ちょ、ちょっと待って。なんすかそれ」


 騎士の呆然とした問いかけをさらりと無視して王子アーレントは、私の方にその紫の眼差しを向ける。

 傲慢な表情はそのままに。


「イルセ、記憶と身分を取り戻し、お前を迎える体制を整えたらすぐに戻ってこよう」

「はい?」


 いきなりお鉢が回って来た私は、思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。

 この人、今、迎えに戻ってくるって言った!?

 私の事、連れて行こうとしているの?

 えっと、確かに、この騎士が来る直前の話の流れではそうなるのかもしれない。

 でも、それは王子だとわかる前の話で。

 ちょっと気になった女をそばに置いておきたい、ぐらいの気持ちでそんなことを言ったら、立場上あとで後悔するに決まってる。記憶が戻ってからも後悔すること請け合いだ。

 頭ではそう思いながらも心臓がばくばくいうのは止められない。

 私は落ち着け、落ち着け、と念じながら必死で表情を作り、やんわりとお断りの言葉を口にしてみる。


「あの、私、そういうのはちょっと……。お城とか、性に合わないんで……。それにあの、王子様、なんだ……ですよね。王子様って普通、婚約者様がいらっしゃるのでは? ほら、あの、誤解とかされちゃったら大変ですよー……なんて」


 いくら身分の低い平民だとしても、王子が女を連れ帰ろうとしたことが婚約者様にばれたりしたらろくなことにならないのではなかろうか。おまけに記憶喪失の王子様と二人っきりで二ヶ月も過ごしていたとばれようものならば……。


 ちらっちらっ。

 王子の足元の騎士様に応援依頼の目線を送ってみる。

 困るよね!? 王子が山の中で拾った女をいきなり迎えたいなんて言ったらお城の中大混乱でしょ!?


「あ、ご婚約者の話なら、ふぐっ」


 私の視線を感じて、何かを言いかけてくれようとした騎士は、背中を踏まれて物理的に口をきけなくなったらしい。

 あーそれ痛いよね。

 私はこの騎士にますます共感を深くする。


「イルセ、心配することはない。すぐに片づけて戻ってくる。いや、迎えに来よう」

「いえ、別に心配とかじゃなくって、私は行かないって……ひっ」


 私は、突如感じたすさまじい圧に口をつぐむ。

 勇者の特徴ともいえる紫の瞳が赤みを帯びて、立ち尽くす私の視線をからめとるように奪う。その視線は凍り付くように冷たい。

 私はごくりと唾をのみこんだ。

 王子は、自分の左手にはまっていた指輪を抜き取ると、私の手の平に落としこむ。


「迎えに、くる」

「は、ははははいっ。お待ち、しております」


「勇者」相手にそう言う以外に、一体何ができたのだろうか?

 踏みつけられたままの騎士から、今度は同情の空気が流れてきた。


 いい加減、足、どけてあげればいいのに。

 そんなどうでもいいことを考えて私は必死に現実逃避するのだった。


 ◇◇◇◇◇◇


 こっそり拾っておいた勲章は、王子の見ていない隙にちゃんと騎士様に返しておいた。騎士様は涙ながらにお礼をいい「お互い、大変っすね」としみじみと同情の言葉をかけてくれた。この騎士様となら、ちょっと仲良くできそうな気がした。

 もう会うことはないだろうけれど。


「さて、やりますか」


 そんなこんなで王子と近衛騎士団長を見送った翌日。


 私は、長く暮らしたこの森の家に、――火を放った。


 もう、ここには戻れない。 

 王子は、城に戻ったら記憶を取り戻すのだ。

 記憶を取り戻した王子に見つかったら、私は、間違いなく殺される。


 ――だって、王子の記憶を奪ったのは何を隠そう、この私なんだから。


 ◇◇◇◇◇◇


 ――二か月前。


 ここは、ウェストラント王国の西、どこの国にも属さない未開の地。

 一番近い人里からもだいぶ離れた場所にある森の外れに、私は生まれ育った里を離れ、一人で住んでいた。


 二か月前のその日、王子を拾ったのは仕方のない成り行きだった。

 森で、魔獣マンティコアに遭遇した私を助けようとした王子が、サソリの尾の毒針に刺され、倒れたのだ。

 マンティコアは、人の頭にライオンの胴、サソリの尾を持つ辺境の魔獣。しかし、勇者がやられるほどの強さはない。その日の王子は、万全の状態とは言い難かったのだ。


 本当は、倒れた王子など捨ておいてもよかった。勇者と関わり合いになるなんて、正直面倒なことだらけだ。里の誰に聞いてもそう言うだろう。

 でも、私を守るために毒を受け倒れた王子を、私は見捨てることができなかった。

 どうせすぐに元気になって出ていくだろうから、少しの間だけ面倒を見て追い出せばいい。そう思って、私は自分の住む家に王子を連れ帰った。

 しかし、勇者と言えども毒への耐性はさほどではなかったらしく、王子は三日三晩熱と痛みに苦しんだ。勇者も人の子なんだと、この時ばかりはしみじみと思った。

 そして、夜通し看病した翌朝、彼の顔色がよくなったのを見て私は心底ほっとしたのだった。


 その朝、王子は目を覚ますと、不信感満載の顔で私を見上げて眉をひそめた。


「お前は、誰だ? ここはどこだ?」


 そりゃ不審に思うはずだ。記憶すらないんだから。

 私はちょっと離れた位置から、ベッドに横たわる男に用意しておいた答えを返した。


「私はイルセ。森でマンティコアに遭遇したところを、あなたに助けてもらったの。あなたはマンティコアの毒で倒れてしまったから、とりあえず私のうちに連れてきたんだけど」

「そうか……俺は、毒で記憶を失ったのか」


 毒と高熱のせいで記憶が曖昧になったのか、ラッキーなことに、王子の記憶はそういう風に書き換えられていた。

 少しはしょった私の説明も不自然な状況も、彼は全て記憶のせいにして受け入れてくれたようだった。

 それから男はベッドに体を起こし、汗で張り付いた髪をかき上げると、私に紫の瞳を向けた。熱で潤んだ男の視線は、やすやすと私の視線を奪う。

 私は、男から目を逸らすことができなかった。


「ベッドが固い。汗で気持ちが悪い。喉が渇いた。腹が減った」

「……」


 何かこう、ぐっとくるセリフを一瞬でも期待した私が馬鹿でした!

 何か言えるほど元気になってよかったよね!!


「水はそこにあるでしょ! 自分で飲んでよ」


 思わずやつあたりのように叫ぶ私のセリフも男は意に介さない。


「コップが持てない。お前が飲ませろ」

「……」


 本当はやりたくないが、病人なので手を貸さないわけには行かないだろう。 

 さっきは思わず見とれてしまったけれど、正直、私はこの男が怖い。眠っている時ならまだしも、起きているこの男の手の届く位置にはなるべく近づきたくなかった。ただ、それを表にだすほど馬鹿じゃない。


「はい、どうぞ」


 水を注いだコップを男の口に近づけ、傾ける。

 しかし、震える手をごまかすために上手く加減ができなくて、こぼしてしまった。


「……冷たい」

「あ、ごめんなさ」

「脱がせろ」

「……」


 だから、近づきたくないんだってば!

 しかし、今のは明らかに私が悪い。

 私は男の服を脱がせるべく、しぶしぶ男のボタンに手をかける。

 落ち着け、イルセ。この男は()()()()()()()()

 集中するのよ!


「いい匂いがする」


 小さなつぶやきと共に、ボタンと格闘している私の肩にずしりとした重みがかかり、私はそのまま王子に押し倒されそうになる。


「”#$%&’()★……!!」


 咄嗟に突き飛ばそうとして、相手が病人だと気づいて慌てて手を止める。


「ちょっと!」


 王子から反応はなかった。


「……」


 ……王子は倒れ込むように寝ていました!

 はい、お約束ですね!

 違うから! 私はほっとしたの! ほっとしたんだからね!!



 二週間もすると、王子の体調はほとんど回復した。

 散々わがままを言い、私に世話をさせたおかげだ。

 全く感謝して欲しい。

 傲慢で人を人とも思わない性格はきっと、記憶の有り無しとは関係ないんだろう。私も王子の言動にだいぶ慣れて、むやみに怯えることはなくなった。


 王子は肩慣らしだと言って、数日前から狩りに行くようになった。本調子ではない私では狩りは難しいので正直助かった。

 イノシシの丸焼きとか、時々は食べたいもの。

 でも、狩りに行けるぐらい元気になったということは、そろそろ、ということだ。


「ねえ、この森を東に一日歩くと村があって、ギルドもあるの。行方不明者の届け出があるかもしれないから、行ってみたら? 身元捜しを依頼してもいいだろうし」


 身元なんか知っている。王子様で勇者だ。何で私が知っているのか、なんて話になったら色々大変なことになるから絶対に言わないけど。

 もう、さっさと出ていって欲しい。私はこの仮初の生活を早く終わりにしたいのだ。


「世話になったら、恩を返すべきだろう」

「え、別にいいんだけど」

()()、返すべきだと思っている」


 無駄に強い圧を放って、私を黙らせる。

 いや、負けてはいけない。


「……だって、記憶ないと困るでしょ。それにほら、待っている人とかいるかも! 家族とか恋人とか!」

「記憶がなくても何も困っていない。帰らなければならないというも焦りがないのだから、そんな者はいないのだろう。――それとも、俺がここにいると、何か都合の悪いことでもあるのか?」


 それは私が一番触れて欲しくなかったことで。だから、言葉に詰まってしまった。


「ないなら問題ないな」


 彼は、この話は終わりだとばかりに切り捨ててしまって、その後、何を言っても聞いてくれなくなった。 



 それから、一カ月半。

 私は、方針を変えて、「恩を返す」と言ったこの男をこき使うことにした。

 名付けて、「恩はもう返してもらったから十分です」作戦だ。「こんなのやってられっか、もう出てってやる」作戦ともいう。


 今日も私は、私の苦手な家事を王子にいっぱい押し付けて、一人で家から少し離れた場所にある森の中の湖のほとりに来ていた。

 紅葉を迎えたこの季節は、湖に根を張る沼杉までも赤く色づき、湖全体が赤く神秘的な面持ちになる。燃える炎のような、私自身の色でもあるこの赤が私は好きだった。

 この赤い光景の中に佇むと自然と一つになれる気がして、私は毎年、この時期は何時間でもここで過ごしていた。


「美しいな」


 気づくと隣に王子が来ていた。

 もう仕事が終わったらしい。この優秀な人は、なんでもそつなくこなす。私が押し付けた家事なんて全く苦でないのだ。次の家事を押し付けてやろうかと思ったが、私は口をつぐんだ。

 この景色の前では、余計なことは言いたくなかった。


「きれいでしょう? 深紅の赤が、燃えるようで。私の大好きな場所なの」

「ああ、心が安らぐ。深い、紅蓮の、飲み込まれるような赤だ」


 王子が、片手で私の赤毛をもてあそぶ。王子は何が楽しいのか、私の髪の毛を触るのが好きだ。最近は振り払うのも面倒になって、私はさせるがままにしていた。


「ならば、この景色を忘れないでいて。国に帰っても、時々思い出してくれると嬉しい」

「いつでも思い出すだろう。お前が、俺の側にいれば……」


 側に、いれば……?

 いつの間にか、王子の顔が近い。

 王子の紫の瞳に周りの赤が映り込み、その眼差しは深い色合いを帯びていた。

 赤に飲み込まれたのは、私の方。


 その時、がさがさと森の灌木をかき分けて顔を出したのは、一人の騎士だった。

 私は慌てて王子から数歩離れた。


「王子ー。アーレント様ー。やっと見つけましたー!! 行方不明になっておいてこんなところでなにやってるんっすか!? ウェストラント中大さわっぎすよー。あ、お嬢さん、はじめまして、自分……ふぎっ」


 そして、物語は冒頭へと戻る。

 

 ◇◇◇◇◇◇


 私は、自分の痕跡を消すために森の家に火を放ち、全てが灰になるのを見届けると、すぐに東を目指した。

 そして、二カ月の徒歩での旅路を経て、私はドラゴンが住むという秘境の入り口近くにたどり着いた。

 秘境は力に満ち溢れた土地。大地が私にも力を与えてくれるのがわかる。王子と出会ってから続いていた私の不調も、大分癒されていた。


 私の気がかりは、勇者は追ってこないかという、ただそれだけだった。

 彼は、全てを思い出したらだまされたと怒るに違いない。

 自分を記憶喪失にした元凶のくせに、親切な振りをして看病し、その恩返しにとこき使った私の事をプライドの高い王族が許すはずがない。


 そして何よりも。

 彼は私に、特別な感情を抱いていたのだと思う。

 そんな感情は、容易に憎しみにとってかわるということを、私は知っていた。


 勇者の輝かしい経歴の一点の泥の染み。それが私なのだ。


 その泥の汚れを、彼はどうするだろうか?

 放置して忘れてくれるだろうか?

 ここ数か月で、知った彼の人となり――自分のこだわる部分にはとことん執着する――を思うに、その可能性は低かった。

 彼はおそらく、憎んだ相手に始末をつけにやって来るのだろう。


 白状するならば、彼と過ごしたあの二か月は、新緑の木々を透ける木漏れ日のようなキラキラした時間だった。

 彼に向けられる眼差しの奥に潜む感情にも気づいていた。

 その心地よさが、周りの世界を何倍にも明るく見せていた。


 だからこそ。

 私は、あの澄んだ紫の瞳が、憎しみに曇るのを見たくなかった。

 憎しみと怒りに囚われた眼差しが自分に向けられることを想像したくなかった。

 彼の想いを込めた指輪だけを思い出のよすがに持って、彼から逃げ切りたかった。

 逃げ切るために、ここまで来たのだ。


 ――でも、遅かったみたい。


 私は目を閉じると、ふっと息を漏らし、背後へと静かに声をかける。


「遅かったわね」

「ああ、随分手間をかけさせてくれたな」


 そこには、紫の瞳を昂る感情で赤に変えた、怒れる勇者の姿があった。


「どうやって、追ってこれたのか、聞いてもいい?」

「追跡魔法だ。俺が渡した指輪に残した痕跡を追わせた。国一番の魔導士が、協力的だったからな」


 王子は、懐から水晶玉を出す。

 強い魔法の気配がする。


『お兄様! 聞いてます? 約束しましたわよね! 協力したら私にお話しさせていただけると! 早く約束を守ってくださいませ』

「ご苦労だったな。あとで褒美をやろう」

『ちょっ』


 王子が懐へしまうと同時に、水晶玉の音声は途中で途切れた。

 水晶玉は遠隔通信装置だったのだろう。

 妹か。勇者の血脈。さぞ優秀な魔導士なんだろう。


「国宝の指輪に、俺が最大限込めた守護。俺と国一番の魔導士で追うのなどたやすい」


 いくら不調とは言え、そんなものに気づかなかった自分が情けない。

 気配に気づかずとも、何も考えずに置いて来ればよかったのに。

 私は苦笑いして、胸から下げた小袋に入った指輪を握り締めた。

 いいや、きっと、気づいていても私は置いてこれなかった。


「随分手をかけさせてくれたな。これだけのことをしでかしてくれたんだ。楽に終わると思うな」


 こんなところまで追いかけてくるほど、ただではすまさないというほどに憎まれているのか。

 目の奥が熱くなるが、私は、涙をこぼすのを、どうにか耐えた。

 私にも、矜持がある。

 せめて、と、私は胸の小袋を引きちぎって王子に投げつけ、にやりと笑って見せた。


「国宝の指輪を返したんだから、見逃してくれる?」

「――捨てるのか。許すわけがなかろう」

「言ってみただけ。で、私に何を望むの?」

「答えは一つしかない。――俺と一緒に来い」

「はっ、隷属も、生贄もお断わりよ」


 生きたまま、身体を引き裂かれるのか、それとも、血を抜かれるのか。

 ()()()は、人間にとって、それだけの価値がある。


 正直、勝てる見込みは全くなかった。できそこないの、私では。

 でも、せめて一矢報いる。

 

 隷属など受け入れない。その前に散ってやる。


 ――どうせ逃げきれないのなら。


「連れて行きたければ、力ずくでやってみるのね」

「たたき伏せてやる。お前は、俺の獲物だ」


 私は、体中の力を解き放った。

 比喩ではなく、身体が紅蓮の炎に包まれる。

 そして、この身は、姿を変える。

 猛々しくも美しい、紅蓮の炎をまとったドラゴンの姿に――。

 

 ◇◇◇◇◇◇


 私は、ドラゴンの父と、人間の母との間に生まれた。

 力は弱く、身体も一回り小さい。母の才能を受け継いで精神系の魔法はなかなかの腕前だが、力が全てのドラゴンの世界では、あまり価値がなかった。

 強き者を敬い従うドラゴンの性質は本能的なもので、里では私自身は常に従うことを求められる立場だった。でも、半分は人間の私はその本能的な部分との折り合いが上手くつけられず、里にいづらくなって、成人すると里を出て一人で暮らすことにした。

 父母の反対を押し切って得た一人の生活は心地よく、私はあの森で精神的な自由を満喫していた。

 そんな中、今代の勇者のドラゴン討伐に関する情報が流れてきたのだ。


 勇者――その存在はドラゴンの天敵と言ってもよい。

 ドラゴンの里の子供は皆、幼い頃から「勇者」に関する昔語りを聞かされて育つ。

 勇者の一族には数世代に一人、必ずドラゴン討伐に赴くものが現れる。

 犠牲になるのは、年若い女のドラゴンが多く、勇者に捕らえられ、帰ってきた者はいない。

 ドラゴンの体は、人間にとって妙薬となりうる。生き血は若返りの薬に、爪や牙は剣に、皮は鎧に。生き胆を食べると不死になるとも言われているのだとか。

 捕らえられると隷属の魔法をかけられ、生きたまま血を搾り取られ、生き胆を食われ、死後はその体を武器に防具にと使い倒される。

 勇者にとって、ドラゴンは狩りの獲物と同じなのだ。


 遠い寓話のように思っていた出来事が、急に現実のものとして近づいてきたことに怯えたが、それでもまだ遠い世界の出来事だった。

 里の父母は私を呼び戻そうと何度も便りを送ってきた。里は人が感知できない結界に守られていて勇者と言えども近づくことはできないのだ。でも、里での不自由な生活と天秤にかけて、私は森に残ることを選んだ。



 ――そして、四カ月前のあの日、私達は出会ってしまった。


 その日、私はドラゴンの姿で、獲物を追っていた。

 この地域に住む、大型のイノシシを捕らえ、爪で押さえつけ、首に牙を立てその息の根を止めたところだった。滴る血に酔って、警戒を怠っていた。


 その一刀を避けられたのは運がよかっただけだ。


 鋭く、力強く、押し切るかのような一太刀。

 目の前をかすめるそれは、光の尾を引いて、美しく流れていった。

 その剣跡に魅せられたかのように、私は、王子に挑みかかった。

 ドラゴンの戦う者としての本能が私を駆り立て、立ち向かわずにはいられなかった。


 私達は、お互いに会話もなく、定められたかのように戦闘に突入した。


 私は正直、「勇者」がここまで圧倒的な強さを持つとは思っていなかった。

 逃げる事すら許されず、私は地面にたたきつけられ、背中を踏みつけられ、地に這いつくばった。


「レッドドラゴンか。名は?」

「人間風情に名乗る名などない」


 思えば、この時、戦いの中で既に私は魅せられていたのだ。

 ドラゴンの本能が、強者を、この男を求めてやまない。


 でも、同時に、人間の本能が、私を死に追いやる強者を恐怖する。


「っ……!」


 まずい。

 私の体の竜化が解けかけていた。


 人と竜との間の私の体は、力が衰えると、竜の体を維持できなくなるのだ。

 そして、人の姿へと変化する。

 王子は、自分の足元で女へと姿を変える私の姿を見て、さすがに驚いたようだった。呆然と見開く紫の瞳と、私の目が合う。

 王子の精神は、一瞬、本当に無防備な状態だった。

 今なら。


「忘却の闇に攫われよ」


 私は、私の持ちうる最高の精神魔法を、瞳があった王子に向けて放った。


 ◇◇◇◇◇◇


 勇者は、王子は、敵だ。

 私がどれだけ惹かれようと関係ない。

 あの男は再び戻ってきた。

 ドラゴンを狩る者として。

 それだけが事実。


 ならば、私も迎え撃つのみ。

 戦いの本能を持つ地上最強の一族の矜持をかけて。


 力を取り戻し、久しぶりに取り戻したドラゴンの肉体だが不安はない。

 翼をはためかせ上空に飛び立つと、体重を乗せて舞い降り、王子の腕を狙って牙をつき立てる。

 王子は難なく躱し、私が第二打として放つ尾の攻撃も、素手で叩き落した。

 続く爪の一撃も後ろに下がって避ける。


 そのまま切り崩しをねらい、何度も攻撃を繰り返すが、上空からの攻撃は全て読まれ、らちが明かない。

 幾度も、同じような攻守を繰り返し、攻撃が単調になって来たあたりで、私は、起死回生の一手を狙う。


 私は、上空から攻撃を仕掛けると、そのままトップスピードで大地を蹴り、王子に向かう。

 牙をむき、至近距離から火炎を放つ。

 とった!

 業火に包まれる王子の姿。


 でも。

 私の中には、成し遂げたという達成感よりも、喪失感がじわじわと湧き出していた。


「終わっ……た?」


 どうしよう。

 私は勝ったの?

 勝って……しまったの?


 その時、業火がふっと掻き消えるように鎮火し、中から、傷一つない王子の姿が現れた。

 私は、胸に喜びが沸き上がるのを抑えることができなかった。


 ああ、私は、勝てない。

 いや、()()()()()()んだ。

 気づいてしまった事実、私の本当の望み。


 でも、どうせ負けるなら、せめて剣を抜かせたい。

 そして、私が見惚れた、魅せられた、あの美しい太刀筋で、私の首を切り落としてほしい。

 それぐらい、望んでもいいはずだ。


 王子アーレントは、近づきながら、私に問いかける。


「なぜ待たなかった」

「倒されるのを座して待つわけがないでしょう?」


 あなたに、憎しみを向けられるのが怖かったから。

 でも、同時に、私は追ってきて欲しかったんだと思う。


「俺は、そんなにお前にとって、価値のない男か」

「殺戮者にどうして価値を見出せるの?」


 私にとってあなたの価値は、金の鉱脈にも勝る。

 そして、私の、命よりも。


「何も言わずに、姿を消すほどに、逃げ出すほどに厭わしい存在だったということか」

「答えるまでもない」


 いいえ、憎しみを向けられるのが怖くて逃げ出さずにはいられないほど、愛しい存在だった。


「まあ、そんなことはどうでもいい。お前は、俺のもの、それだけだ。思い知らせてやる」


 私は再び大地を蹴った。


 とっくに、思い知っている。

 私はもう、あなたのものよ。

 私の命は、あなたのものだわ。


 相手を殺すという気概を失った私の攻撃は、勇者の強さの前に、全く相手にならなかった。

 そして、私の力も、もう終わりに近かった。

 ――まだだ。

 圧倒的な強さに、ひれ伏したくなるドラゴンの本能を叱咤する。

 まだ、剣を抜かせていない。

 私は、あの美しき軌跡をまだ見ていない。


 その時、素手で私をいなす王子が、不意に足を滑らせた。


 今だ!

 こんなチャンスはもうないだろう。

 私は、王子の頭を噛み千切ろうと口を開けた。

 今度こそ王子は剣を抜くはずだ。

 そして――。


「え?」


 私の口からは、鮮血が滴っていた。

 私の牙は、頭をかばった王子の腕を噛み裂いていた。


「やっ……」


 どうして? どうして?

 私は、ゆっくりと口を開いた。

 鮮血が、私の口元を流れ落ちる。

 それと同時に、力を使い果たした私は、ふらふらと倒れ込むように人型へと移行した。


 王子は、腕の怪我をものともせずに、目の前で座り込む私に手を伸ばした。

 血に塗れた手で、私の首元へと手を伸ばす。

 私は、その位置にあるものと、王子の意図に気づき、びくりと体をこわばらせたが、すぐに力を抜いた。


 もう、いいか。

 完敗だ。勝てはしない。

 力も、心も、全て屈してしまった。


 だから私は、それを与えるべく、首を上げて目をつむった。

 王子の伸ばす手の先にあるのは、竜の「逆鱗」

 

 人型になってもなくならないそれは、引きはがされ、飲み下されると、その相手の奴隷になる。


「美しいな」


 いつか、あの森で聞いたのと同じ一言に、心が揺さぶられる。

 そう言われて、最後まで美しくあろうと思う私は、なんて滑稽なんだろう。

 この男が手に入れた獲物の美しさを自慢できるように、深紅のうろこを美しく、磨き上げよう。

 私は、この男に、これから囚われるのだ。

 隷属し、自ら喜んで血を、肉を捧げつくすのだろう。

 そして、そんな未来を受け入れてしまった。


 男の指先が、私の首に触れる。

 探るようなその動きに心と体が震える。


 逆鱗が引きはがされる痛みは想像を絶するという。

 私は、その瞬間を静かに待った。


 王子の体が近づく気配がする。

 王子のもう一方の手が、私の首の後ろをつかんだ。


 そして、敏感な逆鱗に感じるその感覚が、全身を走り抜ける。


「んっ」


 痛みではなかった。

 まさか。

 王子は、私の逆鱗にそっと口づけていた。


 それは、竜族の「求愛」の証。

 

「俺と一緒に来い。お前しかいない」


 見上げる私の前で。

 勇者の紫の瞳は、私の髪を映して、赤く、揺れていた。


 ――私は、その赤にまた、飲み込まれてしまった。


 ◇◇◇◇◇◇


 王子の足元には、今また、あの時の光景が広がっていた。

 あの時と同じ、例の騎士が、じたばたと地面に這いつくばってもがいている。

 居たたまれなさに私はそっと目を逸らす。

 でも、あの時とは別の理由だ。 

 

 えっと、ドラゴンから人化した私はもちろん何も着ているはずもなくて……まあ、わかるよね!!


 目をつぶすつぶさないでひと騒動あって、私のとりなしで、騎士は何とか難を逃れた。かなりぼこぼこになってたけど。


「あのぉ、城ではもう結婚式の準備が始まってるんですう。花嫁に来てもらわないと、もう間に合わないって、王妃様はじめもうお冠です」


 ええっと……。

 この王子は、もうすぐ婚約者と結婚するのかな?

 私は、愛人として連れ帰られるってこと?

 で、王子は私を追いかけちゃったから、婚約者が怒って出ていちゃったってことかな。

 やだそれ泥沼じゃない! 城に言った途端に三角関係?

 でも、婚約者様には悪いけど、私はもう引くつもりはなかった。

 そんな無駄なバトルの決意を固めた、よくわかっていない私に説明してくれたのは、遠隔通信ができる水晶玉の向こうの人物だった。


「話したいそうだ」


 王子の妹だと自己紹介した魔導士でもある姫が、戸惑う私に説明してくれた。


『これは、極秘なのですが、ウェストラント王家の強さの秘密は、ドラゴンの血を引いているためなのです。通常は、普通に人と結婚をするのですが、数世代に一人、人に興味を示さない者が現れまして……。その者は、(つがい)を探す旅に出るのですわ。――世間では、ドラゴン討伐と言っておりますが。ちなみに、先代のドラゴン討伐では、おじいさまがおばあさまを連れ帰られましたの……』

「は?」

『ドラゴンの配偶者を迎えた者は、非常に執着心が強くて、自分の番を決して側から離そうとしないのだそうです……今は離宮にいらっしゃるおじいさまとおばあさまも、そんな感じでしたの。お兄様はそんなことにはならないと思っておりましたが……すさまじい勢いで結婚式の段取りまで整えて飛び出して行かれるのですもの。驚きましたわ。これからよろしくお願いいたします。お義姉さま』


 天敵? ドラゴン討伐どこいった?

<犠牲になるのは、年若い女のドラゴンが多く、勇者に捕らえられ、帰ってきた者はいない>


「隷属魔法は!? 生きたまま血を搾り取られるとか、生き胆を食われるとか、剣や鎧に使われるとかは!?」

『……おばあさまがおっしゃるには、その方が面白いだろうと。竜族には、そのぐらいの娯楽が必要だと』


 私の頭の中に、にんまり笑う里長の姿が浮かんだ。

 そうだ、そういう人たちだった……。


「じゃあ、じゃあ、戦う必要なんてなかったんじゃ……」


 私の悲壮な覚悟と決意とあの時間を返せ!!

 その時、私を膝にのせて(何度かの抵抗の末もうあきらめた)黙って聞いていた王子が、私の赤髪に口づけながら言った。


「ドラゴンは、力でたたき伏せねば服従しない。惚れたら、たたき伏せる。それが、ドラゴンの愛情表現だと聞いた」


 え。何それ。

 ひょっとしてあれって……。

 里のみんなで寄ってたかって、私を痛めつけようとするのに耐え切れず、私は里を出たのだった。

 私が、里の誰それがいじめると訴えると、父が妙に誇らしげにして、母がため息をついてたのは、そういうこと??


「……私、半分人なんですけど」


 非難がましく王子の顔を見上げてみる。


「そうか、ならば、人のやり方で頷かせねばならないな。まだ返事をもらっていなかったからな」


 王子はにやりと微笑むと、人のやり方とやらを、私が泣きながら頷くまで続けたのだった。


 ダメージが半端なかった。

 ドラゴンの愛情表現の方がまだましだった……。



 ――こうして、大陸中の人々を熱狂させた勇者のドラゴン討伐は、幕を閉じたのだった。

 





 ◇◇◇◇◇◇


 そして、数十年。


「おばあ様、竜の花嫁を探しに行ってまいります」


 赤毛に紫の瞳の若き勇者が、また旅立つのだった。


 ――運命に導かれし、己の番を求めて。



(Fin)




ご覧頂きありがとうございました。

久しぶりの短編です。

ドラゴンと勇者で、シリーズにする……かもしれません。

妹姫の話とか、騎士団長の話とか。


連載「愛を囁く機械人形」の方も、がんばります。

(あと数話で完結なのに、浮気してしまいました。すみません。シリアスに耐え切れず……前もこのパターンでした)


明るい感じのハッピーエンドが好きな方は、「格差婚約シリーズ」など、見て行ってくださると嬉しいです。


今回、ちょっとチャレンジしてみたいのが、感想のお返事を登場人物で返すというやつです。

ご興味がありましたらどうぞ。上手くできるかわかりませんが(←弱気)


お気に召しましたら、ポチポチとつけてくれるとうれしいです。

では、またお会いできることを祈って。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ピッコマでの連載始まりました! Webからも無料で読めます。

いらっしゃいませ さようなら 旦那様

結婚がテーマのロマンスファンタジーです。

遺産相続の条件は、一年間の結婚生活。
けれど彼には、愛し合う恋人がいた──。
― 新着の感想 ―
[一言] そうか、里でもモテモテだったんだ…… (未熟な男の子が気になる女の子をイジメる的な?)
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ