(6)研究所突入2
11月18日
セオドラ疾病対策研究所
(ビジター・センター)
――受付カウンター前
【22:58現在】
「おそらくセンター内の警備員は全滅だ」
ジュードの見解に、手招かれたチームAを含めて異論の声を上げる者はいなかった。
ただ、この先に待つ“厳しい戦いの予感”に誰もが緊張感を高めるだけだ。それをクォンの報告がさらに押し上げる。
「私も外の死体を少し検分したけど、やはり撃たれたのが死因みたいだ。病原体や化学的な何かに冒されたのが原因じゃない」
「今さらだな」
ダリオが鼻で笑う。
「どう考えたって、テロリストが攻め込んでいるのは間違いねーぞ」
「いや、私が言いたいのは“実験トラブルの余波がセンター内にまで及んでいない”ということさ」
「おい、それこそ今言うか?!」
その手の警告も受けずに屋内に突入した後だ。
ひとりだけ防護服に身を包むクォンに、「これからはお前が先に歩けや!」とダリオが歯を剥き出しにする。
「こんなところで騒ぐな、ダリオ」
制止するジュードもクォンに睨みを利かせ、
「本気で俺達をカナリヤに見立てたなら、依頼人だとて容赦はしないぞ」
しっかり抗議する。
ちなみにカナリヤの話は、鉱山作業でガス感知器代わりに使われる古典的な手法を差す。危険な“身代わり行為”をさせるなとジュードは怒ったのだ。
もちろん、念のための確認にすぎないと冷静に弁明するクォン。
「この施設は最新の危機管理システムを導入してるんだ。監視室で状況確認すれば分かるが、“実験トラブル”の対処はしっかり行われているはずだ」
「どうだかね。テロリストに襲撃されてる時点で説得力がゼロだよな」
「――そのくらいにしておけ」
始まったばかりで余計な気疲れはしたくない。
ジュードは早々に話を切り上げ、いよいよ建屋左側の『警備員エリア』を目指すことにした。
立ちはだかるのは頑丈なセキュリティ・ドア。
ここで玄関突入以来の緊張が、あらためてチームBの空気を引き締める。
「ドアの向こうはT字路だ」
事前にクォンから借りていたパスカードを準備するジュードが、皆に手順を伝える。
「フロアの構造上、迎撃に適したポイントは、ここ以外にはあり得ない。俺がドアを開けたら、西部劇の開幕だ――遠慮なく閃光手榴弾を投げつけろ」
角に隠れるエンゲルが頷き、射線を通せぬクリスがカウンター席からひょこりと首だけを覗かせる。今回はただの“見届け人”だ。
そしてジュードを守るように張り付くダリオは文字通りの“盾役”となる。
強化ガラスの覗き窓が付いた防弾盾は、耐ライフル弾仕様の高強度な防御力を誇り、ジュードをテロリストの凶弾からしっかり守ってくれるだろう。
ちなみに手榴弾がもたらす15メートルの効果範囲にいる者は、音響対策の耳栓もしっかり付けている。
「やるぞ――」
ジュードが一度、カードを掲げてみせ、次いで読取機にかざす。
自動的に開かれるドア。
ほぼ同じタイミングでカン、コッとセフティ・レバーの外れた円筒弾が、通路奥へと弾み転がってゆく。
――――!!
一瞬の間を置いて、百万カンデラの閃光が通路にはびこる暗がりを引き裂き、170デシベルの炸裂音がジュード達の全身にハンマーで殴りつけるような音圧を叩きつけてきた。
当然、無防備で直撃するテロリストはたまったものではない。
一瞬で心身が麻痺して戦闘不能に陥り、しばし彼らの時間は凍結される。
構築した防御陣もその意味を失って。
絶対的な攻撃権を得た今こそ、チャンスだった。
(行け――っ)
すぐに目を開けたジュードがダリオの肩を強く叩く。
だがダリオの反応が遅れる。
何をやっていると憤る前に進み始めたが、その動きが鈍った理由をすぐにジュードも気付くことになった。
「マジで誰もいねえ……」
思わずダリオが口にしたのも当然だ。
T字路までの通路はもちろんのこと、その先の通路から見渡せるどこにもテロリストの影はなく、ジュードまでが思わず気を抜いてしまう。
いくら何でも理解しがたい状況だ。
「なんだよコレ。そんなに人がいねえのか?」
防衛拠点を構えることもできないほどに。
ダリオの云わんとすることを理解しながらも、ジュードは応じずに、とりあえずチームの残人を呼び寄せる。
ちょうどそこで、物問いたげな鉄面貌と視線が合った。
(おい、どういうことだ?)
ついと顎先を向けてくる鉄面貌に、
(こっちが聞きたいさ)
首を振るしかないジュード。
こちらの想定以上に事態が進行しているのか、あるいは何か見落としがあるのか。
そうして、あらためて『研究所』に至るはずの通路奥を見通そうとして、ジュードはそれに気付いた。
通路奥に鎮座するのは太い黄色の警告ラインで縁取りされた物々しいセキュリティ・ドア。
それはセンターと『研究所』を区分する施設境界のゲートであり、そこに朱文字で荒々しく何かが殴り書きされていた。
As you sow
so you reap!!
まいた種は、刈らねばならない
(自業自得の意)
使ったのは赤色のラッカー・スプレーか。
液だれもして読みにくいが、間違いない。
「――けっ、ガキが」
吐き捨てるベイルの声に振り向けば、クリス達だけでなくチームAまでがやってきていた。
「連中、勝ち誇っていやがる」
「あるいは、あの向こう側にいる者に業を煮やしたか、だな」
顎髭をしごくバックスが、別の見方を提示する。
閉め出された腹いせに――そうだとすれば、テロリストがこのエリアに潜んでいる可能性は高く、それ即ち、今の乱れた態勢が危険であることを意味する。
「合図を出した覚えはないが?」
さっさと戻れと促すジュードに応じず、物言わぬ鉄面貌が落書きされたドアへと向けられ続ける。一体何のつもりだ?
「おい――」
「戻るぞ」
何事もなかったように一声でチームを引き戻すイメルダ。
「まったく、勝手な連中だな」
代弁するようなダリオに相づちも返さず、ジュードは手近なドアへと向き直った。
とりあえず、境界ゲートの件はあとでいい。今は不可解な状況に惑わされず、作戦通りに進めることがベストと信じる。
「先を急ごう」
ジュードが見据えるドアには、
『Security Gard Room(警備室)』
という文字ペイントが。
記憶によれば、さらにその奥が目指す『第1監視室』になっていたはずだ。
「俺とエンゲルで通路をカバーする」
「なら、俺とクリスで敵さんと乳繰りあうか」
ちょいと下品な笑みを浮かべて突撃姿勢をとるダリオ。クリスは澄まし顔で応じるだけだ。
「いいですよ。右が得意でしょうから、自分が左をやります」
UMP9を背に回し拳銃のUSPを構えるクリスに、「ん、なんでそう思う?」とダリオが何気なく尋ねれば。
「いえ、貴方は右曲がりでしょうから」
「あ?」
ダリオがサッと股間を押さえつつ睨み付けた時には、クリスが開放パネルに手を触れていた。
「この――」
開くドア。
その隙間に滑り込ませる脅威の反応速度で跳び込むクリス――いや、ダリオも遅れずに床を蹴っている!
「――オゲレツ娘め!」
そう低く鋭く、毒づきながら。
「先に下品シタ!」
「愛嬌レベルだ!」
「○△!」
「×◇?!」
室内でまだ続けている。死ななければいいが。
「……いいのか?」
呆れ混じりのエンゲルの懸念に、肩越しに返すジュードの回答は平坦なものだ。
「あれで息ピッタリだから」
問題ないと。どのみち叱るにしても手遅れだ。
社長のあっさりした返事にエンゲルも察したようだ。そのまま沈黙を決め込む。
実際、特にトラブルが発生することもなく、「クリア!」とクリスの低い声が返される。
むしろここからが、社長として一発カマすべきタイミングだろう。
早速肩怒らせて室内に踏み込むジュード。
「今度やったら、使わんぞっ」
人差し指の切っ先を力強く震わせて、精一杯に脅しつけるジュードだが、いつものごとく効果の程は疑わしい。
「ハンセー」
ハンズアップで降参するクリスの単語は、なぜかジュードの知るそれとは異なるような気がした。気を取り直し、もう一方の問題児へ。
「おまえもセクハラをやめろ。年長者だろ」
「おいおい、この俺が小娘相手に欲情すると思っているのか? 見損なったぞ、ジュード」
「見損なったのはこっちだが?」
呆れるジュードに、「俺を信用しろよ」とばかりにダリオは哀しげに首を振る。
「これは“種族保存の本能”だ」
「何だって?」
「ダーウィンだよ。男は女を求め、女も男に求められようと己を磨く。俺はね……ルージュと弾丸の区別もつかない、女の本能を忘れたクリスに刺激を与え、そして励ましたいだけなのさ。“諦めるな”ってね」
「どーいう意味?」
ダリオの余計な一言に、片眉を怒らせたクリスが銃口を向ける。
「区別くらいつけられる」
「たぶん、そこじゃない」
エンゲルの冷静な指摘は耳に入らず、ダリオとクリスが再び小競り合いをはじめる。そもそも、銃口を突きつけた時点で撃ち合いになっても不思議じゃない行為だが、思った以上にダリオは冷静であったようだ。
“森の縄張り争い”じみた可愛げのある口論が室内で展開される。
「やっぱ放っときゃよかった……」
嘆息するジュード。
いつものことといえば、それまでだが。
今は任務中で、隣室のチェックも済んでいない。気持ちを切り替えなければと思うジュードに声がかけられる。
「社長」
片手を上げて申告するのはクリス。
不毛な口論に飽きたのだろう。いや、仮にもプロとして自制したと思いたい。
「何だ?」
「自分、ハンセーしたので次の部屋に突入します」
「勝手にしろ」
突入も何も、ガラス張りの部屋向こうには誰もいないことが透けて見えている。
壁の中央を200インチ級の大型ディスプレイが占め、その脇を固めるのも中型ディスプレイの数々だ。そこに一目で分からない種々のグラフとデータが表示され、リアルタイムで何かを監視・測定していることだけは理解できた。
さらに三人分の座席前に整然と並ぶのは、おそらく監視システムを制御する電子デバイス群。
『第1監視室』に危険が無いのは明らかだ。
「しかし――本当にどうなってるんだ?」
ジュードは低く唸る。
警備室内を丹念に見回しても、目的の記録装置らしき機器は見当たらない。そのことはジュード達の現状予測を補完する材料になるのだが、一方で陣取っていると予想したテロリストの影がないのは腑に落ちない。
「テロリストが、単にパスワードを知らないために監視システムの扱いを断念したというのは?」
エンゲルの仮説にジュードは難色を示す。
「そんなことも打破できない連中が、施設に乗り込んだ挙げ句、この奥に侵入できたのか?」
「人質を取れば可能だ」
「だったらパスワードを吐かせるのも簡単じゃないか?」
そうジュードがやり返すもエンゲルは動じない。
「何を優先するかの問題だ。研究所奥へ侵入できるなら、監視システムには目もくれまい」
「まあ、そうだな」
実際、そこの監視室にいた者を人質にとった可能性だって考えられる。
ならばエンゲルの云うような展開があり、警備員もテロリストも戦いの場を『機密保管室』へ移すことになったのか。しかし「どうだかね」とダリオは懐疑的だ。
「あまりに情報がなさすぎて、いくらでもテキトーな仮説が立てられちまう」
つまり考えるだけ無駄だと。
「さっさとセオドラの社員を呼ぶべきでは?」
そう促すのは、気抜けした風に監視室から戻ってきたクリスだ。
「イスと床に血痕がありました。量からみて、銃でなくナイフを使ったものかと。死体がないので致命傷ではなかったのでしょう」
「人質にとるためか……」
エンゲルの推測が信憑性を増す。
だがジュードの言葉に「さあ、どうでしょう」とクリスは回答を濁す。すべては“状況証拠”というやつで確たる根拠はない。
だからセオドラ社員を呼べとクリスは繰り返す。
「ここの監視カメラを利用すれば、所員やテロリストがどこにいるか、施設の状況がある程度掴めるはずです。そもそも、監視室で調べることは行動計画に入っていた予定では?」
「もちろん、わかってる」
さっきの醜態を忘れたかのようなクリスの態度に憮然と応じ、ジュードはチームAとの合流を図ることにした。
********* 業務メモ ********
●確定事項
・警備員室に『記録装置』なし。
・境界ゲートへの落書き(テロリストの仕業?)
●状況推察
残りの所員や警備員共々、テロリストも『研究所』へ?
●目下の目標
施設の状況確認
※種族保存……ダーウィンは嘘です。念のため。