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メソポタミアの蛇ノ目  作者: 前河涼介
第4章 絵画――あるいは破壊と再生について
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濁流のメソポタミア



たとえ、どんなにそれが小さかろうと、ぼくらが、自分たちの役割を認識したとき、はじめてぼくらは、幸福になりうる、そのときはじめて、僕らは平和に生き、平和に死ぬことができる、なぜかというに、生命に意味を与えるものは、また死にも意味を与えるはずだから。


――「人間」(前掲書より)





 狭霧のフェイスブックのタイムラインにタイン・ミュアソロウの投稿のリンクが貼られていた。元の記事を高校生なりに日本語に訳してみるとこんなふうだった。


………


 人間が自分の存在を認めるためには外界のあらゆる「反射」が必要なのではないか? 光の反射、音の反射。もし一切外界を感覚できない状態が再現できたとして、あなたは自分の存在を認識し続けることができるだろうか?

 私の会社の無響室が計算だけではどうにもノイズを消去できないほど古びてしまったので、今度夫や知人の[スポンジ]フォーム加工業者の手を借りて修復した。

 無響室は音源が正確にどの程度の音を発しているのか計測するために使う。内部に鋭利な楔形が突き出している特徴的な壁面は写真の通りで、見覚えのある人もいるだろう。なぜこんな形をしているか? ただの部屋に音源とマイクを置いただけでは、マイクは音源から直接伝わった音だけではなく壁や床に反射した音も拾ってしまう。音の反射を極限まで抑えた環境が無響室であり、楔同士の谷間が音を閉じ込めるようにできている。必然的に外界の音も完全に遮断しなければならないから、楔の土台になる壁も分厚いものである。音源を設置しない場合、内部は限りなく無音に近づく。

 真の無音状態が人間の心に不安定をもたらすことは音響心理学の業績から十分明らかになっている。心地よい無音は真の無音とは異なる性質のものであり、概ね微かな環境音の複合の下にあるという。確かに無響室に入ってみると声の聞こえ方が全く違っていて驚かされる。これが面白いので家族や知り合いにも話していたのだが、ある女の子が興味を持ったので見せてあげようと誘った。

 私はまず彼女と中へ入って普段通り会話をした。彼女も自分の声が何にもぶつからず延々と拡散していく感触に驚いたようだ。次に灯りを落として暗闇をつくりだした。お互いの位置はどこから声が聞こえるかで知ることができた。しかし私たちが五メートル立方もない空間に閉じ込められているという感覚は全くなかった。下手に動くとせっかく直した楔を傷つけるかもしれない、二分経ったら外から灯りをつけてもらうことになっていた。

 光が戻ると、彼女はここに一人で入っていたらどんなだろうかと訊いた。私はしばらく考えてから答えた。暗闇の中で移動しないこと、有線マイクを持っておいて、出たくなったり気分が悪くなったりしたらスイッチを入れて素直に告げること、呼びかけがなくても五分経ったら外から扉を開けること、私はこの三つを条件に彼女の試みを許した。


 私は外に出て扉を閉め、モニター室に移った。すぐに彼女の五分間が始まった。マイクは一度電気が通っているか確かめたらしい短いオン・オフがあっただけで結局五分間沈黙していた。

 扉を開けると彼女は床の上に仰向けになっていた。高度な無響室では床の反響にも壁と同じだけ注意を払うから、暗くすると空間識失調(ヴァーティゴ)に陥ることがある。この無響室の床は材質を選んではいるが楔型はなく平面である。彼女が倒れたのか、それとも自分から横になったのかはわからない。

「気分は?」と訊くと

「平気」と彼女は答える。それから「本当の孤独(ソリチュード)のようなものを感じた」と感想を言った。

「ような?」

「そこに扉があるのはわかるの。でも戸板や回りの壁はなくて、枠だけが宇宙の果てに浮かんでいるみたいだった」


 空間の認識、というより、逆に、空間が認識されないこと、それが人間の孤独などといった感覚に与える影響は小さくない。おそらく彼女は完璧な宇宙(スペース)の中で完璧な孤独を体験したのだ。これを書いている間、私は自分が久しぶりに研究者に戻ったような気がしている。彼女と私の試みの続きをまたどこかで紹介する機会があるだろうか?


………


 冬の暗い朝。まだ世界に光のない時刻のようだった。時計の文字盤はおろか、壁と天井の境目や窓枠さえ見えない。真っ暗な中にごうごうという音だけが宇宙の柱を揺さぶるように震えていた。音や振動は透明なドームになって全てを包み込んでいた。不吉だ。柱が折れて世界が崩れてしまわないだろうか? 耳に意識を集中して何分かじっと不安に耐える。震えはどうやら水の音らしい。あまりの勢いで降っているので建物の外壁に叩きつけるのがひとつの平坦な音になっている。

 その真っ暗な音の平面をぶち割るようなすさまじい衝撃が響いた。雷だ。衝撃の余韻が何秒も大気の中に反響した。それが消えると再び雨音の通奏が大きく聞こえてくる。また雷。電の光は見えない。雲に映ることもない。

 泥のような意識の中で雨と雷の音だけを聞いて時間が過ぎるのを待つ。やがて厚い雲の裏側に太陽が昇り始める。窓の輪郭が姿を現す。

 リビングに出てテレビを点ける。どの局も早朝のニュースは雨の画だった。NHKの定点カメラも雨の重さで揺れている。画面の上と左には交通情報の枠が流れている。お湯を沸かしてインスタントのポタージュを作り、まだ他の話題がないようだったので一日の予報を聞いてからテレビを消した。

 雨の日は戸棚から出すだけで湿気で黴が生えそうだからレコード磨きなんか本当はしたくないのだけど、日課という習慣は面倒で、一日でも間が空いてしまうと、もう一日置きが習慣になり、二日空くと今度は二日置きが習慣になって、しまいには何もやらないのが日課になる。昨日磨いたマドンナの『アイム・ブレスレス』を探して次に差してあるメリー・ホプキンの『スピリット』を取り出す。ジャケットの上に内袋の薄紙を敷いてクリーナーのビロード面でA面を拭い、ひっくり返してB面を拭う。汚れはない。A面を上に返してターンテーブルにかける。ほとんど気分次第で試し聴きをしないものも多いのだけど、この時は耳の中に溜まっている雨の音を洗い流したかった。針を置く。アヴェ・マリア、ピエ・イエス……。

 ここには僕が生まれて以降の音楽はほとんどない。時間の流れから取り残された孤独な不変の空間。濁流を割く中州のような場所。

 ソファに寝転がって聞いているうちにカーテンの裾の下が少し明るくなっていた。掃き出しを開けてベランダに出る。レコードの音は全く聞こえなくなった。隅田川は嵩の高くなった灰色の水面に風が当たって堤防の壁に波がばしんばしんと押し寄せている。辺りは一面、橋も、木々も、雨と水煙に塗り潰されてまるで色がない。荒川の方もこんな調子ならいつか川に架かる橋が全部流されて北千住一帯は本当の島になってしまうかもしれない。見に行ってみたいような気もしたけれど、それより家を出てはいけないという感じの方が強かった。東京方面を見ると真っ黒い雨雲が分厚くかかって、空と地の境目が冥界のように暗かった。

 雨は強い。風は冷たい。すぐに体の芯まで寒くなる。

 深理さんは雨が好きだと言った。こんな雨でも好きだろうか。

 電話をして訊いてみようか。こんな天気なら彼女も不安になって起きているかもしれない。けれど、電話線は通じているのだろうか。見下ろす地上に人間などいなかった。近隣の気配も雨に掻き消されている。僕以外の存在全てを酷く遠く感じる。

 雨、川の水。

 神様が愚かな人間を滅ぼすために引き起こした洪水の伝承は世界に点在していて、元を辿ると一説には古代メソポタミアが起源だそうだ。世界史の先生が言っていた。冴えなくて駄洒落の好きな人で、大学ではシュメル研究やっていたという。その頃はまだインターネットが普及していなくてね、同じ分野の研究者とやり取りする時は目印に赤い便箋を使っていたんですよ。朱メール。なんちゃって。彼のプリント穴埋め式授業はノートに書くべきことが少ないせいかクラスメートはほとんど居眠りしていたけれど、僕は真っ青な青空と真っ白な砂漠の間に流れる真っ黒な川を想像しながらぼんやり聞いていた。

 古代文明は乾燥地帯に流れる川の畔に栄えた。長江、インダス、ティグリス・ユーフラテス、ナイル。砂漠やステップ、広大な不毛の土地から逃れた人々が集まり、その人口を支えるために農耕が発達し、膨大な収穫を統べる権力が生じ、その下で都市が発達した。そんなふうに段階的に考えるのが妥当だろうか。

 一方、大地に恵みを齎すものは川の氾濫だった。雨や雪解けの水を上流に集め、滝や湖を経て運び、やがて下流の緩やかな岸辺に薄く水を広げる。氾濫。後背湿地にあった田畑は一面の沼沢となり、山の生き物の骸や糞、木々が水に預けたミネラルを土に浸し、耕地の疲れを虫たちとともに癒す。しかし川の様相はそれぞれのもので、例えばエジプト文明が依拠したナイルは長さ六千キロ超に対し水源標高千百メートル余りの極めて緩やかな河川で、決まった季節に穏やかに溢れ返るので、暦に従って氾濫を予想し、備え、恩恵に預かることは容易だった。雨季に川岸一帯が浸水してどろどろになる面倒はあっても人命を奪ったり建物を損傷させるほどのエネルギーは持っていなかった。

 対してメソポタミア文明の片翼を支えたティグリスは暴れ川で、長さ千八百余キロメートルに対し水源は千百余メートル。短く急勾配な上に中流に雨水を貯め込む湖も持たない。上流に雨が降れば水はそのままの勢いでバグダッドまで勢いよく流れ込み、まるで顎を外して鶏の卵を丸呑みにするタマゴヘビみたいに川幅を広げて岸辺の街を飲み込んでしまう。日に四メートル水嵩が増したという記録もある。雨季になれば洪水が起こるとシュメルの人々は把握していたが、いつ雨が降るかまではわからなかったし、ちょうど畑を潤すだけの期待通りの水位になることはまずなかった。しかも複数の都市遺跡から粘土質の分厚い洪水層が見つかっていて、それらは決して綺麗に年代が重なっていなかった。シュメルの都市は度々、そして不定期に唐突な洪水に襲われて崩壊していたわけだ。洪水は栄養とともに破壊を齎した。都市は常に破壊と再生とともにあった。ちょうど人間が作物の種を撒き、育て、やがて刈り取るように、川もまた都市を潤し、養い、また破壊していたのかもしれない。

 現代のイラクは川から守られている。一九六〇年代からの電力需要によって上流にダムが建設され、下流の都市が洪水に被害を受けることはほぼなくなった一方、それと引き換えに氾濫によって土地が回復するという循環も解かれてしまった。人間は川への畏怖を忘れた。

 東京も同じだ。近代以前には名のある川ごとにこんなに定まった流路もなく、多くの川が交じり合いながらもっとくねくね蛇行して、河口近くではあまりに勾配が緩いのでしょっちゅうのた打ち回り、氾濫を起こした。明治になってからそれでは首都が成り立たないというので荒川や隅田川の流路を太く動かないように矯正したのだ。

 人間は洪水と上手く付き合っていくことをやめた。それとも、川そのものとの付き合いを少なくしたのか。渡しに舟はなくなり、上流から筏になって流れてくる材木もない。僕の見下ろす川も街中には高い堤防を建て、水面より低い土地も浸水することはなく、傍に潤すべき田畑もない。上流に取水場があり、下流に浄水場があるというだけで、あとは全くそこに横たわっているだけ、渡られるだけの境界。無関係でいられる。無関心でいられる。この濁流も脅威ではないのだ。そのはずだった。けれど鳴り止まない雨音や川面に浮かんだ水煙や波同士のぶつかり合う響きは僕に警戒を解くなと促しているように思えた。

高校生っぽい日本語訳に気を使ったけどどうですか?

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