表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
メソポタミアの蛇ノ目  作者: 前河涼介
第3章 音楽――あるいは愛について
87/132

狭霧へのメール2010年10月

2019年12月30日追加

なぜ人は模すのだろう。

本物が失われたから?

それは本物の再生成であってはならないのだろうか。

それとも本物とは別の意味を与えたいからだろうか。

別の意味を与えたいのに模すのはなぜなのだろう?

似せてある、ということに意味があるのだろうか。

そうなのかもしれない。模型は似ている。しかし本物の機能は持たない。

では似せることの意味とは何なのだろう。



  ハロー、お元気ですか?

 僕は先日利根川の河口にある飛行場までエア・ショーを見に行ってきました。飛行場といっても草原の一角をきれいに短く刈り揃えただけのとても小さなもので、人が乗り込むような立派な飛行機は発着できないのです。では何が発着するのか? 人が地上から遠隔操作するラジコン機です。実在の飛行機を何分の一かにスケールダウンした発泡スチロールの機体にきちんと3種類の舵をつけて、ちっちゃなエンジンでプロペラをぶんぶん回すのです。仕組みは飛行機そのものですが素材も構造もずっと簡素でちゃちなものです。離陸だって本物のような重々しさはありません。なんだか全体として動きが機敏すぎるのです。形の出来が良くても、動きを見ると、ああ、これはラジコンだな、と思ってしまう。

 二次大戦で飛んでいた飛行機を模したものもたくさん、もちろんイギリス製の飛行機をもしたものもありました。でも僕はそれを見ても70年前の雰囲気のようなものは全然感じませんでした。むしろ今が今であり、ここが日本であり、当時のものはもはや現存していないか、現存していてもその機能を失ってしまったものがほとんどだという現実をひしひしと強く感じました。

 

 頭上をパスするラジコン機を撮りながら深理さんはサン=テグジュペリの話をしてくれました。前の日に僕が『人間の土地』のことを話したからだと思う。「思い出しているだけだからきちんとした知識があるわけじゃないんだけど」と前置きしておいて、それでいて深理さんはとても詳しい話を聞かせてくれた。そんなふうに断る時ってだいたい嘘なんだ。実は三十分くらい簡単に潰せる台本が出来上がってるんだ。それに深理さんは記憶力がいいからさ。

 『人間の土地』は1920年代からせいぜい30年台までの航空路開拓時代を舞台にしているけど、それから次第に秘境への飛行は下火になり、飛行機械も進歩してあらゆる風や降水に逆らって飛ぶことができるようになった。そして兵器としてももっと多様な用途に用いられるようになり、第二次大戦が始まるまでにはもうほとんど飛行機がなければ戦いとして話にならないというところまで発展していった。

 1939年、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告したのち彼もまた空軍の一員として召集されフランス侵攻時は偵察機のパイロットとして死線をくぐりながら味方の地上部隊に情報を届け続けた。『戦う操縦士』で語っている時代だ。ドイツ空軍は圧倒的に高性能な戦闘機と洗練された戦術を使ってフランス上空の制空権をどんどん握って拡大していった。その支援を受けた地上部隊はすさまじい勢いで進軍を続け、間もなくパリに達して彼の国を降伏させた。しかし彼の闘志はそんなところで潰えなかった。アメリカに亡命して『星の王子さま』を出版し、北アフリカで耐え忍びながら英米の支援を受けて着々と戦力を増強していた自由フランス軍に再び参加した。すでに40歳を超していた彼が一線のパイロットとして前線に飛び出していくのを指揮官たちは渋ったが彼はその反対を押し切って偵察飛行隊に舞い戻った。1940年の彼の乗機は時代にふさわしい双発偵察機のブロシュM.B.174だったが、今度はアメリカ製の戦闘機P-38を偵察使用に改装したF-5だ。ブロシュに比べればエンジンは一発あたり500馬力もパワーアップし、機体構造も遥かに洗練され、最高速度では150km/h近い差があり、高高度に適応していた。老パイロットはすでに度重なる負傷で肉体にガタがきていた。この元戦闘機を操るにはいささか荷が重かったのかもしれない。あるいは彼の古い操縦感覚では機体の適正な着陸速度が速すぎるように感じられたのかもしれない。最初の任務で着陸時に機体の脚を折って飛行停止を命じられる。仲間たちも司令官もみんなが彼のことを死にかけの老犬みたいに心配していた。しかしもともと反対を押し切り続けて戦ってきた彼のことだ。そんなもので屈するわけがない。戦士として祖国のために飛び続ける。海を越えドイツの手中となった祖国の上空を突っ切る。眼下の敵を炙り出しカメラに捉える。地平線に目を配り戦闘機の来襲に備える。そこにはもはや『人間の土地』時代のような人間と自然の対話はない。自然は人と人の対決の

 そして最後の任地となったのがコルシカだ。彼はフランス本土の敵空域に深く切り込んで敵状を掴む任務を負っていた。そして数度目の出撃で彼は未帰還になった。燃料が切れる時刻になっても、日没を過ぎても彼は着陸しなかった。ルートや地上からの情報からして海の上で消息を絶ったことは確実だった。おそらく低空でドイツ軍の戦闘機に襲われて逃げる術がなかったのだろう。その日海沿いで空中戦を目撃したという証言がいくつかあるらしい。彼を撃墜したのは自分だというドイツ軍パイロットの証言もまたいくつかあるという。結局のところ彼がいつどこで誰に撃たれ、どこに落ちたのか、彼がどこへ行ったのか、死んでしまったのか、それは誰にもわからない。もしかして星の王子さまと同じように蛇に咬まれて星へ帰ってしまったのだろうか。

 だとして彼はなぜ旅立たなければならなかったのだろう。なぜそれを選んだのだろう。確かにその10年余りで地球の空はあまりに変わりすぎてしまったのかもしれない。いや、空は変わっていない。変わったのは飛行機械の方だ。かつて『人間の土地』の時代、空は人と大地とに対話の場を提供していた。しかしいつしか大地も空も人と人との戦いの場に変わってしまった。彼がさまよった砂漠も、険しい雪山も、兵士たちが武器を手にして行進する場所に変わってしまった。人と人のかかわりの全てを客観的に俯瞰的に見つめ直す場所はもう空には残されていないのだ。彼はあるいは一縷の期待を偵察機という存在に求めていたのかもしれない。けれど結局は誰よりも高く、誰よりも速い偵察機すら戦闘機の餌食にならなければならなかった。人と人の戦いの中に引きずり込まれていった。その諦めが彼を星に帰したのだ。

 「だとしたら、それって寂しいことよね」深理さんはそう言った。「それって『人間の土地』が永遠に失われた時代の精神の記録だということを痛々しいほどに示しているのだから。この先誰かが空を飛んで人と人の在り方を俯瞰するようなことは決してできないということだもの」

「失われた精神の時代の記録」というところを僕は口に出して繰り返した。

 その時僕はラジコンの意味のようなものに思い至ったような気がした。なぜそれそのものが実物ではなく、先立った実物を模したものなのか、なぜ姿を写すだけでなく飛行の機能を持っているのか。同じだ。ラジコンもまた精神の記録なのだ。実物の意味を愚弄することなく、実物の姿と機能を再現し想起させる役割を持っているのだ。それはいわば「形代」なのだ。

 エミリア・ハイクスの話の時、不時着したBf110は博物館になんか入れられるより燃え尽きてしまった方が幸せだったという一節があったけど、きっとそういうことだと思う。彼女たちを保管するということは、存在の目的を保管そのものにすり替えてしまうということなんだ。そこには少なからず侮辱が含まれている。模型やレプリカはそもそも再現に存在の目的があるわけで、そういった侮辱から切り離すことができるんだ。

 僕はもしかしたら代替とか模型といったものが常に本物に対して劣っていると思っている節があったかもしれない。でも違った。存在することの意味の違いがそれぞれの在り方を同列に比較しようのないものにしてくれているんだ。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ